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高次脳機能障害の若者たちに
活動の場を求めて
─サークルエコーの活動─

田辺和子

 サークルエコーは、98年12月、都内で開かれた高次脳機能障害者の集まりで出会った3家族により発足しました。高次脳機能障害者と言われる人たちの中で、私たちの息子の症状は際だって重度のような気がしました。身体的な障害はほとんどないのに食事も洗面もトイレも介助なしではできないのです。3人とも低酸素脳症の後遺症によるものだと分かったのはしばらく後のことです。どうすれば彼らの生活を充実させられるか、そして将来は…。
 共通の問題を持つ3家族は、お互いの家を行き来し話しつづけました。息子たちを連れての移動は大変でした。彼らは、電車の中でいきなり歌い出したり、一駅ごとにトイレ下車が必要だったり、方向に固執して駅に行きつくことさえできなかったりするのです。それでも3家族だけなので話はすぐにまとまり、講演会、合宿、旅行と活発に動きまわりました。他の多くの関連団体のような病院などの後ろ盾がないことは、大変なことも多いのですが、即、実行に移せる身軽さもあるようです。愛知や滋賀などからも入会があり、会員が増えた現在もこうした行動パターンは、エコーの特徴となって引き継がれているように思います。
 現在の実質的な活動メンバーは、高次脳機能障害の若者、家族、サポーターからなる35人です。会の規模に比して賛助会員が多いこともサークルエコーの特徴です。昨年度は144人の方が会費を納めてくださいました。800部の会報の配布などができるのは、これらの方々のご協力のおかげです。
 2000年5月、知的障害者のための作業所が週末に場所を提供してくださることになりました。渋谷区神宮前という、交通の便のいい若者に人気のある絶好のロケーションです。「えこーたいむ」と名づけたこの場所での集いは、現在のサークルエコーの活動の根幹をなすものです。
 えこーたいむの活動は1~3週の土曜日。12時を過ぎるとメンバーが集まってきます。全員そろってのランチタイムはにぎやかです。エコーの若者たちには、人の食べ物と自分の物との区別がつかなかったり、皆がそろうのを待てなかったり、飲みこむのに時間がかかったり、いろんな特徴があります。食事にもさりげないサポートが必要です。
 食後は、若者たち、サポーター、父親たちは、にぎやかでファッショナブルな街の散策に出かけます。歩くのが早い人、遅い人、赤信号を力ずくで渡ろうとする人、とんでもない方向に行こうとする人。ひとつの集団にまとめるのは至難の技、目的地に誘導するのも至難の技です。大抵はいくつかのグループに自然に分かれることになります。部屋の中で見えなかった一人ひとりの特徴、介助の大変な部分もこの散歩でよく分かります。連絡の携帯電話が大活躍です。この間は、母親たちはミーティングの時間です。医療や制度のこと、家庭での様子、会報の編集、行事の計画、会計とのやりとり、話し合いは時間が足りないくらいです。
 散歩組が満ち足りた表情で部屋に戻ってくると、おやつを食べて、ダンスタイム。全員参加で動きます。特訓のかいあって今年4月には、ジャズダンス公演「いるかの夢」に賛助出演までしてしまいました。ステージに上がれるのか、踊れるのか、こんな心配をよそに、全員が「WAになって踊ろう」のフィナーレに参加できたことは、大きな自信となり、将来の可能性も感じられるものでした。
 行政交渉も大事な活動です。昨年5月には、厚生省交渉で「高次脳機能障害とひとくくりにせず、障害の程度に見合った援助を」と訴えました。また11月、12月には、「重度障害と介護について」「モデル事業について」の要望書を提出し、それぞれ文書で回答を得ました。さらにモデル事業の本拠地、国立リハセンターとも懇談の機会をもちました。国会議員団との懇談会にも毎年出席し、都の心身障害者福祉センターとも会合を重ねてきました。
 この9月15日に愛知の仲間が、「フレンズ・ハウス」を開設しました。愛知エコー、多摩エコー、水元エコーなど、地域で集まることも増えてきました。家庭に守られているエコーの若者たちが、それぞれ大きく社会と結びつき、その一員としての生活を確立していくためにはどのような方法があるのか。既存の施設の利用や独自の場を地域に立ち上げるなど、将来の具体的な場を考えながら活動する地域エコーの試みは始まったばかりです。

(たなべかずこ サークルエコー)