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工房「笑い太鼓」

星川広江

設立まで

 ほんの3年ぐらい前は脳外傷とか、高次脳機能障害とかいう言葉さえまだ聞かれませんでした。交通事故で障害を負った息子を抱えて途方にくれているそのころ、ある人から「これはもう治りませんよ。こうなったらグループホームなり作業所のようなものを作って、息子さんと一緒に人生を楽しく過ごしていくことを考えないと大損しますよ」とアドバイスを受けました。私もそう思いました。はじめ2、3の家族に声をかけ、定期的に集まって悩みを語り合うようになりました。それが私たちのグループのそもそものスタートでした。
 5家族になった2000年2月、民間の宅老所を借りて作業所として出発すべく開所式を催しましたが、その時に新聞社やテレビ局に働きかけて取材していただき、グループの活動と脳外傷について放送してもらいました。同じ障害者を抱えながら、ただ家族だけで悩み続けている人たちに広く呼びかけたかったのです。私たちが心配し予想していた通り、その後次々に問い合わせがあり、半年内に新たに8家族が参加しました。
 また、以前から市の福祉課にも働きかけていたので、開所式にも参列してもらいましたが、新年度からは補助金も交付される見通しが立ちました。そこで、大きな2階建て1戸を安く借り受けて再出発したのが、この4月でした。

活動内容と課題

 現在、13人の当事者がほぼ毎日通所しています。土日は休み。職員は市からの補助金で専従の指導員2人を確保できました。親の会の代表、副代表の二人は毎日出勤し、ほかにわずかの給金で支援してくれる男女が二人。時給払いで昼食作りをお願いしている女性5人は交替で出勤(ボランティアもいます)しています。
 だいたいの日課は9時の朝礼後、業者の内職仕事をします。昨今は、車のゴム製部品のバリ取り、ゴム巻き銅線のゴム剥がし、ペットボトルを回収して粉砕機にかけたり、リサイクル用のアルミ缶を集めています。それにバザー用の自家製品として飾り付きのズボンのすそ止め、飾り付きのクリップ、ラベンダーの匂い袋、籠などを作っています。この中から1日当たり3、4件の仕事をしますが、作業は当事者の障害に応じて割り振ります。
 12時から昼食1時間。みんながいちばん楽しみにしている時間です。食費は1回300円。食後、忘れないうちに日記を書きます。午後の仕事も同じように分担して続けます。3時からはティータイムで、もう一度忘れないうちに日記帳に向かいます。3時30分から掃除、当事者全員が当番の場所を掃除します。そして4時に終礼、帰途につきます。
 1日の流れはこのようなものですが、そうそう順調に進むほど気楽なものではありません。内職仕事が超低賃金なのはとりあえずおいとくとして、高次脳機能障害特有の無気力、散漫、記憶力判断力の低下など、およそ「仕事」に向かない症状のために、指導員は神様のような忍耐力でもって臨んでいます。作業の割り振りも随時途中で変更し、柔軟に対応しなければなりません。また、ケンカをしたり情緒不安定でぶらついたりする日のあることもきちんと視野に入れておく必要があります。症状が一人ひとり際立って異なることは、指導者たちの神経を疲れさせますが、そこは当事者に多くを求めないで、屈託なく付き合うことを私たちも学んできました。
 当面の課題は、障害の重い人には別に時間割を組んで、事故前にやっていた絵画や習字、木工などを行い、作品を残していくことを考えています。そして定期的に展示会を開いて、少しでも生きている実感を味わう機会を与えてあげたいと思っています。
 障害の軽い人で、一人は近くの病院で食器類の片付けをするパートタイムの仕事をしています。洗浄され乾燥された食器類をしまう2時間位の仕事です。もう一人は同じ病院で、乾燥機からタオルや衣類を取り出してたたむ仕事で、これは毎日4時間のパートで働いています。別の一人は夏休みに、学童保育で児童たちの相手をするアルバイトの口があって、そこへ行かせたところ、子どもたちには人気があったようです。
 ジョブコーチとまではいきませんが、地域の人と連携することで、このようなパート仕事が得られたことは大きな励みの材料になっています。また、当事者たちが社会に出てボランティア活動をする方法も検討中ですが、これは近々に実現させたいと思っています。

(ほしかわひろえ 工房笑い太鼓代表)