音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

文学にみる障害者像 50

広津柳浪著
『変目伝』

岩沢伸子

 変目伝とは、主人公伝吉のあだ名である。
 「身材いと低くして、且つすべてを小さく生れ付きたり。」「顔は丸顔にして、鼻は形よく、口元に愛矯あれども、左の後眥より頬へ掛け、湯傷の痕ひッつりになりて、後眥を堅に斜めに釣寄せ、右の半面に比ぶれば、別人なる如く見ゆ。」これがあだ名の由来である。口の悪い子どもたちには、蜘蛛男、一寸法師と呼ばれる。
 伝吉は、東京神田淡路町で洋酒の卸小売店、埼玉屋を営んでいる。大きく商うというほどではないが、店に小僧1人を使うほどではある。真面目に働き親孝行もしている。
 歳は27で、母親と暮らしている。母親は息子の独身を不憫に思って結婚を勧めようとするが、伝吉は、世間から変目伝、蜘蛛男と呼ばれるような自分を亭主にする女があるものかと取り合わない。しかし伝吉には、意中の人があった。
 その姿の小さく醜いことから幼い時より友達にのけものにされ、軽んじられることが悔しくて、奉公先では人一倍働いて主人の信用を得、早くから独立することができた。商いはそれなりに成功し、貯えもできて、母親を喜ばせている。だが、わが身の人並みでないことから、男女の恋愛には憧れても、自分にはないことと諦めていた。幼い時から人から蔑まれることに慣れた目には、相手の心が自分を好く思っていないことがすぐ分かる。所詮自分は独身を貫くものとして生まれたのだと決めてはいても、恋愛に対する憧れはどうにもできないでいた。
 仁壽堂は、埼玉屋の第1の得意先で、主人の勝之助とは、伝吉が洋酒問屋に奉公していたころからの親しい付き合いである。
 伝吉は、勝之助の妹お濱に恋をした。
 ある夕方、仁壽堂を訪ねた伝吉は、「今日はお濱の誕生祝いだから一緒に祝ってくれないか」と奥に誘われる。飲めない口なのに祝いだからと辞退できずに杯を重ね、もう飲めないと断ろうとした時、傍にいたお濱は、もう一杯すすめようと、伝吉の手を握る。
 女に愛されず、優しい言葉もかけられないと諦めていた伝吉に、お濱は、情のあるような言葉をかけ、手を握りしめることまでした。16歳、明るい性格で「花の蕾の笑み」を浮かべているお濱。伝吉は心を奪われた。
 伝吉は、お濱との仲を取り持ってもらおうと、勝之助とお濱のいとこ定二郎を頼みにする。これが伝吉の堕ちていくもととなった。
 定二郎は、修業のため仁壽堂にきており、伝吉とも親しく話す関係にある。しかし、真実伝吉とお濱の仲を取り持とうなどとは思っていない。伝吉には、お濱が気のあるようなことを言って喜ばせる。伝吉はその言葉を真に受けて、この恋がかなうのではないかと思い、定二郎には食事を振る舞ったりする。そうした付き合いを重ねるうちに、定二郎は、吉原の遊廓に伝吉を引きずり込む。初めは気の進まなかった伝吉であるが、後には、自ら定二郎を吉原へ誘うほどに溺れてしまう。費用はすべて伝吉持ちだ。瞬く間に伝吉の貯えは底をつき、家も店も借金の抵当に入れてしまう。そして借金返済の期限が迫る。
 独立して店を構え、貯えもある伝吉は、身体的なハンディとそれによる差別を経験している。周囲の差別的な態度に、それを見返してやろうという気持ちで努力したことにより、今の地位を得ることができたのだ。正直で、人と争うこともせず、だれからも憎まれることのない人物である。しかしその外見を、子どもたちは「変目伝」と言ってはやしたて、大人たちも気味悪がっているという哀しみはどんなに深いことだろう。伝吉は、だれを恨むこともなくその哀しみにひとりで耐えて生きてきた。酒の席とはいえ、お濱に優しい言葉をかけられて、伝吉の心には光がさしたことだろう。
 さて仁壽堂の人々は、伝吉をどのように見ていたのだろうか。
 勝之助にとっての伝吉は、昔から知っている商売の相手である。商売人としての伝吉の力や、働き者で親孝行であるといった人柄を認めている。伝吉の母に対して同情もある。伝吉の身体が小さくて顔に傷があるということは勝之助の中で問題とはならないだろう。
 お濱にとっての伝吉は、兄勝之助の親しくしている商人である。外見はよくないが、兄の態度からも軽蔑してはならない人だと感じていただろう。しかし、恋愛の対象になるかといったら、そうではない。
 定二郎にとっての伝吉は、前述の2人とは変わってくる。あからさまに蔑んだりはしないし、友達のように付き合っているようであっても、伝吉を下に見る気持ちが強かったのだろう。伝吉のお濱に対する気持ちに気付いたとき、定二郎は馬鹿にするつもりでからかい半分に伝吉を騙す。それをきっかけに、伝吉が身を滅ぼすことになってしまうとは、予想できなかっただろう。しかし、定二郎にとって伝吉は、辱められてもいい人間だったから、憎いことはなくても、騙して金を取り続けることができたのだ。
 定二郎の伝吉観は、異質なもの、異形のものは軽んじてもいい、というものである。定二郎は、悪役として登場するが、世間の見方を代表するものでもあろう。あからさまに差別的態度をとらないとしても、心の内ではその人を認めないという態度が当時の一般的なものであったのではないか。
 結局、伝吉は金を工面できずに、金を貸してもらうつもりであった質屋の番頭を殺してしまう。定二郎に騙されたことは知らないままである。
 作者は伝吉を堕としていく。ずるずるとどこまでも駄目にしてしまう。真面目で純情ないい人なのに、結局は人殺しまでさせてしまう。あるいは、人殺しをするような底力のようなものを与えてしまうのだ。
 作者の広津柳浪は、『変目伝』をはじめとする深刻小説、悲惨小説と呼ばれる作品で人気作家となった。『変目伝』は明治28年の作である。
 明治30年前後の日本は、殖産興業政策のもと産業構造が変化した時期で、窮乏した農村からは多くの貧困者が東京や大阪などの大都市に流れ込んでいた。各地に形成されたスラム街では、行商や人足などで日銭を稼ぐ人々が暮らしていたという。現在のような生活保護制度などない時代であり、最後の手段として身売りが行われていた。
 文明開化という光がある一方で、その光の届かない社会の暗部に広津柳浪は目を向けていた。『変目伝』以降に発表された小説にも、貧民街や遊里で貧困に苦しむ人々を描いた作品が多い。作中人物は不幸で、救われることがないのである。
 障害をもつ伝吉は、暗闇の住人として登場する。伝吉の何が「悲惨」だったのか。自分には男と女のことはないと決めていたのにお濱に恋をしてしまったことかもしれない。孤独に耐えなかったということが、伝吉をさらなる暗闇へと堕としてしまう。
 やがて伝吉は殺人罪で逮捕される。
 定二郎によると、取調室から出て定二郎と顔を合わせた伝吉は、「差入物を、何卒お濱さんにと、たツた一言云つた」。
 お濱からの差入を最後の心の慰めにするつもりで伝吉は、定二郎に頼んだのだ。そこまでお濱のことを思いつめていたのだろうか。勝之助とお濱の許しを得て、翌日、定二郎は監獄署へ行きお濱の名で伝吉へ差入をすると、伝吉はうれし泣きに泣いたという。その後間もなくして、伝吉は絞罪となった。

(いわさわのぶこ 会社員)


【引用文献】
 広津柳浪「変目伝」岩波文庫『今戸心中』、1998
【参考文献】
「広津柳浪・和郎・桃子展」図録、財団法人 神奈川文学振興会、1998
 松原亮「変目伝」、障害者の歴史を考える会レポート、1997