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ケアについての一考察

地域でいきいき100%

宮下三起子

障がいについて

 私は「先天性多発性関節硬縮症」という障がいです。原因は不明です。親は治るようにと病院や針、マッサージ、拝みやなどに通っていましたが、結局原因はわからず、病状も改善しませんでした。
 手足の関節が変形して固まってしまって膝の関節が曲がらないため、階段を上がるのに介助が必要です。また、筋力が弱いため、物をもっていることができません。手を上げるときも反動をつけないと上がりませんし、手を上げた状態でいることも難しいです。でも生まれつきの障がいのため、小さいときから工夫して(?)歩行ができますし、文字を書く、料理をするといった細かいことも自分でやっています。また、交通機関での移動が困難なこともあり、19歳で車の免許を取り、日常の移動は自家用車を使っています。

現在、受けているサービス

 今は子ども(8歳)と、市営住宅に住んでいます。現在、使っている介助制度は公的ホームヘルプサービスと民間の有料介助です。公的ホームヘルプサービスは、朝30分の掃除・洗濯などの家事介助を3回と、夜1時間の入浴介助を週3回利用しています。入浴介助については、民間の有料介助にも依頼しています。
 8年前に子どもが生まれるまでは、どうしてもできないことを夫にやってもらう以外は、日常の家事は時間をかけて自分でやっていました。よく言う、頑張る障がい者だったのです。当時はそれが当たり前だと思っていましたし、自分でできないことは恥ずかしいことだとも思っていました。人に頼むのに抵抗があり、どうしても自分でできないことはやってもらい、それ以外は時間をかけてでも自分でやっていました。
 しかし、育児では時間をかけても無理なことがたくさんありました。日中、仕事で家にいない夫は当てにできず、何かよい方法はないかといろいろな所や人に相談しましたが、解決策は見つからず、結局、自分の親にお願いするしかありませんでした。それでも、行政への働きかけを粘り強く続けて、その後、私自身の公的ホームヘルプサービスに育児の部分を入れることができるようになりました。今は、子どもも大きくなったので、私の介助だけになりました。

こんな制度がほしい

 育児がきっかけになり、自分の生活に介助者を入れることになりましたが、現在は、人に頼むことへの抵抗も少なくなりました。また、いろいろな人に出会えるということも人との付き合い方の勉強になっています。
 公的ホームヘルパーは最初に決めた曜日や時間で派遣されています。そのため、自分の仕事などで急に時間を変更してほしいときがあっても、それに対応してもらえないのが現状です。だからといって、自分の希望通りの介助を民間の有料介助で行うとすると、介助料の個人負担が多くなってしまいます。
 福島県では全身性障害者介護人派遣事業の制度もなく、障がい者中心の介助になると、まだまだ問題は多いです。やはり「自分の介助は自分でコーディネートして、それに対応する公的な介助制度」が必要だと思います。そのためには、公的ホームヘルプサービスに障がい者が合わせて生活するのではなく、障がい者が責任を持って自分の介助をコーディネートできるよう、障がい者自身の意識を高めていく必要があると思います。
 ILセンターにかかわった頃は、障がい者が集まって何かをやっていくということに、とても抵抗を感じました。しかし、活動の中で、障がい当事者だから気付くことや言えることがあり、それを社会に積極的に発言することも、障がい当事者の役割だと考えるようになりました。現在は、自分もだれもが住みやすい社会をつくっていく一員になりたいと考えています。特に介助については、昨年組織した「介助保障検討会」を中心にして、郡山市の介助制度の向上を推進したいと思っています。

(みやしたみきこ 自立生活センターオフィスIL)