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積極姿勢が目立ったNGO

松友了

◆昨年の委員会の印象

 前年の総会の決議を受けて開催された昨年の第1回特別委員会は、「条約」の必要性とそれを論じることにさえ、疑問を呈する雰囲気があった。少なくとも、消極的な意見を表明する国が多いという印象であった。
 確かに、〈権利〉の重要性を否定する国はなかったが、新たな条約の必要性には懐疑的か否定的なのである。その理由は、すでに存在する〈権利〉に関する各種の条約で十分とするものから、それを理由とした新たな経済援助につながることは勘弁いただきたいとするものまで、国によって異なっていた。
 わが国も、本国での方針が明確に定まっていないということもあり、曖昧(あいまい)かつ抽象的な発言によって、姿勢はどちらかと言えば後ろ向きという印象を与えるものだった。われわれ日本からの傍聴団は、その流暢な英語ながら無内容な発言(時には、露骨な米国追従の内容)にイラつき、落胆したものである。
 このような事態に私たちは、条約の制定までにはかなりの時間が必要だと考えた。「子どもの権利条約」の経験から、10年近い年月の覚悟を促す人さえいた。とにかく、具体的な内容(草案)を作成する段階に至るまでに、障害についての啓発が求められる感があった。

◆早められた結論

 このようなモノトリアムの状況を動かすかのように、今回の委員会は「条約」の意義と必要性についての討議から入った。まず、国際法の専門家によってパネル討議がなされたが、そこでは繰り返し他の権利法の分析・検討などを踏まえ、「条約」の必要性が主張され、論じられた。
 それを受けて、各国の代表や国連機関の意見表明に入ると、消極的な意見は驚くほど姿を消していた。それどころか、各地域での取り組みの報告が続き、『試案』に近いものや『提言』が続いた。特に中南米地区の各国政府は、メキシコ政府がこの条約の制定を提案したこともあり、その必要性を大変積極的に強調した。そして、特別委員会の前半の終了段階では、「議論は尽きた。草案の作成作業に入るべし。」という意見が大勢を占めるに至ったのである。
 この雰囲気は、各国・地域によって温度差があった。とくに米国は際立っていた。〈権利〉の重要性と自国の対応の自慢話(それも繰り返し、ブッシュは大統領の父君の業績の紹介がなされた)はあっても、「条約」には(というより、国連自体に)関心を示さず、どちらかというと否定的であった。また、昨年は積極的な議論を作りだす役割があったEU(欧州連合)は、ギリシア政府を代表として登場し、比較的穏健な発言に終始した。しかし、全体としては急速に「条約」の草案作成へ進む勢いであった。これは、われわれの予想を大幅に越えるものであった。
 確かに、これからの作業の道のりは長く、茨の道であることが予想される。後半の討議の報告を聞くと、「条約」の趣旨や目的さえ否定される不安がある。しかし、ベルリンの壁が一夜のうちに崩壊したような、劇的で急速な変化を見ることができる。もちろん、それは底流に大きな動きがあったからである。

◆NGOの積極参加

 前回の特別委員会で、その参加が正式に認められたNGOの活躍は、さらに活発になった。特に障害者インターナショナル(DPI)の積極的な動きが目立った。DPI日本会議は『意見書』を提出し、高い評価を受けた。また、画期的なESCAPの『バンコク提案』も、DPIを初めとしたNGOの強力な関与でまとめられたものである。それは、アジア太平洋地区の躍動とともに、NGOの飛躍を高らかに示すものであった。
 NGOは7団体によるIDA(国際障害同盟)を核に、さらに発展した動きを見せていた。しかし、当事者団体としてはDPI以外の動きが、昨年に比べて低調であったことが気になった。また、開発途上国からの参加が著しく少ない感があり、参加支援を含め、この点での取り組みが今後の課題と言えよう。
 日本政府は、代表団にNGOの代表(DPI日本会議の東俊裕弁護士)を加え、NGO重視の姿勢を示したことは、国際的にも高く評価されることであった。そして、アリバイ的でなく、発言内容にも関与し、代表団はそれを受け入れるという結果は、わが国の外交史上で画期的な出来事であったと言えよう。それだけ、NGOが力をつけてきたことであり、GOがそれを正当に評価したことと言えよう。「我々抜きで決めるな」という当事者団体の主張は、今や障害分野では国際的には常識となった。そして、わが国もそれに乗り遅れなかったということは、「新しい時代」の幕開けを予感し、期待させるものがあった。

(まつともりょう 社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会常務理事)