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ワールドナウ

レバノン
 市民社会における障害者と新しい参加型の開発

長田こずえ

はじめに

 今回は、レバノンでの市民社会とNGOの関係(障害者自身の参加を含む)、障害者に対する具体的なサービス提供の見地から“障害者と新しい参加型の開発の将来的な可能性”について考えてみたい。
 レバノンは1992年まで過去17年間内戦で国がひっくり返り、戦火の中で人々は生き延びてきた。もちろんこの間政府のあらゆる社会サービスは不十分であったし、それ以前にいったいだれが政府で、だれが軍隊なのか分からない状況が継続した。しかも今でも国は、宗教を中心にしてグループごとに分かれながら共存している。レバノンの人々にとっては“主権国家”とか“政府のサービス事業”とかそのための税金とかいう考えはなじみのないものである。したがって、このような社会では、いわゆるCIVIL SOCIETY(市民社会)の活動の場がすでに存在しているのである。この国を見ていると、NGOの活動というミクロな視点ではなく、この国自体に市民社会のリーダーシップと参加型社会開発の素養があるのではないかと思える。極端な言い方をすれば、宗教をベースにした地域社会への帰属意識が強すぎて17年も内戦を続けたのかもしれないと思ってしまうほどである。

障害者とNGO

 Arcenciel(アーコンシエール)はレバノンでも最大級の規模のNGOである。昨年1年の予算は150万ドルで、予算の7割が社会開発庁や地元の寄付から、残りの3割が主にヨーロッパなどの寄付でまかなわれている。活動は多岐に渡り、医療クリニック、医学療法士のサービス、車いすその他のテクニカルエイドを製造する工場、その他の職業訓練や女性向きの陶芸や刺繍、アラブ絨毯の修理などのワークショップ、障害者向けの自家用車の改造などと本当に幅広い。このほか地域社会の障害をもつ人の家を訪れ、バリアフリーやアクセスを提供したり、隣人たちや地域社会と折衝して、この競争の激しい、交通事情の悪いベイルートで障害者専用駐車場を確保したりする仕事などもある。それから、レバノン全域の約400の村でCBRプロジェクトなどを広めている。現在までに約4万人にサービスを提供した。
 アーコンシエールを中心とするNGOの活動とCBRは教会を中心に行われている。教会をCBR委員会の本部にしているので、教会とその横の公園は完全にバリアフリー化され階段が削りとられていた。ここで、雄弁で自我の強い障害をもつレバノン人たちが、地域コミュニティーを相手にロビー活動している様子が目に浮かぶ。レバノンでは労働組合とか消費者団体のような市民社会が今のところ育っていない。労働組合は弱体で、市民社会の活動はNGO、政治的なもの、そして宗教的なもの(教会、イスラムのモスク)などに限られている。
 以前に述べたように人々の地域帰属意識はとても強い。レバノンの個人のアイデンティティーがシーア派の何々地域のレバノン人とか、アルメニア系キリスト教徒の何々地域のレバノン市民とかいったように複雑だ。
 アーコンシエールはレバノン全土で優秀なNGOとして高い評価をされているが、あまりにも教会と密接でキリスト教的なNGOでありすぎるという人もいる。ここの職業訓練所のコースに国連ESCWAの別のCBR(シーア派イスラム地域でのCBR)の生徒を送ってみてはどうかと相談された。訓練費は全額政府が支払うので無料、一見大変良い話に思えるが、はたしてイスラムの中でも保守的なシーア派の障害者をこのセンターに送ることは現在のレバノンでは可能であろうか? 結婚前の若い女性の両親が怒鳴り込んでこないとも限らない。本当にCBRでは、国連のような外部のチェンジエージェントが判断できることには限界がある。現地の人の判断に頼るしかないことが多い。
 レバノンで必要なほとんどの車いすはここで製造される。センターは効率よく運営されており、スタッフも優秀である。正直なところ、アラブ地域でこのような近代的で効率的なセンターは、こことイスラエル占領下のベツレヘムだけである。共にNGOの運営であり、両方の国で政府の機能が制限されている。また、非常に面白いのはスタッフの85%が障害をもつ職員で、健常者は15%にしかすぎない。ボランティア精神もおう盛で、クリニックのお医者さんと歯医者さんは共にボランティアで週に何度かここに通っている。作業療法の設備もしっかりしており、ここではレバノンの大学の作業療法科のインターンを預かっており、いつも患者よりも多くの作業療法士がいる。ベイルートの郊外のシーネルフィルというところに拠点があり、ほかにもレバノンにあと2か所本部を持っている。
 センターでは地域コミュニティーのなかでのCBRも活発に行っている。そのためのソーシャルワーカーも雇っているが、何せここで障害者手帳をもらえば無料でサービスを受けられるので、口コミで続々とクライアントが訪れている。

レバノンでのCBR

 さて、CBRに話を移そう。通常、開発途上国のCBRと言えば、僻地の農村社会でのCBRなどを思い浮かべるが、ここレバノンでは国民のほとんどが都市に住んでいて、言うなれば香港と同じような都市国家である。当然、センターの近郷のシーネルフィルも都会の真ん中だ。そこは貧しく、人々はまだ電気のインフラが整備されていないので、勝手に非合法に電線を引き込んで金を払わずに平気で電気を使用している。これが現在のレバノンである。
 アグネスは若い女性で軽い障害をもっている。車いすは必要ない。彼女はNGOアーコンシエールの助けを借り、カソリックの教会で使うアクセサリーや教会関係の土産物などを扱う店を始めたが、あまり儲からないという。以前は大通りに面したところに店を出していたが、家賃の関係でここに移動した。そのため客足が減り、いまみんなの意見を聞いて、缶入りソフトドリンクの自動販売機を店の前に置くことを考えている。彼女にとってこの教会関係の店をやっているというアイデンティティーは、地域社会で生きていくうえで大切なことらしい。
 フダも20代の女性である。交通事故で車いすが必要になった。アーコンシエールを通して、この東京の下町のようなごみごみした大都会のアパートの3階にバリアフリーの低価格の外付けエレベーターを付けた。工事費は総額約20万円。レバノンの物価からすればとても安い。レバノンで最大の移動電話会社に職を見つけたので、すぐに借金は返した。現在は自立して元気に暮らしている。なかなかユニークなエレベーターである。
 シハームも20代の女性。杖が必要である。アーコンシエールの紹介で銀行に仕事を見つけ、両親といっしょに同じ地域に住んでいる。以前は家に閉じ込もっていたが、アーコンシエールのソーシャルワーカーが家族を説得して外で働くよう働きかけた。毎日、自分で車を運転して銀行に通っている。彼女のアパートの前に大きい障害者マークを付けた彼女専用のパーキングを造り、地域の警官や教会などの圧力を利用して、他の人がここに車を停めないよう取り締まった(これはレバノンでは地域の協力なしには不可能だ)。レバノンではみんな平気で法律を破り、車を好きなところに停めるからだ。
 ファディは中年の車いすに乗る男性である。アーコンシエールの紹介でコンピューターを習い、今は子ども相手のコンピューターゲームや大人相手のインターネットや電子メール、時間貸しコンピューターショップを始めおおはやりである。やはりこういった現代的な商売はよくはやるようだ。彼の唯一の悩みは最近、政府がインターネット経由の国際電話を禁止したことである。電話料が安いので客が来て儲かっていただけに、ぷんぷんになって政府の悪口を言っていた。

市場経済の役割

 さて、本来“障害者のアクセス”とか“バリアフリー”の建築物や道路などに関する、法律、規制、基準の設定やその施行の実態をモニターし、指導するのはたいていどこの国でも国家や地方自治体など、公共機関が中心になっている場合が多い。しかし、レバノンでは17年の内戦の間に、ベイルート市街の多くの建築物が破壊された。現在では少し復興してきたが、著者が2年前にベイルートに転勤で移ってきたときは、最初の印象は、“町中に広島の原爆ドームのような破壊された建物が何百、何千と並んで建っている”というものだった。
 国連ESCWAもそのための活動をレバノンに移動する少し前から始めた。このESCWAが最初に選んだパートナーも政府ではなく“ソルディエール”という内戦後、ベイルートの中心部の再開発のために建てられた株式会社であった。その中心部の土地の地主たち、その他の経済人たちが株を所有するれっきとした民間の株式会社である。現在、国連ビルが建っている場所もこの会社の再開発の地域であるため、もちろんわが国連ビルもこの再開発会社が建てたものである。
 レバノンの経済の中心、観光の名所とする目的で大変にお金をかけ、このあたりだけはその他のベイルート市街とはまったく比較にならずに、まるで地中海のヨーロッパの一都市を思わせる美しい街並みに再開発された、大変なエリート地域である。
 国連ESCWAは、この会社と共に障害者のアクセスに関する基準マニュアルを発行した。英語のマニュアルであり、開発途上国のマニュアルとしては珍しいと思う。興味のある人は国連のインターネットのホームページでアクセスできるので、ぜひ見ていただきたい(http://www.un.org/esa/socdev/enable/designm)。将来、レバノンの他の地域も、このベイルート市街中心部をモデルとしてもらえるとありがたい。
 また、昨年11月には国連NY本部、ソルディエールと協力してバリアフリー及び障害者のアクセスに関する国際専門家会議もベイルートで開いた。その詳細は、今年可決されたレバノンの新しい障害者のための法律と、ESCWAの新しいCBRプロジェクトに関する情報と一緒に次回に載せたい。

(ながたこずえ 国連ESCWAベイルートレバノン)


〈文献〉
◎「市民、政府、NGO:力の剥奪からエンパワーメントへ」ジョン・フリードマン、新評論、1995年
◎“After the Last Sky”,by Edward Said,1985
◎Handbook of “Arcenciel”,Beirut Lebanon,1999
◎“Gender-sensitive participatory Development”,K.Nagata,contribution to UN ESCWA Document 2000,Beirut Lebanon

※本稿で表明された言説は筆者個人のものであり、必ずしも国連または国連ESCWAのものではない。