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会議

日米自立生活ネットワーク構築と
カナダ障害者運動探求の旅

鮎川太一

はじめに

 今回の旅行はJIL(全国自立生活センター協議会)の主催で行われた。主な目的は、ワシントンDCで行われたNCIL(全米自立生活協議会)の総会に参加し、日本の障害者運動の現状を発表することと、カナダ・トロントの自立生活センターの見学であった。参加者は総勢28人、うち障害をもつ参加者は16人だった。日程は6月23日から7月1日の7泊9日で、ワシントンDC滞在が6月23日から27日まで、カナダのトロントには27日から30日まで滞在したが、その内容を報告する。

NCIL総会

 会議はワシントンDCのルネッサンスホテルで6月の23日から27日まで行われた。私たちが参加したのは24日から26日の3日間であった。この会議の参加者は、連邦政府の官僚や全米の自立生活センターの職員など総勢750人に及んだ。会議の期間中は、全体会や分科会、そしてデモ行進などが行われ、全体会ではADAが施行されてから約9年間の流れや現在の状況が報告された。また、分科会では、各州や地域の現状が報告された。JILも今回初めて分科会で発表する機会を得て、日本における自立生活運動の歴史的な流れや現状を報告した。
 今回の会議のねらいは、各参加者の抱えている小さな問題の報告や、他の当事者との積極的な意見交換により、参加者全員が自分たちを取り巻く状況を把握することによって共通点を見出し、それをムーブメントとしての大きなパワーにするところにある。各参加者には総会で得た情報やエネルギーを地元に持ち帰り、各地域での自立生活運動を活性化させるのに役立たせることを期待するものであった。
 デモ行進は2日目に行われ、ルネッサンスホテルから国会議事堂があるキャピタル・ヒルまでの行進であった。アメリカでデモ行進に参加してみて思ったのは、日本のデモ行進のような堅苦しい雰囲気ではなく、参加者は皆笑顔で自らの権利を主張しながらゆっくり進み、和気あいあいと談笑していることである。また、大通りの何か所ものポイントを通行止めにし、市民の足に影響が出ているにもかかわらず、声援を送ってくれる人々やクラクションを鳴らしてくれる運転手もいて、まるでお祭りのようであった。そして、キャピタル・ヒルの芝生の上で各々配られたサンドイッチを食べ、ピクニックのようでもあった。
 最終日の前日には、全体会議で使っていたホールでディスコパーティーが開かれた。車いすで踊るというのはあまりなじみがなく、自分としては初体験であった。手を引かれてステージまで行っても、どうすればいいか分からず、しばし呆然としてしまったが、周りの人たちが踊るのを見よう見まねでやっているうちに身体がリズムに合わせて動くようになり、いつの間にか周囲にとけ込んでいた。言語ではなく非言語によるコミュニケーション! 一緒の空間で踊っているうちに私は、多民族国家アメリカで自立生活運動がムーブメントとして大きく推進できたのは、皆で踊るということが一役買っているのではないだろうかと思った。

CILT

 カナダ・トロントでは、CILT(自立生活センタートロント)の見学とナイアガラの滝の観光をした。トロントはオンタリオ州都であり、人口430万人を抱えるカナダ第1の都市でもある。しかし、車いすでのアクセスはあまり良いものではなかった。交通機関は軽快なアクセスで、車道から歩道への段差もほとんど感じなかったワシントンDCから来たためか、トロントでは路面電車の線路にキャスターがはまりそうになったり、車道から歩道への段差を煩わしく感じた。そのようなことが障害者を取り巻く環境にも現れているようだった。
 CILTで実施されているプログラムは、大きく自立訓練プログラムと情報紹介プログラム、ダイレクトプログラムの三つに分かれている。その中で最も注意を引いたのがダイレクトプログラムであった。
 ダイレクトプログラムとは介護サービスに関するもので、従来からある派遣型、巡回型のプログラムをさらに進めたもので、1994年から試験的に行われ、97年に正式に制度化された。これはダイレクトファンディング方式と呼ばれ、障害者自らが国の助成金を得て雇用者として、そのお金で介助者を雇うものであるが、この場合、介助者は障害者と直接、雇用契約を結ぶ。マネージャーとして登録されると自ら介助人を探し、訓練し、雇用する。そして3か月ごとに会計報告を提出する。CILTはこれらマネージャーをサポートし、責任をもってそのマネージャーを保障するというものである。
 この制度のメリットとしては経費が安く、障害者自身の満足度も高いということがあげられる。しかし、この制度を利用できる枠は現在100人分しかなく、2002年には700人にまで枠が広がる予定であるが、登録にあたって正しい評価がなされるのかどうか疑問である。この制度を成功させるには、きめ細かで組織的なバックアップが必要であることは間違いない。

この旅を経験して

 今回の旅行に参加して感じたことは、アメリカの障害者を取り巻く環境が日本より進んでいることはもちろんだが、アメリカの障害者が、その現状に決して納得はしていないということであった。日本の障害者にとってADAはその生活や権利を守る万能の道具であるとの認識があるが、実態は、地域によってはその効果もかなりばらつきがあり、私たちが思うほど効果をあげているというわけではなかった。
 日本では「権利は与えてもらうもの」という意識があるが、アメリカでの自立生活運動を見てつくづく、「権利は勝ち取るもの」だと感じた。どんなに当事者にとって有利な法ができても、それを効力があるものとするには当事者の運動が不可欠である。しかし、その運動を大きくし、一般的なものにしていくためには「楽しむ」ことが大変重要だと感じた。
 今年、国連が出したレポートの中に“1999 UN Human Development Report”がある。これは国連が世界174か国を対象に「人間が住むのに当たって、最も魅力的な国はどこか?」というテーマに基づいてランキングが報告された。この調査の項目内容は「医療・健康・福祉」「将来への期待」「学業、就学率の高さ」「給与水準」であるが、結果として1位がカナダ、2位ノルウェー、3位アメリカ、そして4位は日本であった。これには驚きを感じた。しかし、障害当事者にとって日本は、果たして何位なのだろうかと、ふと考えさせられた。

(あゆかわたいち 淑徳大学社会学部社会福祉学科4年)