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特集/結婚と生活~さまざまな状況~

2つの鍵

宮田正子

 彼と暮らしはじめて1年半が過ぎた。2頭の盲導犬と8か月の娘がいる。朝早く起きてデイジー(盲導犬)のブラッシング。それから娘を背負って散歩。時には彼とリリー(盲導犬)が一緒のこともある。一家3人と2匹のパレードだ。犬たちは鈴を鳴らし、娘ははしゃいで大きな声をあげる。ご近所の皆様毎度お騒がせしております。

 私は生まれつきの全盲で、弟が1人あった。「お前は目が見えないのだから嫁にいけるわけでもないし盲学校に行ってあんまさんになりなさい」と両親に言われて大きくなった。子どもにとっては絶望的な言葉であった。だいたい女の子は結婚式や花嫁衣装にあこがれるものだし、ままごと遊びのお母さん役をやりたがったりするものなのに、そうした幼い夢を否定されたのである。障害児は夢をもったり幸福を望んだりしてはいけないのだろうか。今になれば親心から私の将来を案じて言った言葉だとわかるけれど、子どもにとってそういう愛され方は納得できるものではなかった。

 「なるべく人に迷惑をかけないようにしなさい」ともよく言われた。私は子どもながらに肩身が狭かったのでなるべくみんなを困らせないようにいい子を演じ続けた。盲学校の寄宿舎に入った時、何かほっとした開放感を味わったのを覚えている。中学を終えて高校進学のために上京し鍼灸マッサージの資格を得たが、結局電話交換の職に長く働いた。

 やがて28歳の春、ある恋愛を全うするため宮崎へ転居したが実ることはなかった。見えないというコンプレックスが私を気弱にさせたのが別れにつながったのだと思う。その頃弟が事故で亡くなった。しばらくして中途失明者の点字練習を手伝わせてもらうようになってやっと生活に活気が出てきた。点字の普及というライフワークに巡り会ったのである。視覚障害者相談員として多くの家庭を訪ね、文字をなくして寂しく思っている人、外に出てみたいと悩んでいる人、人に知られることを恐れて隠れるように暮らしている人もいた。

 それから盲導犬との暮らしが始まった。デイジーである。いつでもどこまででも歩ける。いつも私を見ていてくれる温もりがある。手は掛かるけれどほんとうに可愛い。中途失明の友だちにも歓迎してもらった。デイジーとの生活が軌道に乗ると、今度は家庭をもちたいと思うようになった。一緒に食事しながらその日の出来事や本の話、趣味の話ができたらどんなに楽しいだろう。両親が掛けてしまった私の心の鍵をデイジーが1つ外してくれた。

 さて、2番目の鍵を外してくれた彼に出会ったのは平成6年の「かがり火」(視覚障害者の男女の出会いの場)の会場である。あらかじめ資料として男性全員のプロフィールと生の声が吹き込まれたカセットテープが配られていたので彼に会えるのがとても楽しみだった。そこでは、彼は唯一自己紹介をしない男性だった。向き合って座るとまず犬たちが仲良くなった。彼は突然「あなたの気持ちがとてもよくわかる」と言ったのである。私は「盲導犬と暮らすようになって家庭をもちたいと思うようになった」ということを事前に配られる資料の中に書いておいたからである。

 毎晩電話で話続けて3か月、私は彼と共に暮らすことになった。岩手県出身の私が東京、宮崎と生活の場所を変えてやっと愛知県に根をおろすことになった。心のさまよいを終えることができたのである。

 私はいつも彼の様子を見て自分の心のありようを確かめている。彼は私の小さな鏡になってくれている。毎日自分の不完全さを嫌というほど思い知らされるけれど、愚痴を言っても言われても、喧嘩をしても気を取り直してまたやっていける。子どもの頃のように優等生を演ずる必要はもうないのである。「あなたの気持ちがわかる」という言葉を大切にすべてのことを乗り越えていこうと思っている。

(みやたまさこ 主婦)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年10月号(第16巻 通巻183号)14頁