障害者権利条約、具体化へ向けて始動
藤井克徳
◆ワーキンググループ40人で発足へ
昨年の第1回特別委員会と比べて、国連本部内の会議場は何となく落ち着きが見られた。「今回で条約化の方向が決まるのでは」、こんな空気が支配的な中での第2回特別委員会であったように思う。大方の予想通り、「条約化を図る」との明言こそなかったものの、それを準備するためのワーキンググループの設置が決議され、事実上の条約化への始動ということになった。
顧みれば、一昨年(2001年)10月の国連総会でのメキシコ大統領の演説が端緒であった。ただこの段階ではまだまだあいまいなものであり、どのような形になっていくかははっきりしていなかった。第1回の特別委員会(2002年7月29日~8月9日)においても、既存の、いわゆる人権に関する六大条約との関係をどうするのか、すなわち既存の条約で障害がある人びとの人権問題も対応できるのでは、これらをめぐって議論が交わされていた。この時の会期末で、とりあえず第2回の特別委員会の開催が決議され、これを受けて今回の開催ということになったのである。
第2回特別委員会の最終盤(最後の3日間ほど)の焦点は、もっぱらワーキンググループをめぐってであった。とくに、NGOの扱い、委員数、開催の回数と時期、財政の確保、これらをテーマに公式、非公式の会議が精力的に繰り返されたのである。
わけても争点となったのが、ワーキンググループでのNGOの位置づけをどうするか、またNGO、GOそれぞれの代表枠の地域(大陸)別選出基準をどうするか、であった。最終日も残り1時間を割った時点で、ようやく結論に達することができた(6月27日、公式通訳も帰り、マイクロホンの電源も切られる始末)。人数は全体で40人、このうちNGO枠は12人、GO(政府)枠は27人(このうちアジア枠は7人、ただし中近東などの西アジア地域は別枠)、指定国の人権機関枠1人ということになった。また、12人のNGO枠については、中国やイラン、パキスタン、インドなどの反対論もしくは消極論を排し、NGOの主張どおり障害団体が推薦する障害がある当事者を委員とすることになった。
なお、開催回数は次回特別委員会までの1回のみとし(2週間会期)、来年早々にニューヨークの国連本部で開催することで合意をみた。いよいよ、条約の草案づくりに重心が移ることになりそうだ。
◆注目の日本政府の対応、代表団にNGO参加
昨年の18人に続いて、今回の特別委員会にも日本のNGOは16人の傍聴団を派遣した(団長は兒玉明日身連会長、昨年は日本障害者協議会でツアーを企画したが、今回はDPI日本会議によって企画された)。傍聴団の最大の注目点は、「障害者権利条約」の具体化がどのような形で方向付けられていくのかであったが、加えて二つの役割があった。一つは、日本政府の動きを注視し、積極的な姿勢を引き出すよう働きかけていくことであり、もう一つは、国際的なNGOと交流を図るとともに、NGO全体として各国政府にプレッシャーをかけていくことであった。
ここでは、紙幅の都合もあり日本政府の動きを中心に紹介することとする。まずあげられるのが、第2回特別委員会に臨む日本政府の対応をめぐっての民間団体との事前のやりとりである。昨年の第1回特別委員会での日本政府の対応ぶりはあまりに消極的なものであり、また本年3月時点で国連に提出した障害者権利条約に関わっての「日本政府の見解」(2頁もの)もお粗末なものであった。危機意識を持った民間団体はいくたびか打ち合わせを行い、外務省を窓口に共同で政府に対して申し入れを行ったのである。
申し入れの主要な内容は、(1)「日本政府の見解」の真意を質すとともに修正してもらうこと、(2)日本政府代表団にNGOの代表を加えること、(3)特別委員会への代表団派遣に際して国連代表部に任せるのではなく、本国から障害分野の担当官を派遣すること、(4)政府としてリーダーシップを発揮し、特別委員会会期中に日本政府主催による各国自由参加の意見交換会を開催すること、などであった。申し入れは5月27日と6月11日の2度にわたって行われ、政府側からは内閣府、外務省、厚生労働省、文部科学省、総務省の代表が出席した。結果的には、申し入れの多くが受け入れられることになった。
とくにポイントとなったのが、政府代表団にNGOの代表をどのような形で加えるのかということであった。出発直前の6月11日の政府との懇談会の席上、ようやく外務省人権人道課・嘉治美佐子課長より「政府代表団へのNGO代表の参加を受け入れたい」との意向が示された。これを受けて、民間側はただちに東俊裕氏(弁護士、DPI日本会議常任委員)をNGOの代表とすることにした。最終的には、東氏は「代表団顧問」という肩書きとなり、介助を担う随行者1人分とともに、すべての経費が政府負担となった。
また、政府代表団についても団体側の意向が考慮された。構成は、齋賀富美子国連代表部大使を団長に、本国から久野和博外務省人権人道課主席事務官と大竹雄二厚生労働省障害者雇用対策課係長らで、これに東氏が顧問として加わったのである。
なお、特別委員会2週目の6月24日午後5時から約1時間にわたって、国連本部内の会議室にて日本の政府とNGOの共催によって「日本セミナー」が開かれた。内外から40人を超える参加者があったが、この中にはベングト・リンドクビスト氏(スウェーデン、国連社会開発委員会・前特別報告者)の姿もあった。
◆アジア太平洋地域から、日本から追い風を
あわただしい最終日(6月27日)、諸会議の合い間を縫ってアジア太平洋地域の関係者会議が開かれた。目的は、ワーキンググループ委員のうちアジア太平洋地域のNGO枠1人分の選出方法を決めることであった(なお、ワーキンググループ委員のNGO枠12人分は、国際障害同盟から7人、残り5人は5つの地域から選出されることになった)。
司会役を務めたのは、ディスアビリティ・オーストラリア代表のフランク氏であった。2度にわたるミーティングで、次のような内容でまとまった。(1)推薦委員会を設置することとし、委員長はフランク氏が担う、(2)推薦委員は、APDF(アジア太平洋障害フォーラム)、PDF(太平洋障害フォーラム)、ニュージーランドDPAからの代表者とする、(3)決められている日程である40日以内に選考を終える、(4)事務局をESCAPに依頼する、というものであった。
さて、最後にわが国として障害者権利条約の採択促進にどのような形でかかわっていくべきか、この点について簡単に触れておきたい。これについては、6月25日に国連本部内の会議室で行われた日本政府代表団と日本のNGO傍聴団との懇談会の席上、NGO側よりいくつかの点で申し入れがなされた。主なものは、(1)ワーキンググループ委員に日本政府として立候補する(アジア地域の政府代表枠は7人)、(2)今秋の国連総会でのわが国首相の演説の中に条約化の意義と採択促進の必要性を盛り込む、(3)発展途上国に対して、条約化の過程で必要となる資金を支援する、などであった。山本国連代表部公使、久野外務省人権人道課主席事務官より、政府と調整を図りながら検討していきたい旨が述べられた。
来年の第3回特別委員会に先立ってワーキンググループの設置が決議され、条約化に向けて実質的な検討に入っていくことになる。また今秋以降、ESCAPを軸にアジア太平洋地域での意見交換の場がもたれることになった。国内政策に確実に影響を及ぼすだけに少しでも高い水準での採択が求められる障害者権利条約であり、重要なスケジュールにどう対処していくのか、日本の政府と民間団体の構えと力量が厳しく問われていくことになろう。
(ふじいかつのり 日本障害者協議会常務理事、本誌編集委員)