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1000字提言

障害者と地方分権

武田牧子

 「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」そのうえにこの県に生まれたる不幸を重ねないように…。
 共作連の藤井克徳氏から研修会で檄(げき)をかけられて十数年経つ。私たちには障害をもったことを消すことはできないが、少なくとも生まれ育ったこの県で少しでも豊かな人生が過ごせるよう、精神障害者共同作業所や社会復帰施設運営に取り組んできた。
 社会福祉法改正や精神保健福祉法改正では、「利用者の立場に立った社会福祉制度構築を」と支援窓口が市町村に降ろされる。これは小回りの利く住民サービスの向上のように思える。しかし、介護保険でも危惧されたように、今や市町村格差が現実のものとなりつつある。
 A町は、利用者がA町のグループホームに住所を移した時は前住所地の出身町村が、他町村の作業所利用者は、利用割合に応じて居住町村が負担をと押し切られた。B町はB町住民以外の作業所利用はできないとしている。どちらにも一理ある。小規模通所授産についても、居宅生活支援事業にしても、4分の1の市町村負担が義務づけられているため、同様の問題が起こりうる。担当課の補佐との雑談で、「これからは市町村の障害者施策姿勢をチェックして住む町を決めなければならない時代なんですね」と皮肉ったところ、「地方分権とはそういうことです」とまじめ顔で返されたのに苦笑しつつ、「広域的な取り組みが可能となるよう県の指導をお願いしたい」と切り返した。「指導ではなく、あくまでも市町村にはお願いしかできません」。なんともはや、地方分権とは責任転嫁なのかと憤りを超え、声を失ってしまった。
 先日、障害者社会参加推進センター会議に参加した。予算状況を見て、構成団体委託事業の中に精神障害者に関する項目は一項もなく、遅れていることを再認識した。きめ細かなメニュー整備と障害種別を超えた弾力的な内容に感激しつつも、全事業が市町村事業であり、A町で要望しても実現は厳しいと失望の念を抱かざるを得なかった。どんな素晴らしいメニューができようが、活かすも殺すも市町村次第なのである。
 地方分権とは一体だれのための分権なのか教えてほしい。「この国に生まれたる不幸。この県に生まれたる不幸。この町に生まれたる不幸」このような思いを抱かないために…。

(たけだまきこ 社会福祉法人桑友理事長)