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「社会福祉基礎構造改革」と小規模作業所

青木紀

 「社会福祉基礎構造改革」に関する論評は、すでに相当数のものが積み上げられてきていると思われる。しかも、内容を多岐に渡って、詳細に検討する余裕はない。したがってここでは、この2、3年、機会あって観察者としていわゆる小規模作業所にかかわってきた立場から、「基礎構造改革」への感想を若干述べるにとどめたい。
 さて、今日5,000か所以上と、なお増え続けているといわれる小規模作業所だが、なぜかくも成功してきたのかと考えると、これらを中心的に担ってきた当事者の考え方は別にして、次のように考えられる。
 それは、端的に言えば、従来までであれば、たまたま障害をもってしまった人が「隔離」されるか、あるいは家族に「抱え込まれるか」であったものが、本人、家族、関係者の努力によって、本人の年齢段階に応じた、いわば当たり前の「親子関係」「地域生活」のあり方が追求されてきた結果ではないのか。だから、たとえ作業所の条件が表面的には劣悪であっても支持され続けてきたのであり、それはこれ以上素朴なものはないというほどの当たり前のノーマライゼーションの遂行方策であった。
 もちろん、成功してきた小規模作業所といえども、個々には途中、困難な状況の中で浮き沈みはあったのは当然である。だが全体としては、まさに世界に類を見ない「複製」(replication)に成功したプログラムであった。それは、多少固い言葉で言えば、いままでは「社会的に排除」されていた人々を、いわば「社会的統合」の牽引車となる形で引っ張ってきたと言っていい。そしてそのプロセスが、たとえば通所型の施設分場の増加など、既存の法定施設のあり方などに多大な影響を及ぼしてきたことを考えると、作業所の歴史はまさに、本来の社会福祉基礎構造改革に貢献してきたのである。その意味でアメリカのスクール・リフォーマーという言葉に例えて言えば、そのリーダーたちは福祉リフォーマーという名称を与えることができるかもしれない。
 ところで、この成功という点からいま一つ考えなければならないのは、それを支えてきた大きな要因の一つが、作業所の職員の施設づくりの、ある種の「自由」の保障と、厳しい「責任」の遂行といったことにあったのではないか、ということである。言い換えれば、利用者からすれば、すでに述べたように、やむを得ずであれ何であれ、それがノーマライゼーションの道筋に沿っていたからこそ受け入れられてきたと言えようが、それは他方で、利用者の「選択」(choice)と同時に、職員の仕事上の自主的判断に基づく「選択の自由」(discretion)をも保障してきたということである。それはたとえ「ゼロから出発せざるを得なかった」結果であったとしても、おそらくこのことなくしては、あの劣悪な労働条件の中で職員などが頑張ってきたことの説明はできないであろう。それほどの「やりがい」条件を保障してきたことは、十分見ておく必要がある。それはある意味では、もっとも原則的なソーシャルワーカーのスタイルであったとも言い得る。
 このように考えてきたうえで、あらためて先に出された「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」などを読むと、それぞれの指摘はもっともではあっても、読むたびに気になってくるのが、たとえば「利用者の視点」という場合に、そのことがあまりに簡単に「利用者の選択」という言葉に置き換えられ、しかも利用者が市場原理に基づくいわば「競争促進剤」として捉えられている感のすることである。
 だが言うまでもなく、利用者もまた、その心身の障害が多様であるというだけでなく、たとえばその経済的な面なども実に多様であることは、少し「実態調査」に触れれば分かることである。しかも「選択」と言っても、たとえば障害をもつ人々が「自立」しようとするとき、先に見たような家族との距離などを「普通」に考えれば、その選択範囲は相当に限られたものとなる。
 こう考えてくると、サービスの提供者の側と利用者の側と「対等」の関係を、措置制度の契約制度への切り替えが保障すると言ってはみても、市場原理に乗るという命題の貫徹が、逆に利用者の選別・淘汰(「排除」)をももたらすかもしれないということは見通さざるを得ないであろう。少なくとも警戒は必要であろう。
 その点からすると、市場原理の強調といったことよりも、むしろ大事なのは、公的な責任に支えられた、サービスの提供者の側の、サービスを充実させ、「選んでもらうにふさわしい」ものを創り上げていくための、安定した財源措置、先に触れた職員の「自由と責任」といったことではないか。そしてその実現のプロセスへの、利用者、家族、関係者らの参加の保障といったことではないか。小規模作業所の積み上げてきた歴史は、そのことを示唆しているように思われる。

(あおきおさむ 北海道大学教育学部教授)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1999年6月号(第19巻 通巻215号)