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ケアについての一考察 第9回

見直そうヘルパー制度

 高山好実

 私は、1日24時間の介護が必要な全身性障害者です。歩くことも服を着ることも脱ぐこともできないし、食事を作ることも食べることも排せつも電動車いすへの乗り降りも何ひとつ1人ではできません。日常生活にかかわるすべてのことに介助を必要としています。
 私が自立生活をしたいと思い始めたのは、母が60歳を超えたころでした。私は16歳から23歳まで長期入院をしていました。退院して母の高齢化と私の体が大きくなってきたことから、母にかかる負担が多くなっていきました。そのころから母の体調が悪くなって寝込むことも多くなり、私も車いすに乗れずベッドに寝ていることが多くなりました。またトイレ(排せつ)がしたくなると、寝ている母へ声を掛けなければいけません。青白く、辛そうな母の表情を横目で眺めながらトイレ介助をしてもらわなければいけない時、とても辛い気持ちになりました。
 そんな時、いつも思うことは「私の介助を母ができなくなったら、いったいどうなってしまうんだろうか?」という不安でした。施設だろうか。病院だろうか。「そんなところに入りたくないと言っても私自身の思いなんか、どうにもならないんだろう」という気持ちになっていました。そんな私は、自立生活をしている友人の話を聞いて、自立生活への決心を固めました。
 現在、私は強直性脊椎炎という病気で毎日薬を飲んでいます。激しい痛みの時は、朝夕の食後に服用する痛み止めの薬のほかに座薬を使うこともあります。しかし、薬を使っていても病気が治るという訳ではないのです。一時的に痛みを押さえているだけで、これからも飲み薬や座薬を使用していかなければなりません。
 私が自立生活を始めたころにヘルパーの派遣先の方と話したことがありました。飲み薬や座薬の服用について、ヘルパーが座薬を使用する場合は「事前に連絡さえしてくれればいいです」と言ってくれました。ところが座薬を数回してもらった後「医療行為だから痛み止めの飲み薬に変えてもらえないか」と言われ、仕方なく従いました。ところが、しばらくしてから「飲み薬も医療行為なのでできない」と言われました。私は本当に腹だたしい思いになりました。
 いったいだれのための制度なんだろう。医療的ケアを必要とする私にとっては利用しづらいヘルパー制度です。ヘルパーは、私の手に薬を持たせ、ヘルパーが腕を持って口へ運ぶならいいというようなことを言っていましたが、私の腕は曲がらないし、口元まで上がりません。
 ヘルパーの手で薬を飲むことと薬を持った私の腕をヘルパーが支えて口に運ぶことの違いってなんだろうと思いました。私にはよくわかりません。私にとって、医療ケアというものは、自立生活をするために必要不可欠なものです。病院で処方してもらった薬を飲ませてもらうことを制限する必要性があるのでしょうか。
 今までは、ボランティアや有料介助者に服薬や座薬をしてもらっていましたが、常に人が入れ代わるためコミュニケーションがとれず、不安が付きまとっていました。現在、私は3人体制で介助をしてもらっています。その人たちは専従介助者で、私に関する介護技術を身に付けています。しかし薬を飲む時は、私自身が必ず確認するようにしています。介助者に任せるのではなく、確認することでトラブルを防ぐよう努めています。何も問題はないと思えるのですが、皆さんはどう思いますか。
 日常的に薬を服用しているものにとって、医療行為の制限は自立生活や社会参加することを難しくしているように思います。自分の人生の自己選択や自己決定する権利すら奪われています。あなたたちの行き先は、施設や病院以外にないと言われている気がします。

 私が札幌で自立生活を始めたのは96年の7月で、もう少しで丸4年を迎えます。これからも私にとって、医療的ケアが必要なんだと言い続けていきたいと思っています。
 ノーマライゼーションとか、社会参加と平等という言葉を耳にする機会が多くなったと感じますが、重度障害者が安心して地域の中で自立生活ができるような、バリアフリーなヘルパー制度に改善してほしいと願っています。あらゆる状況に応じたケアを提供できるヘルパー制度でなければいけないと思っています。障害がどんなに重くても、その人に必要な制度があれば社会参加は可能なのです。

(たかやまよしみ 自立生活センターさっぽろ副所長)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2000年8月号(第20巻 通巻229号)