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シリーズ 働く 49

「いいざか作業所」を訪ねて

佐々木修

はじめに

 「地域の中で働き、自分らしく生きたい」という障害者や家族の願いは少しずつ実を結びつつあります。なかでも小規模作業所は、そんな願いをかなえるもっとも身近な存在ではないでしょうか。
 福島駅から列車に揺られること約20分で終点に着くと、そこはいで湯の里福島を代表する温泉街、飯坂温泉です。商店街を歩いて3分ほどで、NTT飯坂支店が見えます。その敷地内にめざす「いいざか作業所」はありました。
 指導員の中丸良彦さんによると、なんでも会員にNTT社員がいたことがきっかけで、車庫兼倉庫だったプレハブの建物を改造してのスタートとなったそうです。
 中丸さんは開所から中心的に携わってきた方で、福島県の特殊教育界における重鎮とお聞きしていたので、筆者はとても緊張していましたが、温かく迎えていただき、いろいろな話をお聞きすることができました。

いいざか作業所のあゆみ

 いいざか作業所は平成7年4月に「福島市手をつなぐ親の会」によって設立されました。市内で四つの作業所を運営していますが、親の会が設置した中では一番新しい作業所です。
 現在、いいざか作業所は利用者13人、指導員3人で構成されていますが、「雇用されることが難しい障害者が、作業や社会生活を通して自立への意欲と力を身につける」という受け入れ方針のもと、定員以外でも、不況で解雇された人や学校からの実習生を柔軟に受け入れています(年間10人程度)。
 これは、養護学校卒業者の受け入れ先が少ない中、せっかく教育・訓練を受けて働いていた人でも、活躍する場がないと生活のリズムが崩れ、働く意欲が失われていく場面を幾度となく目にしてきた中丸さんの願いから、このような運営方針をとっているそうです。

それぞれが役割をもって「はたらく」こと

 作業内容としてはさほど特徴的なものはありませんが、いいざか作業所では、利用者の能力に幅があり、かなり重度の人も受け入れています。
 大半は知的障害者ですが、身体障害等の重複障害を有する人も受け入れています。そのため、運営はそれぞれができる能力を活かして働くことによって、役割を担い、それを生きがいにすることを重視しています。
 筆者が訪問した時は、建物の外でぼかし(米糠を原料とした生ゴミ発酵材)の袋づめ作業を行い、作業室では、地元デパートの贈答用のハンカチ入れ紙器を折っていました。
 ぼかしの袋づめは、大袋に入ったぼかしを1.スコップでおおよその量を袋づめ(その人のすくい方を見ながらスコップ何杯ぐらいと決めておく)する、2.はかりで計量し、500グラムになるよう量を加減する、3.圧着機で封入、4.出荷用ダンボールに梱包する(数えなくとも重ねる段数で計数できる)といった流れで行います。2.の作業を行える人がいれば、あとは作業にちょっとした工夫をこらすことで、知的障害が重度で数や量が苦手な人でもできるようになっています。
 このようにして、いいざか作業所では、どの作業でもそれぞれが役割をもって「はたらく」ことができるようになっており、それぞれ自分のペースで仕事を進めています。
 当然、人によって作業の速さが違ってきますが、中丸さんが遅い人の間を動き回りながら気さくに声をかけてサポートするため、皆、リラックスした表情で取り組んでいるのが印象的でした。
 このぼかしはいいざか作業所だけでなく、親の会が運営する作業所すべてで販売しており、人気が高い商品の一つなのですが、仕事量が少ないのが難点です。
 利用者への工賃は、年齢給の形をとっており、通所年数に応じ高い人で月5千円~7千円を支給しています。「できれば月給2万円は支払えるようになるといいのですが…」との言葉に、小規模作業所の置かれた厳しい一面を垣間見た気がしました。

企業就労への挑戦

 このようにして、いいざか作業所はそれぞれに応じた働く場所を提供してきました。
 しかし、次第に利用希望者が増え、また、利用者に具体的な目標をもたせたいとの願いから、働く場を作業所の外に広げる活動も行っています。
 これまでも地元商店街の街おこしイベント「夜店村」などで定期的に販売を経験させたり、事業所見学を行ったり、また指導員が利用者に同行して安定所を訪問するなど就労に向けたさまぎまな取り組みを行ってきました。しかし、残念ながら就職には至らない状況で、何とかして就職者を出したいとの中丸さんの思いを、当センターが伺ったこともありました。
 T君は開所当時からの利用者で、作業所の中で常にトップの作業ぶりで、就職に対する意欲も旺盛です。しかし、慣れない場所への不安が強く、また自分の意思を言葉で表すことが苦手なため、実力を発揮できるかどうか、また職場に適応できるかどうかが心配でした。
 そんな折、福島でも「小規模作業所との連携による職域開発援助事業」(対象者が通っている作業所に、企業での実習における生活支援を委託する事業)が開始され、当センターとの連携による、一般就労に向けたチャレンジが始まることになりました。
 途中、体調不良を理由に無断欠勤したことがあり、周囲を心配させましたが、本人が信頼している中丸さんがパートナーとして職場に同行して支援を行うため、安心して仕事に取り組むことができるようになりました。
 現在、実習も後半に入り、採用も視野に入れた話し合いが行われており、作業所からの就職第1号も夢ではなくなってきました。

いいざか作業所のこれから

 中丸さんは養護学校時代から一貫して、卒業後働く場所としての作業所設立を訴えてきました。そして現在も親の会会長として、作業所設立に向け精力的に動いておられます。そんな中丸さんに、今後の取り組みや願いについて語っていただきました。
 「いままでは障害者の居場所としての作業所をつくることを目標にやってきました。これもまだまだ十分とは言えませんが、これからはさまざまな年代の利用者・家族の要望にも応えていく時期だと思います。特に、彼らの生活を支える家族が高齢化して支えきれなくなった時の対応を考えなくてはなりません。親の会としては、平成14年に生活ホームを建設することを目標に、現在、社会福祉法人設立に向けて活動しているところです。現実はなかなか厳しいですが…」
 そう話す中丸さんは今年72歳。まだまだ意気盛んです。人の若さは年齢ではなく情熱なんだ、ということをつくづく実感しました。
 なお、作業所から企業就労に移る際、離職しても戻るところがないのでは、と心配する家族も多いと言われますが、ここでは前述の柔軟な受け入れ方針を活かし、いつでも戻ることができるそうです。これならば安心して企業就労に挑戦できます。
 これからも、さまざまな職業的能力をもつ人の働く場として、そして、これからは企業就労への支援の場としても願いをかなえていくことでしょう。そんな期待に胸を熱くしつつ、いいざか作業所をあとにしました。

(ささきおさむ 福島障害者職業センター)