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特集/さわやかに 新教員来る

“宇宙人”から大学人へ

金沢大学教育学部・福島智助教授の緊急問題は解決されるだろうか?

文・小林恒夫

 視覚と聴覚を失い、異次元世界に属していたという自称“宇宙人”が、昨年暮れ、国立大学助教授に、あざやかに変身した。34歳。全盲ろう者として、最初のケースである。
 人は誰も、やさしさをこめてコミュニケートすることで心が通い合う。そのことをみずから実証し、広く伝えていきたい―。その基盤を、いま、北陸・金沢でつくり育てていこうとしているのだが…。
 まず、自身のコミュニケーションに不可欠な指点字の通訳者を確保すること。その見通しが、なお明るくない。果たして解決は、いつになるのだろうか。

最初のゼミ。「弱者」とは…

 「それでは私が、きょうのレポーターから提出された要約を読み上げます。レポーターが読むのが普通でしょうが、それを通訳してもらうより、私が読むほうが早いですから。補足説明があれば止めてください」
 教育学部人文棟の1室。養護教育教官・福島研究室。大学院生の演習は〈障害者教育学特論1〉。前回までは、学生が盲ろうの擬似体験をした。今回からは、あらかじめ学生がテキストを読み、レジュメをフロッピーで提出。それを教官はパソコンのピン・ディスプレイ(点字表示盤)で読み上げる。
 なめらかに、すでに暗記しているかのように明瞭に読み上げる。“ガマガエル的”と本人が形容するほどの悪声ではない。ボーイ・ソプラノに近い美声ともいえる。
 「ケースバイケースだが、誰でも弱者になりうるということで…。弱者の定義について…。この本での弱者とは…」
 テキストは『弱者の哲学』(竹内章郎著)。―ここで取りあげることのできる「弱者」は、さまざまな場面や時と場合に応じて、「能力が劣るとされる人」である。常識的には、この「弱者」は、「障害者」であったり、高齢者であったりするのだが、それだけにはとどまらない。…常識的には「能力が劣るとされ」るゆえに差別され抑圧される人が、新しい社会や文化を創造するさいには「きわめて重要な存在とされ」、ある観点からは「能力があるとされる」人にもなる…。
 論議は、レジュメの用語や文章など表現上のこと、基礎的な〈本の読み方〉にも流れていくが、教官は学生に合わせて、ていねいにつきあう。
 同和問題に苦しむ人や在日外国人など、社会的弱者について考える方向がある。また、社会的な障害者とは、社会的に能力がないということか、社会にとって障害になるものという意味もあるのか、など。学生の考えを聞き、討議を進め、意見を加え、方向性をもたせ、さらに考えさせる。その1時間半。
 「社会から人間を見るのではなく、人間から社会を見る。そういう視点が大事である、と。これが、きょうの一応の〆ですね」
 すべてのやりとりを、隣に座る女性が指点字で間断なく通訳する。瞬間の通訳で、会話は途切れることがない。学生一人ひとりの座る位置も最初に確認してある。かならず、その学生に向かって名前を呼びながら話す。
 「次回のレポートですが、誰が書きますか。どんな書き方でもよいのですが、マンガは困る。ちょっと読めません。吹き出しがついても読めません」
 廊下に出た学生は言う。「オアシスの雰囲気です、ここは。くつろげるんです。あのような人が実在して、お話をされること。とても勇気づけられます。すばらしい人です」
 金沢市郊外、角間のキャンパスは敷地約200ヘクタール。緑の風が吹き渡る。
 「山が近いせいか、やはり緑の匂いが…」
 学生を送り出して、教官はお茶をすする。
 「バスで大学へ来ますが、とくに連休明けは、大学に来て匂いが変わったのがわかりました」
 お茶をいれる女性は通訳者の光成沢美さん。正確には福島夫人だが、おおむね旧姓のままで通しているらしい。
 「職場で、奥さんと呼ばれては、どうにもやりにくいですし、そのたびに、ゾーッとしますからね」
 笑う顔が、シーザーの若い頃に似ている(ような)。とすると、光成さんは…(と思ったり)。いや、これは真面目に取材する仕事なのだ(と自重して)。だが、彼の著書『渡辺荘の宇宙人』のなかの、〈私は本質的に「学究の徒」なのだが、“学級ノート”じゃないかともいわれるのだ〉というあたりも、このさい、なぜか思い出される。

インタビュー1・通訳者を保障してほしいこと

―今回の着任について、大学側の態度、体制はどうですか。

 だいたい好意的です。隣の部屋の先生は指点字を勉強されています。なかには、お手並拝見的に見ている人もいるかもしれませんが。私としては最大限やるべきことは、しっかりやらないと、と思っています。と同時に、周囲のことはあまり気にしないようにと思っています。
 問題は、人の目というレベルよりも、制度的な部分。つまり、私の通訳者が大学側によって保障されていないこと。これが一番大きいことです。私にとって通訳者は、それがなければ仕事ができない存在です。その通訳者を自前で用意する状態。それは大学、あるいは文部省が、障害をもっている私を丸ごと受け入れているとはいえないですよね。
 今後、私の労働条件、具体的には通訳者の保障について、運動をどのように進めていけばよいのか。国の制度は簡単には変わらないと思いますが、しかし、最低限の制度的な保障がなかったら、障害をもって公務員として働くことが認められたとは真の意味では、いえません。

―通訳者ボランティアを組織できませんか。

 東京では私の支援グループ(福島智君とともに歩む会)があって、それが発展的に解消して、全国盲ろう者協会ができました。しかし金沢では、光成しか通訳者がいません。いまから育てたいと思っています。
 ただ、制度的保障のことはボランティア組織のあるなしとは別。組織があっても身分保障する。パートとしてでも雇ってほしいということです。それができれば、東京から来てもらうことも考えられます。あるいは金沢の人でも、本格的に訓練したり、スカウトしたりできる。けれども、いまは自分でやるより仕方ないので、なかなか進行しません。

―盲ろう者に対して自治体の取組みは、どうですか。

 通訳者の養成講習会を始めたのは東京都・大阪市など、現在数か所あります。が、それは通訳者養成で、盲ろう者をサポートするというのではない。不十分ながら自治体として通訳者派遣を始めているのは、東京都と大阪市だけ。その他、社会福祉法人「全国盲ろう者協会」が1991年から派遣事業をやっていますが、これはあくまでもモデル事業。本格的ではありません。とにかく盲ろう者に対する福祉施策は、正式な行政レベルではゼロに近い状態です。
 例えば、手話を使っている盲ろう者に対しても、既存の手話通訳派遣制度は、盲ろう者のニーズには合わないのですね。手話通訳はしても、外出介助はやりませんから。聞こえない、見えないというダブル・ハンディをもってるユーザーを想定したサービスが、まったくないということです。

―その通訳に習熟するのは、たいへんなことでしょう。

 誰でも、やればできます。やるチャンスがないことと、身分保障がないから仕事を休んで勉強できないということです。だから、根本的には制度だと思います。気持ちだけでは、ダメなんです。制度が変わらないと…。
 ただ、制度ができて、その瞬間に通訳者が生まれるわけじゃない。また、盲ろう者と分離して通訳者だけを育てることはできない。実際に接してもらわないと、役立つ通訳者は生まれない。個人的にいえば、他の盲ろう者の通訳ができても、私の通訳ができるというわけではない。私のニーズは、特殊ですしね。
 私の通訳は、私を相手に練習するしかないので、そこが辛いところです。私は1人ですから、物理的に限界がある。その意味では、人が育ちにくいというところがあります。
 大学では週1回、点字サークルで普通の点字と指点字をやっています。点字への理解を深めてもらいたいことと、直接私と話ができる人をふやしたいことと、2つの狙いで。ただ、学生が私の通訳者になってくれるとしても、たとえば教授会には同席させられないなどのことがあるのです。卒業すればいいかもしれませんけれど。簡単にはいきません。

インタビュー2・金沢大学教育学部障害児心理学講座・片桐和雄教授に聞く

―福島助教授の通訳者について、どのようにお考えですか。

 福島さんを迎えるについて、大学側には、その受け入れる素地は、とくになかったのです。少し前までは色覚異常の学生さえ排除していましたし、市内(城内)から移転してすべて新築の建物も、障害者に対する配慮はほとんどありません。それで福島さんの通訳のことで関係者に当たると、「規定がないので、むずかしい」と。常時、通訳者を制度的に確保することは、いまのところ非常に困難です。
 しかし、教授会には光成さんが通訳者として同席できるように―教授会の了解事項として認められ、第1の壁は破れました。また、福島さんが研究のために出張するときは、通訳者の旅費も支給するとか。少しずつ進んではいるのです。問題は、制度的な保障。これをどうやって解決するかですね。なんとか早く、としか申し上げられないのが残念です。
 学生が福島さんと接して与えられる影響は、非常に大きいと思います。これだけ障害をもちながら楽天的というか、ユーモアはあるし、エッセーはすごいですし。学生が得ることは大きいですね。

歓喜への頌歌を聞きたい

 福島さんの自宅はJR金沢駅に近いマンション。廊下には大きなケースが2個、郵便受として置いてある。点字印刷物は普通のポストに入りにくい。居室も、書籍と点字本の棚が大きなスペースを占めている。
 「いや、まだ町の様子は、よく探険していないんですよ。近くの飲み屋ぐらいで。連休には、この近くのお寺、なんだら別院というのに行ってみました。本堂が開いていたから、入りこんで。広い畳敷のところで、おばあさんたちが何人か、お茶を飲んでましたが、寝ころんで昼寝しました。あ、坊さんの頭ですか。今回は、ちょっと…」
 8年ほど前のことか、福井県の永平寺をグループで訪ねたとき。案内の僧の頭を触らせてもらった、という話がある。触ってみて、いわゆるツルツルではない、ずいぶん人間的な頭なのだと感心したというのだった。
 近所の飲み屋では、入口に立っている仙人の人形の頭を触る。なでて、「この店」と確認する。
 ところで、東京から金沢に来て、生活はだいぶ変わったのだろうか。
 「たしかに通訳者が少ないので不安とかはあるのですが、その一方で、落ち着ける。端的にいうと、電話とファックスの量が、ぐっと減った。それだけでも…」
 東京では、全国盲ろう者協会理事と東京盲ろう者友の会会長をつとめて、通訳・介助の派遣事業を東京都の補助事業として導入した。そうした活動に追われる毎日だった。
 「たくさん書類があって処理しなければならないし、会員同士のもめごととかトラブルもあります。公的、私的、とめどなく、果てしなく用がふえました。ここに来てからは土・日が休みなので、何か変な感じがします。連休に会議とか人に会う予定がなかったのは何年ぶりか。それで、お寺で昼寝をしたのです。いまは大学から帰れば、自分の時間ですからね」
 それで、奥さんの光成さんのことだが、福島さんは奥さんの顔を見たこともなく、声を聞いたこともない。日常の一切、通訳も含めてすべてのサポートをする奥さんについて、どんなイメージをもっているのだろうか。
 「それはですね。日向で干した毛布」
 あたたかい、気持ちがよい。健康的、安心できる。すっぽりくるんで、ふわっと軽いイメージか。やんちゃな甘えん坊が母親に抱く感じに近いかもしれない。それで、はにかみながら頭に手をやる。
 「神経、疲れていたのかな」
 横の奥さんが口を添える。
 「男3人の末っ子ですから。でも幼い部分とシビアな大人の部分が同居してるんですね。小さいときから大人をやりこめるような子どもだったらしいですね」
 しっかり包んでくれる奥さんなら、喧嘩はしないのだろうか。うっかり喧嘩をすると不利になるので、我慢するのだろうか。
 「ケンカ、します。だから、ぼく、いつもケンカするように打てば(指点字を)いいのに、と言ってる。タッチが強くなるから。そしてケンカすると打ち方が早くなります。早すぎて、からまわりして、文字になってないこともあります」
 食事のときも酒を飲むときも、会話で2人の両手がふさがる。箸もグラスも、なかなか持てない。2人だけの会話は、同席の他のものにもわかるよう、奥さんが声に出して打つ。ずいぶん指が疲れるのではないかと思うのだが、
 「打つほうより、きっと読むほうが大変」と奥さんは言う。
 「それから」と福島さんは、話の途中で少しあらたまる。
 「彼女のことは、光成と呼んでいただくことになっています。奥さんとは呼んでいただかないことになっています。とくにこだわっているわけではないんですが」
 知ってる人は誰も、奥さんとは呼ばない。公的な場合だけでなく、友達関係でもそうらしい。基本的に、夫婦別姓であるべきだと言う。それが必然だと言う。
 「逆を考えたら、やはり私、抵抗ありますからね。男がイヤなことは女だってイヤなんですから。えっ、私たちの戸籍ですか。福島の同姓です。これは、いまの戸籍法に迎合です。それは、手続き上に面倒があったり、手当などにもいろいろありますから。でも、奥さんと呼ばれると、力が抜ける」
 光成さんは東京では聴覚障害者にかかわる仕事をしていた。いまは福島さんの奥さんではあるけれど、奥さんとは呼ばれない通訳者の光成さん。大学側が通訳者の身分保障をして、自分に代わる通訳者が現れることを期待していると言う。
 「いまは彼女にとって選択の余地がない。他の仕事はできない。大学側とは何ら特別な申し合わせはないという意味では、解決の可能性はあります。私は、弱者の代弁者として発言する役割がある。それを果たすことが使命だと思う。つきつめると、障害者の問題は人間の問題ですからね」
 ちょっと演説調になった福島さんの指を、光成さんの指が強く叩いた。
 「あなたの役割は、それをやわらかい言葉で言うこと」

 かつて、福島さんはピアノを弾いたという。今も弾くことがある。むろん、音は聞こえない。ベートヴェンは無音のピアノを弾いたという。『第九交響曲』を指揮したときも、聴衆の喝采が彼の耳にはまったく聞こえていなかったという。その『第九』は「歓喜への頌歌」―。“Durch Leiden Freude !”(悩みをつきぬけて歓喜へ!)
 秋からの大教室での講義は「障害児・学校・社会」と決まった。また、新著『(仮題)盲ろう者とノーマライゼーション―盲ろう当事者がアプローチする障害者教育・福祉、21世紀社会のヴィジョン』(明石書店)が、今秋、発刊予定になっている。歓喜への道は、すでに始まっている。

(こばやしつねお フリーライター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年7月号(第17巻 通巻192号)12頁~18頁