音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

1000字提言

彼女はよい医者になれる

青木 優

 1984年、私と妻はカナダのウイニペッグで開かれた世界リハビリテーション大会に参加した。それは障碍者自身が医師や施設関係者、行政当局者たちと共にその企画立案から参加した初めての会議であった。障碍者が「福祉の受け手であることから福祉の担い手であることへ」と変わった画期的な大会としても記憶される。
 小児マヒによる障碍者でカリフォルニア州民生局長エドワード・ロバーツ氏は、車いすに体を固定し、酸素吸入器を用いつつ基調講演をした。2人のアテンダントがそれを支えた。「障碍者は今後、福祉の担い手になることによって、人類の真の平和をつくり出すかけがえのない存在となることができる」との彼の訴えは、その後の世界的な障碍者運動の広がりに大きな影響を与えた。介助者をつけてでもロバーツ氏を民生局長に迎え、健康な人よりも障碍者自身こそが住民の苦しみを担う暖かい行政をなし得るとの見解を示した州政府の在り方も新鮮だった。
 1989年、私と妻は1か月にわたりスウェーデンを訪問し、教育・福祉の担当者と話し合い、その現場に参加して学ぶ機会を与えられた。ストックホルムでは全国視覚障害者団体センターを訪ねたが、全盲の前議長ベングト・リンドクビスト氏は、エドワード・ロバーツ氏同様、福祉大臣として推され活躍していた。
 さらにヴェクショウ市の義務教育学校で、ノーマライゼーションの教育の現場を見たときのことである。視覚障害、腎機能障害、さらに知的ハンディの三重の障害をもつアンドレアス君の担任教師は、私たちに、その少年の母親はいま医科大学で学んでいると語った。若い日に医学教育を受けた私の経験からすれば、医学とはきわめてハードな学問である。それを三重障害をもつ子どもの母親がどうして医学生となり得たのか…。
 スウェーデンでの大学入学資格は高校での成績に、一旦社会に出て働いた実績が点数として加算されることによって得られる。その場合「障碍児」を生み育てたという実績は、かなり高い点数として加算される。そこには「障碍児」の母親ならばきっと患者の痛みや悲しみ、将来への不安を理解できるよい医者になれるであろうとの人々からの期待がある。アンドレアス君の母親が医学生であることの謎は解けた。
 これが今の北欧社会の人々の障碍者観であり価値観である。障害を「不幸」と捉えるのでなく、人類の福祉を進め、平和を作り出す大切な神からの賜物と捉え直し、障碍者自身先駆者としての働きをなすべき時が来ているように私には思われる。

(あおきまさる 障碍を負う人々・子ども達と共に歩むネットワーク代表・日本基督教団調布柴崎伝導所牧師)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年7月号(第17巻 通巻192号)28頁