共生の難しさ
倉本智明
小学校高学年に上がったころだったろうか、それまで、自転車を連ねて走りまわったり、「秘密基地」づくりなどで満足していた男の子たちの遊びが変わり始めたのは。放課後、クラスの男子の大半は、毎日のように、バットやグローブを手にグラウンドに集合するようになった。
この変化は、ぼくにとって重大事だった。いまは限りなく全盲に近いぼくだが、当時は中度の弱視といったところで、自転車にも乗れたし、多少のハンディはあるものの、健常者である周囲の子どもたちと一緒に、たいていの遊びに加わることができた。だが、野球となると話はちがう。遠くから飛んでくる小さな球をとらえるには、ぼくの目は少し力不足だった。それまでだって、ボールを使った遊びがなかったわけではない。けれど、それは、至近距離でバウンドしたボールを打ち合うものなど、苦手ではあっても、それなりに楽しむことのできるものだった。
ところが、野球の場合、守備は100パーセント駄目、飛んできたボールをキャッチできる可能性は皆無である。打撃もほぼ同様、よしんばまぐれ当たりで出塁しても、続く打者が打った球がヒットかどうか、一塁からでは見えず、タイミングもよくダッシュすることができない。これではお話にならない。
そこで友人たちは考えてくれた。ぼくがどうすれば一緒に野球をすることができるかと。うれしかった。守備は、飛んでくる可能性の最も低いポジション。隣の野手が、ぼくの守備範囲までをカバーする。ぼくが打席に入ったときは、ピッチャーは通常の2分の1程度の距離まで近づき、山なりのゆるいボールを投げた。運よく出塁した際には、チームのだれかが横について「走れ!」と指示を出す。これで、ぼくもみんなと一緒に野球に加わることができるようになった。
しかし、である。実際に何度かやってみたが、これが実につまらない。結局のところ、ぼくはただそこに「いる」というだけなのだ。友人たちは、ぼくのためにルールを考え、場所を用意してくれた。だが、ぼくがそこでどのようにふるまおうがゲームの帰趨に影響を及ぼすことはない。ぼくには「活躍」の機会もなければ、「失敗」の可能性も与えられていないのである。そのような中で、人は決して充実感を味わうことはできない。一見、理想的とも思える幼い日々の友人たちとの関係の中に、ぼくはむしろ、共生というものの難しさを見い出してしまうのだ。
(くらもとともあき 聖和大学非常勤講師)