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ワールドナウ

モロッコ
モロッコ異国情緒の旅
―盲目の老人が歌う愛の歌―

池田明子

 今住んでいるニューヨークから北アフリカのモロッコへ行く機会に恵まれた。現地での滞在は10日間だけだったが、世界各国を相手に仕事をする国連機関に勤務する者として、モロッコの障害者問題にも携わったことがあったので、現地で見聞したことなどをまとめて紹介したいと思う。
 モロッコ王国は、ハッサン二世を国王とする立憲君主国家で、イスラム教が国教となっている。1912年から56年までフランスの保護領であったが56年に独立する。人口は約2600万人、そのうちの約6%が障害者と言われている。
 現地へ発つ前、モロッコの障害者関係について調べているうちに、一つの歌に出会った。マラケシュ(モロッコの第3の都市)のジャマエルフナ広場には、夕方になるとたくさんの人々が集まって来る――蛇使い、魔法使い、物売り、そして数々の屋台。次の曲は以前、その広場で歌っていた1人の盲目の老人の愛の歌だ(参考文献1)。

  「私の目の中に」
 私の目の中に嫉妬心をみたか
 それはどこからきたのか
 もし君が私の視界から
 永遠に消えてしまったら
 私は一体どうしたら
 いいのだろう
 アッラーの神よ
 私を君の視線から
 守りたまえ……
       (筆者翻訳)

マラケシュ(赤の街)より

 モロッコの南部、サハラ砂漠の一歩手前にあるマラケシュは11世紀より王朝として栄えた古い都だ。マラケシュがなぜ「赤い街」と言われているかというと、その土地から採れる土が褐色で、その土を使って街づくりをしたので街全体が赤く見える、とガイドは説明した。その赤とアトラス山脈と緑のヤシの木のコントラストが美しい街である。
 メディナと呼ばれる旧市街は道が長く狭い。道の両側には、肉屋、八百屋、菓子屋、雑貨屋がひしめく。人々の波に押され、子どもに冷やかされ、ロバにぶつかったりしながら歩くとかなり疲れてしまう。周囲20キロメートルにわたる広大なメディナは、われわれ異国の旅人にとっては「迷路」のようだ。
 マラケシュのメディナでは、何世紀も前から人々は昔のままひっそりと暮らしている。もちろん、舗装とか街灯とかいうものは全くない。3日間メディナの中をほっつき歩いたが、車いすの人は1人も見なかった。ただ松葉杖で危なっかしそうに歩いている男性は何人か見た。ある時、水いっぱいのバケツを持った1人の盲目の老婆とゆっくりすれちがった。杖も付添人も何もないのには驚いた。私たちにとってみれば広いメディナ、彼女にしてみれば狭いメディナ、そしてメディナは自分の庭なのだろう。水を一滴もこぼさず、その歩き方には、自信さえうかがえた。
 盲目に関して興味深い話を二つ聞いた。メディナの南区にはバーヒア宮殿と呼ばれる宮殿がある。19世紀末に建てられた、細かいモザイク模様と美しい庭をもつパレスだ。その中にはいくつもの部屋――4人の妻と24の側女たちの部屋(ハレム)――があり、女たちが娯楽のために使った大きな部屋があった。大きな部屋の前方には教壇のような台があり、昔はそこに演奏家たちを呼んで、音楽の夕ベがあったとガイドが説明した。「ただ一つ変わっていたのは、その演奏家たちがすべて男性で盲目だったということです」と言った。男性は「女性の部屋(ハレム)」を見てはならなかった、という理由からだった。モロッコ人女性の社会学者メルニシ氏によると、ハレムとは欧米諸国によって解釈されるような「性的奴隷」「エロティシズムの極地」ではなく、男性と区別した「女性のみの空間(スペース)」だったという(参考文献2)。その空間は、ある特殊な理由以外を除いては、男性の立入は一切禁止、それは女性だけの神聖な場所だった。

フェズ(緑の街)より

 赤の街マラケシュに対し、フェズは緑の街と呼ばれている。オリーブ畑があるからだそうだ。確かにフェズ地域一帯は、たくさんのオリーブが採れ、それも質のいいおいしいオリーブの実で有名な地域だと聞いた。そしてフェズには世界最古で最大のメディナがある。丘に登って一望してみたが、「迷路」というよりは、とても広くて、旧市街だけがたとえば新宿区のような、ひとつの独立した区のようだった。
 フェズのメディナに14世紀に建てられた大規模な神学校があると聞いた。神学校とはいえ、また外部の人々のお祈りの場所としても使われていた(現在はモスクとしての使用のみ)。この神学校の見所はすばらしいモザイクのタイルとミナレット(塔)だ。約500メートルほどのミナレットは、実は障害のある熱心なイスラム教信者にとって“やさしく”できているのだった。塔には、三つの丸い鉄のボールがついていて、お祈りの時間になるとこれに火が灯る(ランプの油がないときは、旗が出される)。熱心なイスラム教信者は、1日に5回のお祈りを義務とするが、普通の人はたいていスピーカーの音でモスクに集まって来る。しかし耳の不自由な人にとっては、いちいち時刻を教えてくれるものがないからこれは便利なのだ。
 ここで、現地で活動しているひとつの非政府団体(NGO)を紹介したい。
 「若い人のための障害者団体」(Alliance Marocaine des jeunes handicapes:以下AMJHという)というNGOは、ムスタファさんとサイダさんが力を合わせて、1997年に設立した団体だ。2人とも顔の表情は明るいが、彼らには痛々しい幼児期の思い出がある。ムスタファさんは、赤ちゃんのころ(日本のように)母親の背中におんぶされていたとき、突然おんぶしていた布が切れてしまい、地面にたたきつけられてしまった。それ以来彼は、杖をついている。一方、サイダさんは4歳のころ交通事故で右足にひどい怪我をして、ギプスをはめている。
 AMJHには現在、約130人ほどの会員がいる。彼らの手元には毎日、たくさんの手紙が届く。障害者のための資金援助、車いす、杖の要請などだ。たまには相談ももちかけられるが、内容によってはどうアドバイスしたらいいかわからないほど悲惨だ、とムスタファさんは言った。ついこの間もちかけられた相談は、血族結婚で生まれた子どもが4人とも奇形児で、5人目は健常児をと期待して生んだところ、また奇形児だったのでどうしたらいいか、といった内容だったらしい。モロッコの典型的な貧しい田舎の家庭からの手紙だ。「血族結婚だと生まれてくる子どもに奇形の恐れがあるとも知らずに5人も生んでしまうという無知は、全く同じモロッコ人として悲しい」とムスタファさんは語った。
 イスラム教徒の女性そして障害者として、サイダさんの意見を聞いてみた。「モロッコの障害をもつ女性には二つの障害があります。一つは、障害者だということ、二つ目は、女性だという障害です。この二つの障害のため、生まれてから一歩も家の外へ出たことのない女性を私は個人的に何人か知っています。外で“物乞い”もできない人生ってありますか?」。
 障害をもった女性は、美しい年頃の女性でも外出できず、自由に恋愛もできず、男性を好きになることも知らず、年をとっていって、だれにも目を向けられることなく、ある日ひっそりと死んでいくのだろうか。私のセンチメンタルな問いにサイダさんはこう答えた。「モロッコのように、結婚が女性の人生でもっとも大切なものとする国では、障害者同士の結婚が一番適当だと思います。それは、お互いを一番よく理解できるのは、やはり障害者同士だからです」。
 障害をもつ男性が障害をもたない女性と結婚する率のほうが、その逆のケースより高いとよく言われるが、それについて男性のムスタファさんに意見を聞いてみた。「やはり普通の男性は、女性に家事や子どもの世話を期待するからです。健康でないと家事も子どもを生むこともできないと思っている男性がとても多い。そして一番心配するのは、健康な子どもをたくさん生んでくれるかどうかなのです。障害をもつ女性だと、生まれてくる子どもにも彼女の障害が出る可能性があるかもしれない。しかし、障害をもっていてもある程度家事はできるし、健康な子どもだって生むことができるということを知らない独身男性が多いのです」。
 この若い2人は、インタビューの最後に、これからもモロッコの他の障害者のためにさまざまな活動を計画し、実行していきたいと語った。彼らの最初の夢は、障害をもつ子どもたちの学校をフェズに建てることだそうだ。そしてさらに喜ばしいニュースは、この2人が9年間の交際を経て、最近婚約したことだ。

旅の最後に

 旅の最後の日の前日、もう一度フェズのメディナの近くに行った。ブージュード門(旧市街への入口)から入ろうとしたが、何百年と人々が生活しているリズムを、外国人の私が再度足を踏み入れることによってぶちこわすようでためらわれた。正直言って、ロバに注意して狭い道を歩くのも、1日中ひまそうな客を待つ男たちにじっと見られて歩くのにも少々疲れていた。しかし、メディナのうずめく音を聞きたかった。それは、ひっそりとした、静寂に近いものだった。30万人もの人が暮らしているにもかかわらず……。
 小鳥のさえずり、人々の話し声、家の門を静かに開ける音、バブシュ(モロッコ風サンダル)のバタバタという音…。一体、この広いメディナの中に何人の障害者が、全くこの世に存在していないように生きているのか。障害があるために外出できない女性、愛する男性の顔を見たくても目が見えない女性、そして重度の障害をもつ子どものいる貧しい家庭…。フェズのメディナはあまりにも広く、そのかすかに聞こえてくるざわめきさえも、いつのまにか小さく遠いものになってしまった。

(いけだあきこ ニューヨーク国連事務局)


【参考文献】
1 Morocco――Crossroads of Time(CD and Book)Ellipsis Arts,New York,1995
2 Mernissi,Fatema:Etes-vous vaccine contre LE HAREM?
Editions Le Fennec,Casablanca,1997