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文学にみる障害者像

坪井栄著
『大根の葉』

評者 浦田節子

 まだ戦争の色濃くない時代、瀬戸内海の海沿いに住む健という5歳の男の子を通して、健のお母さんと目の見えない妹の赤ん坊克子、健が預けられた隣村のおばあさんやその家の人たちに付近の子どもらとの事々が、海を見下ろすみかんの段々畑など自然の情景とともに描かれています。
 この小説は、赤ん坊の目を手術したいと頑張る母親に対し、身内はあきらめており、とりわけ健のおばあさんは手術は絶対反対、というやりとりで障害に対する当時の人々が物語られています。

 ――泣きもせず、静かな表情でただ、眼球だけを動かしてだけいた。物を見て喜ぶことも、騒ぐことも、何か欲しくて泣いて訴えることも知らない。まるまるふとって風邪ひとつ引かない体でありながら、克子の感情の世界はただ食欲にともなうものよりほか、その成長ははばまれているようであった。――
 そんな克子の目をただひとり神戸の医者が、一日も早く手術をするように、くるくる眼球を動かしているのは、ものを見ようとする視神経の努力の現れ方だという。
 「いっしょうけんめいものを見ようとしているのに、それをほっておくと、視神経は、もうあきらめてしまって、見ようとする努力をしなくなるのです。」
 そう聞いたお母さんはうれしさに声をあげて泣いても、その場で手術が受けられるほど裕福ではない。健のお父さんは出稼ぎに出たままで、暮らしはお母さんの毛糸屋と編み物に掛かっていた。そこひと聞いた身内の人たちには克子は一生目くらだと思いあきらめられており、お母さんはただ一人視神経の努力という言葉に望みをかけて日夜編み棒を動かし続け、春になって神戸の病院へ克子を連れて行きます。
 克子が入院中預けられた健のおばあさんは、近所のばあやんの、「えらい金入りでござんしょうぞなあ」という問いに答えて言う。
 「いいええ、ほんまのとこたまりゃしませんぞな。貧乏人のするこっちゃないぞな。ちっとは信心でもすりゃよろしいけんどな、第一あれに信心ごころが一つもないんじゃせに。しょうがない。信心にゃ金はかからんせにいうても、ただ医者医者いうてな。きも玉が大けいいうたら、今日びは金さえかけりゃ、めくらでも直る世の中じゃ。借金してでも手術してやるというてな、あんじょうもう気負いこんで行とりますじゃが……」
 当時は、まだ医者に掛かって治療するというのは日常的ではなかった。その代役を信心や民間治療が果たします。
 1か月が過ぎ、お母さんが健を迎えに来ます。
 お母さんは言いにくそうに、「もう一ぺん手術せんならんのですけど」と告げて、物を避けて歩いたり、玩具をつかみに来るようになった。もう片方が良くなれば、ずいぶん見えるはずだなどということを話すが、だれものみこめた顔をしなかった。おじさんが目を手術できるということに合点がいかないと腕を組んで考えこむと、おばあさんが待ちかまえたように膝を向け、
 「お前、どうなるかわからんもんにそやって銭入れて、死に銭じゃがいの。それより信心でもしてみい。信心で直ったためしもあるんじゃし、そりゃ克もかわいそうじゃけれど、わがもって生まれた不仕合わせじゃ。今いうようにちっとでも見えりゃ、またあんまになってでもずぶのめくらよりえいがの。あきらめるわいの。…なあほれ、どこやらの人じゃなあ、お大師さんに信心して、お水をいただいてきて目を洗うたら、お大師さんのお姿が現われ……」
 お母さんは急にポロポロ涙を流した。そしてみんなの前に手をついた。
 「どうぞ克のことだけは私にまかしてつかあされ。わたしはもう、たとえみえるようにならいでも、するだけのことはしてやらんとあきらめがつかいで…わたしは死ぬ身になって働きます。どうぞもう一ぺん手術さしてつかあされ。」
 考え込んでいたおじさんは思いに同意してというより、その熱意に押された感じでお母さんに使い道を委ねた財産分けの判断を下した。
 「家を建てようと、克の目にいれようと、ということにして、わしもこのさいできるだけのことをしょうわいの。」
 「お前、そりゃあ死に銭じゃないかえ。いつまでも借家住まいもでけんで、さきのことも考えにゃどもならんで、克ひとりが子じゃないんじゃせに…」
 おばあさんもそれは許さじと肩で息をしながらにじり寄る。

 おばあさんは克子の目が見えないことは、もって生まれた不幸せと、障害をもつ者一つにその負いを持たせることにより、まわりの者に掛かる負担をできるだけ避けて、自分たちの生活を守ろうとします。
 「ちっとでも見えりゃ、またあんまになってでもずぶの目くらよりえいがの」と、習いの道を説き、もっと悪い状態と比べてあきらめさせたり、負担の掛からぬ信心に慰めや望みをつなげさせることで、同時に自分たちも納得する。
 家族制度の当時は、一族でかかわりあい支えあう反面干渉もされ、その行為は制約された。家を守っていくことに重きが置かれ、それらが大きな比重を占めていただろう当時、おばあさんには堪りかねるなりゆきだったのでしょう。それに対し克子の母は、目の不自由でない者には何でもないこと、あたりまえなことに、その価値の尊さ、大きさを見、できうる限り、健と同じに近付けるために自分の力のすべてを投じようとします。
 この作品で障害者に向かう著者の目はお母さんと同様のものでした。結局、麦刈りまでにもう一度手術をするということで、母子は帰路につきますが、最後の章、その帰り道、背に負ぶった健に「克ちゃんがなあ、お母さんの顔みたら笑うんで」などと語りかけるお母さんのことばは、日常的には普通であることが、反(かえ)ってキラキラと輝いて著者の気持ちも伝えてきます。

(うらたせつこ しののめ同人)