障害のある子どもたちは、いま vol.12
仲間の中で育つT男
―3歳児クラスの統合保育実践―
白沢真喜子
はじめに
1978年4月、社会福祉法人希望会は、あすなろ保育園を開園しました。当初は定員60人でしたが、79年4月に90人に定員を変更しました。その後の出生率低下により92年4月、再び60人定員に変更しました(当時の出生率53%)。
あすなろ保育園が統合保育を始めるきっかけは、開園後まもなく、脳性マヒの男の子をもつ父母の「わが子に保育園の仲間の中でみんなと同じような生活をさせたい」、「家では味わえないいろんな楽しい経験を友達とかかわることでいっぱいさせたい」という熱い思いのこもった強い願いに出会ったからでした。あすなろ保育園は、それを当たり前のことと受けとめ、その子が入園したことをきっかけにして統合保育が始まりました。
その後、障害をもつ子どもたちに、より専門的な分野で療育ができるようにとの考えから、あすなろ教室(母子通園事業)が隣接されました。
また、保育園でも、地域の要求に応える形で障害をもった子どもを受け入れ、あすなろ教室を経た子どもも加えて、統合保育を積み重ねてきました。
ひばり組でのT男の実践
(1) T男の保育目標
ひばり組は男児6人、女児6人、計12人のクラスです。ひばり組は、1~2歳児クラスの持ち上がりということもあり、4月は比較的安定したスタートになりました。
入園時のT男は、発達遅滞と言語認識に遅れがみられました。T男は、1・2歳児クラスに数か月在籍していたことや、あすなろ教室に母子通園していたこともあり、ひばり組の集団に比較的早くなじんでくるものと思われましたが、ごっこあそびや簡単なルールをともなう集団遊びの盛んな3歳児クラスに母子分離のままいきなり入れることを避け、慣らし保育にして、4、5日母子通園してもらうようにしました。
T男は、母親と一緒にいてみんなの中にいる→みんなと時折遊んでは母親を確認する→親を確認するしぐさが消え1日の園生活ができる。という過程を経てひばり組の一員となっていきました。
そこで保母は、T男の当面の保育目標を次のように立てました。
1.仲間からの刺激を受け、発達を支えていこう(特に言語発達に留意して)。
2.食べる・寝る・排せつする・着脱するなどをはじめ、生活のあらゆる面で自立する力を育てていこう。
3.仲間といることが楽しくてたまらない環境をつくり、T男がいるからみんなが優しくなれる、そんなクラスにしよう。
(2) ひばり組でのT男の様子
どこの保育園でも同じですが、3歳児クラスは、自分の思いを言葉で伝えられるようになったことでおしゃべりが花ざかり。そして、自我と自我がぶつかり仲間の中でのトラブルも激しくなります。ひばり組もそのとおりでした。
T男は、そんな中で「やー、やー」と言いながらみんなのそばに行っていました。ただ、課題が難しいと思えるものや、本人が自信がないと感じると、1・2歳児のいる場所へ行ったりしましたが、名前を呼べば、ひばり組に帰ってきていました。「リズム」(音楽リトミック)は、あすなろ教室のときにやっていたこともあって自信たっぷり。“みて みて!”という表情で参加し、ほめると誇らしげな表情をしました。
そんな中で、T男は「あうー」とうなるような声を時折発しました。それは、T男がうれしいときでした。群れて騒ぐような遊びでは、そんな声も気になりませんでした。
(3) 園児同士のトラブルを越えて
6月に入ると、T男のことをしゃべらない・何かおかしい・みんなとちがうと意識し始めた月齢の高い子たちの何人かが、T男のそばに座りたがらなくなり「T男はいやだ。座りたくない」と主張し始め、それがクラス全体に広がりつつありました。その一方で、MやUが、T男の靴を捜すとか手を引くなど、T男を支える姿もありました。そんな姿に、保母は「ありがとう」「やさしいね」「T男よかったね」と声をかけていました。
そんなある日、T男が、さびしそうに1人ぽつんとしていたので、保母がみんなに「ひばりの仲間はだーれ?」と聞き、続けて「○○ちゃんは?」と言うと「ひばりのなかまー」と子どもたちから返ってきました。そこで次々に名前を出していき「T男は?」と聞いてみると、同じように大きな声で「ひばりのなかまー」という声が返ってきました。さらに「そうだよね。T男もなかま。お話がちょっとできなかったり、分からないこともあるけど、みーんな助けてくれるもんね。これからもいっぱい遊んで、いっぱい楽しいことしようね」と言えば「はーい」と屈託ない笑顔の子どもたちでした。
その後、1、2度、T男を避けるできごとはあったものの、自然に消えていき、お散歩で、T男が「なーい、なーい」を連呼すれば「くつさがし」が始まったり、手をつなぐ子も増えました。昼食後には、T男が患者で腕にティッシュをまいて病院ごっこをしていたり、闘いごっこで騒いだり、仲間といっしょの姿が目につくようになりました。
運動会以後、ひばり組の仲間意識は一段と強くなって、T男は、集団での取り組みの中にずっといられるようになりました。
そして、このころから「みて、みて」という言葉が出るようになり、笑い声も増え、明るくなっていきました。
(4) T男の現在の様子
T男は現在、左手に軽い機能障害が残り、指示されなければ動かそうとしません。茶わんなどを持つと落としてしまいます。歩行は、重心が前に傾き、おしりが突き出る格好で、のたのたと歩く感じですが、走る・両足とび・飛び降り等については弱さはあるものの、できるようになりました。
言語については、簡単な指示に対しては行動しようとしますが、課題などの複雑な指示になると「ぼおーっ」として困った表情をします。しかし、やりたい意欲は大きいので「やーやー」と言いながら保母に訴えてきます。入園時「やーやー」ですべてを表現していましたが、運動会以後、次のような一語文が増えました。「まま」「ぱぱ」「ばば(祖父母)」「なーい」「あって(やって)」「みてみて」「はい」「まあ(保母)」「ちょう(ちょうだい)」「いーて(入れて)」「いや(いやだ)」「あった」「あめ」。
自己主張もするようになり、指示されると「いや」と言いながら首を振るようになり、甘えた表情もみられます。仲間同士の関係も対等になりつつあり、トラブルもよく起きます。
園生活を送るうえでも、基本的生活習慣は、欠かせないものですが、食べる・寝る・排せつする・着脱するなどは、他の園児よりはゆっくりですが、みんなといっしょにできます。おもらしもほとんどなくなり、食後自分からトイレに行くようになりました。
T男の生育歴
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実践を通した統合保育の課題
最後にT男との保育実践から学んだことと、そこからみえてくる課題について述べたいと思います。
T男が、あすなろ教室で1歳という早い時期からの保育経験があったことは、3歳児クラスに入るうえで大事なことでした。また、あすなろ教室で母子通園していたことは、日々の保育(療育)に対する父母の理解を早め、より深めることができました。保育園でも父母と園が子どもを真ん中にして、保育のあり方や細やかな日々の保育実践をお互いに理解し合うことができました。これは「見える保育」の大切さと言い換えてもよいと思います。
T男は、3歳児クラスの中で、特にあそびを通して見ると単なる「群れの中の1人」から、「役割をもった存在」(病院ごっこあそびなどを通じて)になっていき、その中で発声することから言葉が生まれています。この過程を促す実践内容を豊かにし蓄積していくことが今後の課題になると思います。
(しらさわまきこ あすなろ保育園保母)