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沖縄
DPI女性障害者ネットワーク

長位鈴子

 1999年2月11日~12日の2日間、沖縄県宜野湾市で「DPI女性障害者ネットワーク」を開催し、無事終了することができました。沖縄県自立生活センター・テベの会スタッフ、実行委員会一同、ホッとしたことはもちろん、今後の活動につながるような一歩になったと感じています。
 沖縄という島は皆さん「いい所」というイメージがあると思いますが、住んでいる障害者にとっては、見た目と実際とでは大きな違いがあり、「いい所」で片付けられない思いがありました。そこで、東京に出かけた時にぜひ沖縄でDPIの会議をと、DPI事務局に呼びかけました。
 沖縄開催決定と同時に、テベの会のスタッフだけでは人手不足ということで、実行委員会形式にすることになり、沖縄国際大学の岩田直子さんといろいろと話を詰めていきました。
 当初、県外より30人、県内より20人の予定で進めていましたが、インフルエンザの流行で県外の参加者は9人との中間報告を受けました。しかし、迎える側としては電動車いすの交通手段がぜんぜんないことや、宿泊場所も大勢の障害者に対応できない施設(トイレや風呂場)ということで、県外の参加者に迷惑をかけるのではないかと思っていました。9人と聞いたときは「この人数ならなんとかやれる」と思い、1か月半という短い期間で、できる限りの準備を進めてきました。
 今回の会議のポイントは、「県内の仲間にどういう方法で参加させるか」「沖縄の生活水準に合わせた値段設定」ということでしたが、計画を進める中で、次のようなアイデアが生まれました。

●移動手段は社会福祉協議会にお願いし、参加者は社会福祉協議会コーディネーターと細かい時間調整などの交渉をしていく。
●参加費と介護料の二重負担をボランティアを依頼することで抑える。
●多くの団体・個人に協力してもらうことで経費を抑え、なおかつスタッフ一人ひとりにかかる仕事量を減らす。

 当日は県外から9人、県内から9人、スタッフ・ボランティア合わせて30人ほどで会議が進められました。まずは、自己紹介から始まり、1.名前、2.どこから来たか、3.DPⅠセミナーに参加する目的、4.自分を楽しませるものは何、の4項目をそれぞれが発表しました。県内と県外の参加者では、おおまかに参加目的が二つに分かれていたように思います。
 県外からの参加者は「沖縄の会議の後、観光します」
 県内からの参加者は「DPIという言葉を聞いたのも初めてで、目的も分かりません。呼びかけに対しおもしろそうだったから参加しました」
 この話を受けて、DPIの常任委員である樋口恵子さんは、DPIについて詳しく説明をしてくれました。
 それによると、1981年にインドで世界の障害者が集まり旗揚げをし、4年に1回世界会議を開催。第2回バハマ会議で女性障害者の革命が起こった。理由としてはきれいな女性のファッションショーに対し、「女性の美しさをDPIの会議で、ましてや障害者問題を語る人たちが女性をこういう位置付けで見ていいのか!」と抗議し、障害者問題を男性上位で進めていくのではなく、男性も女性も一緒に考えていくことで決着し現在に至っている。しかし、まだまだ男性と女性の考え方の違いも多く、この問題を機会に、新たにDPI女性障害者ネットワークを発足させ、1年に1回、宿泊学習をあちこちで開いている、とのこと。
 地方に行くと本来の目的から外れ、自立生活センターのようなカウンセリングの場にもなるようですが、「一人ひとりがもつ悩みをみんなの経験で解決していけばいいんじゃないかな」と話す樋口さんに頭が下がりました。
 交流会では沖縄を味わってもらおうと、沖縄の「エイサー」を「沖縄ダルク」(薬物依存のリハビリのグループ)の方が力強く太鼓を叩きながら踊ってくださり、さらにウチナー料理(沖縄料理)で楽しく2時間を過ごしました。
 2日目の会議は、女性として障害者として感じた差別について話し合いがもたれました。会議の雰囲気が安心できる場であったせいか具体的に傷ついたことを、一人ひとりから出され、5時間があっという間に終わり、閉会式となりました。
 参加者からは「こんなに自分のことを話したのは初めての経験です」「みんなが同じ経験をしていたことに安心しました」などの声がきかれ、新しい自分探しに帰っていく仲間を見送りました。私たちの活動が元気づけられた有意義な2日間でした。

(ながいれいこ 沖縄県自立生活センターテベの会)