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特集/さわやかに 新教員来る

インタビュー・小山内美智子さん

触れて学ぶ―素肌で教える教育の実践

聞き手・編集部

 去る5月15日、小山内美智子さんが客員講師をつとめる県立宮城大学の看護学部で初めての講義が行われた。教室は、いつもは先生を正面にみる形で机が並べられるが、この日は小山内さんの机を両側から挟む形に変え、100人を超える学生たちの熱気に包まれた。小山内さんは、自己紹介を兼ねて子どもの頃の思い出を中心に、時にユーモアを交えながら90分間の講義を行った。
 1回目の講義を終えた小山内さんに、今後の抱負などをうかがった。

笑いって大切

―1回目の講義を終えられての感想をお聞かせください。

 今までにたくさんの大学で講義をやったことがあるので、今日はどうやって自分で新鮮味をもたせるか、ということに努力しました。
 今日の学生たちは本当に聞かなくちゃという姿勢があったから、すごく楽でしたね。
 だいたい他の大学では、居眠りをしてもよいから、隣の人とおしゃべりはしないでください、と私は授業の最初に言うんですよ。今日は、大丈夫だろうと思いましたけど。寝ているのはいいんですけれど、隣の人と話をしているのは、本当に不愉快ですからね。真剣に聞いている子がすごく怒るんですよ。聞こえないって。

―新鮮味をもたせるということで何か工夫されたことはありますか。

 普通の講義ではやらないんですけれども、今日は実際に足を使って「こうやって靴下を脱ぐんですよ」と、やってみました。ああこうやって足を使うんだなって見せれば分かるかなって思って。
 それと、絶対に笑いがないと、聞いていて飽きてくるでしょう。今日は5回笑わせる予定だったのですが、3回か、4回しか笑ってもらえなかったから、80点くらいだったでしょうか…。これからの反省点ですね(笑)。
 私は常にどこへ行っても笑わせられなかったら失敗だったなと思うんです。人間って20分に1回笑わないと神経的に疲れてきて、集中力が落ちるから。笑うと神経も休まるでしょう。感心させることはまあまあできるけど、やっぱり笑わせることが1番大切ですね。障害者だからといって、悲しいことばかり言っていたら、聞くほうだってもうたくさん、という感じでしょう。そこで笑いが必要なんです。

転機となった入院

―今回、大学で教える話がきた時、迷いなく受けたということですが、もともと教えることに興味があったのですか。

 ええ。教えることは、1番やりたい仕事でした。最初は個人的に浅野さん(現宮城県知事)が当選したときに、冗談半分に「あなたの秘書にしてよ」って言ったんです。そうしたら、彼は「宮城県を日本の福祉先進県にしたい」って言うから、「あなただけじゃ、障害者は本音を言わないわよ。私のような人を秘書にして、いろんな施設をまわって障害者の人の話を聞いて歩く、そういう仕事をするよ」って、私は言ったんです。
 彼は彼なりに真剣に考えたようですね。それから宮城県の福祉の到達点を考える会をはじめとして、月に1、2回宮城県に行くようになったんです。
 2年くらい前から大学で働かないかって言われました。最初は、学歴もないし、そんなことできるわけないでしょ、って感じで軽く流していたんです。本当になれるとは思わなかったですね。年に1回くらいだったら教えられるけど、何回も教えることは無理だと思っていましたから…。

―ところが、引き受けることになった…。

 そうなんです。私が首の手術をして3か月か4か月ほど入院したときに、そこでいろんなことを学んだんですね。看護婦さんがあまりにもケアに力を入れていないこととか、障害者が入院してきたらどうしていいか分からない、とか。
 当時、私は首も痛かったのですが、心も病んでいたんです。まだ、離婚したばかりで精神的にもすごく不安定な時で、自分より不幸な人はいないってくらい悲しみに陥っていました。その時、すごくいい先生に巡り会って、カウンセリングを受けて、たくさんの人から励ましてもらいました。浅野さんから花束をいただいたり、励ましの手紙をいただいたりしました。黒柳徹子さんは、テープで声の便りを送ってくださいました。私のことを「ナイチンゲールさん」っていうんです。ナイチンゲールは病弱で、3年間しか働いたことがなくて、あとはずっとベッドに寝ていて、ベッドのうえから指示を出していたそうです。徹子さんから、「あなたは寝ていても口と頭が動いている限り、何でもできる」っていう手紙をいただいて、人生観が変わりましたね。
 それから、看護婦さんやお医者さんの悩みなんかを聞いてあげるようになりました。お医者さんはお医者さんで、患者さんに好かれる人は看護婦さんに嫌われて、看護婦さんに好かれる人は患者さんに嫌われるっていうジレンマに立たされているんですね。そんな状況が分かってきて、それはまるで毎日映画を見ているようでした。毎日感動することがたくさんあって、それがなかったら、今の仕事を引き受けなかったでしょうね。
 首の痛みもあったけれど、離婚して、私って魅力のない人間かなって、悲劇のヒロインになっていたけれど、いろんな人に出会って、ああこれが私の仕事なんだなっていうことが確認できたんです。私はよく、転んでもただでは起きあがらないよって言っているんです(笑)。そこでの経験は、私にとってずいぶん自信がつきましたね。

素肌で教える―私にしかできない仕事―

―小山内さんは、ケアについて教える意義をどのように考えていますか。

 ケアについて、他の先生は教科書上では教えられるけれど、生身の体を使って教えることはできないわけでしょう。
 今日、講義が終わってから有志の人たちと昼食会をしました。私はサンドイッチを食べるのに介助が必要なので、4人の学生さんに交代で食べさせてもらいました。そして、「あなたは食べさせ方が上手いね」とか言うわけです。それが授業なのです。最初は私にばかり食べさせていた学生に「私が口を動かしているときは、あなたは食べていていいのよ」「ああそうだったの」。そういう教育は、教科書を読むだけでは分からないでしょ。これが本当に私にしかできない仕事だと思うんです。
 これから在宅ケアが増えるから、ケアの実体験というのはすごく大事だと思うのね。ご飯を食べさせることも、お風呂に入らせることも、そういうことを他の先生方は知識は教えられても素肌では教えられないでしょう。私は素肌で教えたいと思っています。

―「素肌で教える」ということについて、もう少し具体的にお話ください。

 私が言いたいのは、他人の体だとは思わない、ということです。トイレに行くときは自分のおしりだと思って拭くこと、ご飯を食べるときは自分の口だと思うこと、髪を洗うときは自分の髪だと思って洗うこと、後は、障害者が注文をはっきり言うこと。これだけだと思います。
 ケアを受ける側が、もっと強くとか、柔らかくとか、もっと長くやってくださいとか、もう少しパンを小さくちぎってくださいとか、はっきり言うことが大切です。そういう意味では、ケアする人を障害者も育てなきゃ。

触れて学ぶ教育

―これからケアのプロとして学んでいく学生たちに望むことは何ですか。

 今日の講義でも言ったことですが、将来、宮城に(1番)介護のうまい人がいるよ。その看護婦さんは、この大学の出身の人だよ、と言われることを望んでいます。どんなに良い薬でも、良いケアがなければぐっすり眠れません。薬はたくさん使わなくてもいい。体をどうリラックスさせられるかを分かってほしいと思います。
 それから、人の記憶に残る人になってほしいと思います。頭と手と心を動かす人になってほしいと思います。普通勉強は、頭と手だけを動かしているけれども、心を動かすということはすごく記憶に残るんです。悪いこともいいこともね。それが大事だと私は思うんです。
 私は、子どもの頃、施設に入っていたんですが、その時、夜になると夜中にトイレに行かないように歩けない子どもは、のどが渇いても水を飲ませてもらえませんでした。でも、誰でものどが渇くでしょう。それをがまんすることはとても苦しいことなんです。そんな中でお水を飲ませてくれた看護婦さんがいました。
 たった9歳か10歳の子どもの時に、一口ずつ水を飲ませてくれた看護婦さんを尊敬したんですね。その時は、「尊敬」という言葉が分からなかったから、自分もああいう大人になりたいなって、すごく憧れがあったんですよ。その当時は、手が使えるようになると思いこんでいましたから、自分も大人になったらああいう看護婦さんになろうってね。夢を抱いていたんですよ。そのことは子どもだったけれど、私の印象に強烈に残っているんです。だから学生さんにはそんな看護婦さんになってほしいと思います。

―小山内さんは講義の中で、教育への注文として「心で考える教育にもっと力を入れてほしい」とおっしゃっていました。小山内さんには、大地君という息子さんがいらっしゃいますが、それは親としての立場からの考えもあるのでしょうか。

 ええ。私は大地の参観日には、必ず参加しているんです。参観日に行くことが私の仕事だと思って。参観日に行かないと、先生も子どもたちも、大地君のお母さんは、ちょっとおかしいんじゃないかとか、障害者とか言っていじめられると困るから…。でも私が堂々と参加していたら、みんな分かってくるでしょう。大地君のお母さんはああいう人なんだなって、理解するから。それがすごく大事だと思うんです。だから、どんなに忙しくても私は参観日には行くんです。
 そしていろんな授業をみていて、今の教育は暗記の教育だなって感じたんです。水俣病とかイタイイタイ病とか、私はある程度勉強しているから、患者さんたちがどんなところが困っているか、だいたい分かっているんです。でも学校では、子どもたちには、何年に起こって、病状はこうで、薬はこうでということしか教えないんです。私はすごく腹が立って、私が前に出て言いたいくらいだったんです。みんなこういうところを苦しんでいるんだよとか、どうして先生はもっと突っ込んで教えないのかなって、思いました。

―今回、大学で教えるということは、心で考える教育を具体的に実践する場でもあるわけですね。

 そうですね。でも大学だと遅すぎるかもしれません(笑)。本当は小学生からやってもいいことですよね。

―今年の授業のご予定は。

 今年は、今日を含めて3回行います。2回目が6月11日です。3回目は秋になります。講義の進め方は、学生さんたちにレポートを提出してもらって、文通形式でやっていきたいと思っています。また、夏休みや冬休みには、北海道に来てもらって、「ケア塾」に参加してもらいたいと思います。

―最後に、障害をもった人たちが大学で教える機会が増えてきていることについて、どう思われますか。

 障害がある人が教えることについては大歓迎です。どんどん出てきてほしいと思います。小山内が教えられるんだから、私にもできる、と思ってほしいです(笑)。

―今日はお疲れのところをありがとうございました。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年7月号(第17巻 通巻192号)19頁~23頁