音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

文学にみる障害者像

アンドレ・ジッド著『法王庁の抜穴』

山県 喬

 アンドレ・ジッドは、1869年フランスに生まれた。夏目漱石や島崎藤村とほぼ同年配であるが、1951年まで長生きしたのでやや現代に近い感じがある。キリスト教を深く意識しつつ、いかに生きるべきか、について探求した作家といわれる。
 この『法王庁の抜穴』という奇妙な題名の作品は、多数の人物が一見脈絡もなく登場し、複雑で規模の大きな風刺小説である。ヌーヴォーロマン(新しい小説)の先駆けともいわれるが、作者自身は、ソティ(茶番劇)と分類している。ユーモアが豊富である。
 題名が示す、つまり全体の背景になっている状況は「ローマ法王が、秘密結社によって誘拐され、地下の回廊をへだてたサンタンジェロ城に監禁された」という奇怪な風評がひそかにながれていることである。
 じつはこれは「百足組」という巧妙な詐欺団がしくんだ芝居であって、これをネタに有閑夫人などから高額の金銭をゆすりとろうというのだ。でてくる法王や高僧も偽物なのだが、しかし、雰囲気として法王の周辺を描いてあるようでもあり、発表された当時、教皇(法王)庁側からはげしく非難され、信徒には禁書にされたという。
 ところで、5つの章の冒頭にでてくる人物が身体に障害をもつ生物学者である。
 アンチーム・アルマン・デュポアは、46歳、松葉杖を使用し、ときには両肩がはげしく動揺し道化のようになる。ネズミ、雀、カエルなどの趨向性(トロピズム)について研究し、社会的名声をもっていた。
 彼は、無信心、科学万能主義で研究のためにネズミに平気で断食させたりするのだが、信心深い妻によって、しばしば妨害される。
「ヴェロエッタ! 困るじゃないか、また餌をやったな」
といって夫は怒る。
 彼は、自分の身体のことについて神をゆるすことができなかった。しかし妻は、そんな夫のために道端の聖母像に毎日ローソクをそなえ、祈るのだった。
 それを知ったアンチームは、激怒し、ドタドタと螺旋階段を下り、聖母像のところに行く。するとそこには、いつも自分のためにネズミや昆虫をつかまえてきてくれる貧しい少年ペッポーがいて、拝んでいた。
 彼は、5リラの銭をあたえ、なにかを頼むが、きっぱりことわられる。逆上したアンチームは、松葉杖をかざして聖母を打つ。すると聖母の片手が落ちてしまった。
 さすがに大人気ないことをしてしまったと悔やんで、それを拾いポケットに入れて帰った。そして、その夜、夢を見た。
 ……ドアをノックする音に目をあけると白衣の聖母が微笑して立っている。そして枕元に近づき、損なった方の片手をさしのばして彼の身体にふれた。それは鉄の軸であったから激痛をおぼえた。そうして目覚めたのである。すると、予感があって、ベッドを降りてみると、杖なしで立て、かつ、歩けるのであった。彼は、妻を起こして固く抱擁し、信仰をもつことを誓った。
 しかし、ここに1つ問題が生じた。というのは、彼は無信仰の結社フリーメイスン団の会員で、それまでその関係の雑誌に思想的な寄稿をし、それだけでなく財産管理も委託してあったのだ。彼は信仰をもったために、財産を返還してもらうことはできなくなった。
 そこで、カトリック教会に行ってすべてのことを告白し、援助を乞うた。教会では、高名な学者が異端を捨てて入信することを大歓迎し、経済的な問題などは小事である、それは枢機卿を通じて国務卿に上申しておくから懸念のないように、と言ってくれた。
 このころ、アンチームの義理の妹、ギイ・ド・サン・プリ伯爵夫人(未亡人)は、未知の修道僧の訪問を受けた。その僧は、もったいぶって小声で重大ニュースを告げ、法王を救出するために十字軍を結成する、そのために今こそあなたの高潔な援助が必要です、といって6万フランを要求するのだった。未亡人は、その名誉に舞い上がってしまって狂奔する。
 プリ伯爵夫人からひそかにそのニュースを聞かされたアルニカ夫人(同じくアンチームの義理の妹)は、亭主のアメデに話す。すると真面目なアメデは、じっとしておられずローマにかけつける。
 百足組の情報網はすごい。アメデがローマ駅におりたつと、1人の男がすっと寄ってきて、「シイーッ」と人差指を口に立て、「めったな口をきくと大変なことになりますぞ」とおどして、いいように引きずり回す。
 そんな状況の中で、アンチームの義弟のジュリウス(小説家)が、アンチームのことを心配してくれる。なぜって、あれから後、教会からは何の音さたもなく、すっかり貧乏になってしまったから。
 アンチームは、すっかり弱気になっていたのだが、このところ、また元の元気を取り戻しつつあった。じつをいえば、いつのまにか、彼の身体は元に戻っていたのである。一時の夢から醒めたのだった。
 「いや、わしだって自分の身の始末くらいは十分つけられるさ。わしは今夜フリーメイスンの首領に手紙を書き、明日からでもまた科学記事の執筆を再開するよ」
 アンチームについての記述はここで終わっている。
 じつは、この長編でもっとも重要な人物はラフカディオという私生児である。この男は小説家ジュリウスの腹ちがいの若い弟で、最近、父の告白でわかったものだ。
 作者ジッドは、ラフカディオを通して、いわゆる「無償の行為」という行動をえがく。町で偶然であった火事場で、勇敢に火の中にとびこんで子どもを助け、名もつげずに立ち去る。かと思うと、結末ちかく、汽車にのりあわせた男をふいにつきとばして転落死させるのである。
 つき落とされたのは、あわててローマにかけつけたアメデであり、つまりラフカディオにとって義兄ともいえる人物なのだった。さらに絵解きをすると、百足組の首魁はラフカディオの悪友プロトスという人物であり、ラフカディオ自身も一味の片棒をかついでいたのである。
 あざなった縄のような人間模様は、どうにも救いがたい人間群像にも見えるが、これは世間の偽りの部分を見透す作者の洞察によるものというべきであろう。
 それらの中でアンチームという人物を眺めなおしてみると、信仰ということと身体の障害ということが、作者にとっても1つの大きな関心事であったことがわかる。
 アンチームの弱った心が、一時奇蹟の夢を見たが、きっぱりと目覚めたところに作者の合理主義を感ずる。全体を通して、終生カソリックに批判的であったというアンドレ・ジッドのしたたかさに驚嘆する。

(やまがたたかし 児童文学作家)

〈披見・引用書〉

集英社版世界文学全集62 ジッド 小佐井伸二・若林真訳 (1978)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年6月号(第17巻 通巻191号)32頁~34頁