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世界のNGOパワーに学び、
決意とロマンを新たにした傍聴団の旅

市橋博

 ニューヨークの国連本部で6月16日から27日まで開かれた「障害者権利条約特別委員会」に、私も障全協(障害者と生活と権利を守る全国連絡協議会)の副会長として後半の一週間、日本からの傍聴団の一員に参加させていただいた。そして、権利条約策定に向けてワーキンググループが作られるなど、歴史的な瞬間に傍聴団として参加できたことは、30年障害者運動に参加して来た私にとって、喜びと歴史の大きな流れを感じた。「国連では世界の国々の代表と障害者が集まり、障害者権利条約策定に向けての大きな一歩が踏み出された」と、日本で厳しい生活を送っている障害者と家族に早く伝えたい気持ちでいっぱいになった。
 しかし、問題はこれからである。特別委員会でも、さまざまな議論が行われた。障害者の範囲の問題、経済開発の問題など、多くの議論をこれから積み重ねていく必要がある。ワーキンググループの委員の配分の議論にも随分時間を費やした。国際的会議には、DPI札幌会議に次いで2回目にすぎない私には、発想の転換を要求される場面がいくつもあった。そして、私が今回もう一つ改めて感じたのは、世界の障害者団体NGOの人たちのもの凄いパワーである。
 今回、ワーキンググループにNGOの代表が入ったのも当然といえば当然だが、これまでの彼らの努力によるものである。特別委員会では、NGOの発言を議長が、会議の最後ではあったが、毎回保障していた。特別委員会と並行して、NGOの会議も開かれ、私も参加した。差別や障害者の参加の問題に対する一歩も引かないで主張する各国・各団体の人たちに、日本では相当やっているつもりの私も、たくましさを感じた。なぜか、女性が多かったことが、それを一層増加させた。
 これらのNGOの人たちから学んだことがいくつかある。
 一つは障害者の範囲、障害の捉え方である。日本でも言われているように固定的にではなく、広く捉えよう、という意見が大勢であったが、「『その国で、どう権利侵害され、どう困難さを持っているか』で捉える必要がある。私たちが声を出していこう」という内容の発言が何人かからあったのが印象的であった。発言の通り、それぞれの国の状況により障害者の実情も違う。障害者が各国で声を出し、それを討議し、積み重ねることに「障害者権利条約」策定の意味があることを改めて感じた。NGOの人たちは、主張を激しくするが、聞く耳を持っている。世界の障害者の現状が、障害者から語られ、分かち合う時を期待したい。
 ワーキンググループの委員の配分については、ニカラグアのNGOから「アメリカ大陸からの代表と言っても、USA、カナダ、メキシコで占められてしまう。中・南米のことも考えてほしい」「アフリカもアラブ圏とその他の地域のことがある」などの話が出された。大国のニュースだけでなく、世界の情勢についても学ぶ必要がある。
 NGO組織から、「地雷による障害者が今日も生まれている」との発言があった。イラク、アフガニスタンなどのことを思うと、今日、国連で「障害者権利条約」の討議がなされる意義の大きさを感じ、「戦争は障害者を生み出す最大のもの」で、国連の役割が大きくなる。平和について改めて学んだ。
 今回の特別委員会に、日本政府代表団に障害当事者の東俊裕さんが加わったことは、日本の障害者団体活動から見ても前進である。そして、昨年に続いて幅広い障害者団体が参加して傍聴団が組まれた。これは、わが国で「障害者権利条約」策定の推進力になるだろう。
 私は、「障害者権利条約」策定に際して、海の向こうで議論が行われていることでなく、わが国の障害者が幅広く参加して議論を起こすべきだと思う。「日本で、どう権利侵害され、どう困難さを持っているか。権利を守る道筋はどうあるべきか」徹底的に論議すべきである。
 そして、「障害者権利条約」は、策定まででなく、その後各国が批准し、国内法を整備し、国連に報告するなど、息の長い運動の始まりでもある。障害者団体の一員として、新たなロマンを持った旅でもあった。

(いちはしひろし 障害者と生活と権利を守る全国連絡協議会副会長)