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ワールド・ナウ

パレスチナにおける
国連ボランティアとしての
活動と障害児・者について

四方照美

はじめに

 わたしは、1999年末から国連ボランティアの一員としてパレスチナで理学療法士として働いている。今回はその活動内容と、パレスチナにおける障害児・者の現状などについて、わたしの知り得る範囲で報告したい。ただ昨年9月末から始まった紛争のため、日本への一時退避や勤務地変更など落ちつかない状態が続き、あまりまとまった報告ができないことをあらかじめお断わりしておきたい。

パレスチナ自治区とイスラエル

 キリスト、ユダヤ、イスラム教の聖地であるエルサレムを中心に、イスラエルの地は2000年にわたって争奪がくり返されてきたが、いわゆるパレスチナ問題といわれる今日のイスラエルとパレスチナによる紛争は、1948年のイスラエル建国に始まる。2000年前に祖国を追われたユダヤ人が、このとき、悲願であったユダヤ人国家をパレスチナの地につくってしまったために、それまで居住していた大半のアラブ人は追い出され難民となり、次第にこれらの難民を含むパレスチナ地区に住む人々が、パレスチナ人としてのアイデンティティを持つようになった。そして、パレスチナ国家の建設と独立をめざして立ち上がり、53年後の今日に至るまで断続的に紛争が続いている。
 パレスチナ内だけでなく周辺諸国にまで多く存在する難民キャンプには、今も多くの人が住み、イスラエルによる侵略前に住んでいた住居に帰還できる日を待ち続けている。パレスチナ自治区は、現在もイスラエルによって半占領下にあり、この自治区と東エルサレムをパレスチナ国として独立させることをめざして協議、そして闘争が続いている。
 イスラエルという国は地中海に面した四国ほどの小さな国で、パレスチナ自治区はその4分の1を占める程度、この地を含め東エルサレムの所有権をめぐって今日まで、この問題の解決には至っていない。
 現在、パレスチナ人は、イスラエルによる道路封鎖や経済封鎖政策のため、自治区内であっても町から町への移動は難しく、通勤や通学さえ困難になっている人が多い。後に述べるが、このことが障害児・者の生活にも多大な影響を及ぼしている。

パレスチナの障害児・者

 一般にパレスチナ人は子だくさんで、一家に8人から10人くらいが普通である。家族の結びつきが、日本では想像しがたいくらい強く、アラブ人独特の大家族システムが今も健在で、親族が何家族も集まって一緒に生活している場合が多い。このため、家族に障害児・者があっても家族内で協力しあえる体制ができており、入所施設などが必要になることは少ない。
 障害児・者の割合は人口の約2%で、他の国々と比べても多くはないが、特徴的なのは、親族結婚が多いために、身体障害を伴う精神発達遅滞者が多いことであろう。また、長期にわたる紛争による銃撃や爆撃などにより、神経マヒや変形などを来したケースが多く、脳損傷や頸髄損傷などの重篤な障害を負った人も少なくない。わたしがかかわっているケースの中には、母親が赤ん坊を抱いて逃げている時に転んでしまい、その勢いで子どもの背骨が折れて脊髄損傷を負い、車いすでの生活となっている子どももある。
 このようにさまざまなケースがあるが、紛争による影響は、乳児から老人に至るまで幅広く、トラウマによる精神的な症状を来す子どもも多く、問題になっている。
 一般に「パレスチナは大変危険で、開発途上」というイメージが強いと思うが、実際には生活レベルや教育レベルは高く、ほとんどの子どもは高校を卒業し、大学や海外に留学する率も高い。半年近く続くこの紛争中も、子どもたちはほぼ毎日学校に通い、元気に外で遊んでおり、パレスチナ自治区内の町、または村の中にまで危険が及ぶことはまずない。町や村に近接するイスラエルの施設や道路上で投石や銃撃は起こっている。

国連ボランティアとしての活動

 わたし自身は、99年12月から2年の任期でパレスチナ自治区の西岸、いわゆるヨルダン川西岸パレスチナ自治区の中の赤新月社(日本でいう赤十字社)に配属になり、西岸北部と東部にあるリハビリテーションセンターで勤務していた。要請には現地理学療法士の指導も含まれていたが、実際には彼らの専門性や技術レベルは十分高く、同僚の一人として働かせてもらうことにし、家庭訪問事業なども行っていた。ところが昨年9月末に始まった紛争のため国外退避となり、日本で待機することになった。今年の1月半ばに再赴任になったものの、自治区内はまだ不安定で危険とのことから、東エルサレムに職場も住居も移ることとなった。この地は今はイスラエル統治下にあるが、実際には住民のほとんどはパレスチナ人であり、パレスチナが自治区とともに返還を求めている。
 職場のスタッフ、患者ももちろんすべてパレスチナ人であり、会話はアラビア語である。現在の職場は療育センターのようなところで、統合教育を行う幼稚園、小学校も付属している。肢体不自由児と知的障害児のみでなく、聴覚・言語障害児のクラスもある。視覚障害児に対しては、パレスチナ政府により学校が設立され公立学校に通うことができるが、聴覚・言語障害児に対してはまだ学校は建てられていない。肢体不自由児に関してもパレスチナ自治区内に療育施設が少ないため、当センターで西岸の各地から障害児と母親に数か月入所してもらい、集中的にセラピーや教育を行っている。肢体不自由児が中心なので脳性マヒ児が圧倒的に多い。一人ひとりに担当の教師、理学療法士、作業療法士、看護婦が付き、個別訓練及びグループ訓練を行う。
 また、リハビリテーション専門医や義肢装具士、レクリエーションセラピストが常勤しているので、必要に応じてそれぞれが担当する。これらの担当者が定期的に集まって訓練や教育の状況などを報告しあい、退院の時期を決定する。母親が常時一緒について、食事などの日常生活から教育、訓練まで細かく担当者が指導する。理学療法部門では個別訓練のほかに週1回の水治療法とグループ訓練を取り入れている。数か月の集中訓練で劇的な効果は期待できないが、子どもの成長のみでなく、母親がこのセンターで親同士の交流を持ち、情報交換をして自信を少しでもつけるようにすることが大きな目的のひとつである。
 退院時には家庭で行う訓練などの指導表を各担当者が作成し、母親に手渡し、その後は3か月単位で医師の診察を続け、必要と思われるケースには再入院の措置をとる。多くの村にはクリニックや地域で活動している保健団体などがあるので、その場合には、地域の保健指導者やケースワーカーに子どもを引き継ぐ。しかし現在は、イスラエルが主要な道路をすべて封鎖しているため、遠隔地に住む子どもは来所自体が困難となっており、入所している子どもは少ない。また、入所している子どもも週末の一時帰省がかなわないことが多い。

障害児・者に対する社会的資源

 パレスチナ自治区には、政府組織はあるが基盤は弱く、経済的にも大きな問題を抱えているため、障害者に対する福祉事業などにはまだほとんど手が付けられていないのが現状である。しかしその一方で、世界中から注目されている地域でもあり、さまざまな援助を受けている。資金援助だけでなく、さまざまな国からのNGOが今もパレスチナ内で活動している。パレスチナ人による国内NGOも数多く、医療・福祉においてはこのような民間の組織が主に活動している。わたしがいま配属になっているセンターも、以前の赤新月社もパレスチナ内のNGOで、資金の多くは外国からの援助に頼っている。
 パレスチナには健康保険制度などもないので一般の人々は、治療代の高い私立病院に行くことは難しいが、政府の持つ病院は格安である。また、医療的リハビリテーションや装具、車いすなどが必要となれば、難民キャンプに住む人々に対しては国連が、その他の場合は、さまざまな宗教団体やNGOによって賄われる場合が多い。地域では、グループホームや地域リハビリテーションセンター、クリニック、作業所や統合教育を行う民間の学校も増えつつある。
 このように、他の被援助国と比べてもパレスチナの医療・教育・福祉のレベルは決して低くないが、インフラの面ではまだまだで、坂が多く、道が整備されていない自治区内での外出は、杖や車いす使用者にとって容易ではない。
 人々の障害者に対する意識は、アジアなどに比べても高く、村落部では差別もあると聞いたことはあるが、イスラム教という宗教基盤があるせいか、一般に助け合い精神が根付いていて、高等教育や雇用の機会も高いと感じている。日本では障害者が自立して一人暮らし、または夫婦で暮らすことが尊重されることが多いが、アラブ世界では一般の人々であっても大家族の中で暮らすのが当たり前なので、目標となりやすい「自立」という意味も、日本とパレスチナでは少し違いがあるかもしれない。

おわりに

 わたしは以前、青年海外協力隊員としてマレーシアに3年間住んでいた。同じイスラム教徒の共通点や相違点など、興味深いことも多いが、自助努力が足りないとよくいわれる被援助国の中で、パレスチナ人は国の事情もあり、抜きんでて向上心、向学心のある人々であると思う。中進国であるマレーシアと比べても生活水準や教育レベルはかなり高く、犯罪率は日本よりも低く、住みやすいところである。一般に親切で気さくな人々が多いが、小さい頃からイスラエルに対する深い恨み、憎しみを聞いて育った子どもたちは、またそれを次の世代に伝えていく。国連は中立の立場をとるのが普通だが、パレスチナ人の抑圧された生活に触れるにつけ、わたし自身憤まんやるかたない気持ちになる。
 一日でも早く見かけだけでなく、人々の心の平和が訪れることを願ってやまない。

(しかたてるみ 国連ボランティア 理学療法士 エルサレム在住)