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もっと実態を直視した計画を

井上泰司

 昨年末に出された「新障害者基本計画」と新障害者プラン、その全容を評価分析することは今の私の立場から言えば困難であるが、私たちの「障害者(児)を守る全大阪連絡協議会」(略称:障連協)という会の立場から、若干の評価と課題を提起することとします。
 私たちの「障連協」は、1969年に障害者・家族の悩みを語り合い、願いを持ち寄って結成されて以降、障害児・者の生活と権利を守る活動を30年にわたって続けてきました。
 障連協の立場から言えば、今般の「新障害者基本計画」の基本にうたわれる「ノーマライゼーションとリハビリテーション」の統合的な施策の推進にはおおいに期待を持つものです。しかしながら、その具体化にあたって、「生活支援」の項にはいくつもの疑問を持たざるを得ません。
 この項目では、施策の基本的方向として1.利用者本位の生活支援体制の整備、2.在宅サービスの充実、3.経済的自立の支援、4.施設サービスの再構築、5.スポーツ、文化芸術活動の振興、6.福祉用具の研究開発・普及促進と利用支援、7.サービスの質の向上、8.専門職種の養成・確保がうたわれています。
 しかし、この基本的項目を踏まえて提案されたプランにおいては、在宅サービス面での若干の数値的上乗せが示されたものの、逆に「入所施設」については、全くの目標数値すら示されませんでした。一部には、こうした方針そのものが、さも積極的施策への転換と評価する向きもありますが、地域の現実の生活をみる限り、まさに現実離れした施策提案と言わざるを得ません。
 私たちの会では、全国的な組織と協力して、「重度・重複障害者の家庭での介護実態調査」を一昨年実施しました。この中で明らかになったのは、結局、重度・重複障害者(特に行動障害等を併せ持ち、自己主張が極めて困難な場合)の多くが、家族しかも母親を中心として、まさに24時間の介護や予防的対応を必要としていることや、そのために場合によっては「家族崩壊」に近い現状があり、将来にわたっても「親が子の成長を喜べない、介護力低下に絶望的にならざるを得ない」、近所への気兼ねや地域での孤立化等の実態が明らかになっています。こうした家族関係の改善や自己実現のための経験の拡大を図る意味で、入所施設を全面否定することはできません。この実態に対して、新プランは、どこまでその改善を図ることができるのか、はなはだ疑問です。
 障害者福祉は、今「支援費制度」という新たな制度が稼動しようとしています。理念は「自己選択・自己決定」の利用者主体の制度であるはずですが、「供給基盤の圧倒的不足や財政事情による、利用の制限や決定段階での行政権限強化」が進んでいるのが実態です。さらに、医療と福祉の垣根の中で、「胃ろうや酸素吸入を必要とする重症心身障害の人たちや社会的な問題行動にまで発展する強度行動障害」の人たちへの支援は、結局「家族の責任」転嫁せざるを得ない実態は何も変わってはいません。
 「入所施設解体宣言」等がずいぶんともてはやされていますが、ある地域ではこの方針に基づいて、過去何十年も交流のない兄弟に急に「障害者を引き取らせる」という施設まで現れています。
 「どんなに障害が重くても、生まれ育った環境で生活し続けたい」その思いは全く当然のことです。しかし、30年以上「入所施設の集団の中で生活してきた障害者」が急に地域生活を円滑に過ごすことなど不可能なことです。また家族にとっても不可能なことです。ましてや医療的な総合支援の必要な人にとって、集中的管理の可能な施設は、「生命」を守るうえでも絶対不可欠な条件と言わざるを得ません。現在の「家族依存型」の支援システムをそのままにして、「入所施設否定」を唱えても、それはあまりに現実離れした発想であり、多くの悲惨な落ちこぼれをつくりだしていくことになります。「親のエゴ」等を根拠にするような攻撃も「他人事」だからこそ言えることです。
 今、本当に必要な施策は、「ノーマライゼーションとリハビリテーション」の理念の具体化を、実態に即して計画的に進めていくことです。その意味では、第一に改めて「家族介護」に依存しない「障害介護の社会化」のための仕組みをどうつくりだしていくか、第二に、入所施設のあり方を単に否定するだけでなく、入所施設においても「個人の尊厳の守られる設備や体制」をどう引いていくかの二側面からの具体化が求められるところです。諸外国でも、「脱施設化」については、そのための条件づくりや、移行後のフォローの仕組みの大切さが再評価され始めています。
 障害者施策を考えるとき、利用者本位は当然ですが、その際、主張の不十分な人たちをも包含した「落ちこぼれをつくらない」施策のあり方を追求するとともに、「家族」に対する社会的支援(相談だけでなく)が配慮されることのない施策は、現実を見ない、「ため」の議論となります。まして、その明確な方向性も示さないまま、施設数値を抹消することは、さまざまな面から不安を募らせる結果となります。また、現実の利用料負担の増大などがこの不安に拍車をかける結果となっています。
 今回の提案が、純粋に「利用者本位の支援」を訴える声を逆手にとって、「財政縮小」のための施策転換にならないよう望むばかりです。改めて、すべての障害をもつ人たちの実態に即した施策化への議論が急務となっているのではないでしょうか。

(いのうえたいじ 障害者(児)を守る全大阪連絡協議会)