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文学にみる障害者像

ダニエル・キイス著
『アルジャーノンに花束を』

松永千恵子

 人間の知能指数(IQ)が低いことは悪いことであろうか、もし、それが悪だとしたら、知能指数(IQ)が高いことは良いことで、それは人としての幸せにつながるのだろうか?
 作者のダニエル・キイスは、この普遍的で難解なテーマの答えの一つをこのSF小説の中で著している。『アルジャーノンに花束を』は、1950年代のアメリカニューヨークを舞台に、突然天才となった知的障害をもつ主人公の悲哀を、当時の障害児(者)の置かれた状況や科学、恋愛、友情を交えて繊細に描いた傑作である。障害の有無に関わらず人間は人間であって、人としての扱いをしてほしいという主人公の痛ましいほどの思いが心に突き刺さり、涙せずにはいられない。小説全体は主人公の経過報告という形で記されており、知的水準が高くなるにつれその文体が変化するように、運命に翻弄される主人公の孤独な心のひだを感じさせる手法は見事だ。アメリカのみならず全世界で読まれ、日本でも大変なベストセラーとなったからご記憶の方もいらっしゃるだろう。近年、テレビでもこの小説が原作のドラマが放映され、やはり話題を集めた。

 主人公のチャーリー・ゴードンは32歳。IQが70という知的障害をもち、周囲の人間のからかいまで友情の証と受け取る人のいい好青年で、ニューヨークの下町にあるドナー・ベーカリーで店員として働き、一人暮らしをしていた。
 彼は賢くなりたいとずっと願っていたが、ある日そのときがやってきた。彼が読み書きを習いに行っていたビークマン大学成人センターのキニアン先生の推薦で、教授が研究していた知的能力を向上させる脳外科手術を受けることになったのだ。その手術を先に受けた白ねずみのアルジャーノンは驚くべき知能を得て、迷路のテストでは人間のチャーリーを圧倒する。
 アルジャーノンと同様の手術を受けたチャーリーは、日に日に知的水準の変化を遂げていく。英語の読み書きどころか、外国語も何か国語も精通し、彼に読み書きを教えてくれたキニアン先生や手術を担当した教授の知的水準をはるかにしのぐ天才へと変貌を遂げた。
 「ニーマー教授のいうようにぼくの知能が増大して、70というぼくのIQが二倍になればきっとみんなぼくを好きになって友だちになってくれるかもしれない。」1)知的水準が上がれば、今よりもっと友達が増えて楽しい生活が送れるとチャーリーは純粋に考えていた。
 しかし、天才となったチャーリーは彼がまったく予期しなかった問題に直面する。大人になった心とともにキニアン先生への性的欲求に戸惑い、他の追随を許さない知能の高さから傲慢になった自分に苦しむ。そして、シカゴの学会で受けた自尊心を踏みにじる実験材料扱いには大変な憤りを感じ、アルジャーノンと一緒に学会会場から逃亡してしまうのであった。
 高い知能を得て、彼は忘却のかなたにあった子ども時代の記憶も取り戻す。「利口になりたいという私の異常なモティベーションが何から発しているかということがようやくわかったと思う。それはローズ・ゴードン(母)が日夜願いつづけていたことなのだ。彼女が望んでいるような利口な子になりたいという気持ちを持ち続けていた、そうすれば彼女は私を愛してくれるからだ。」2)さらに、思春期になり妹に対していたずらするのではないかという親の不安から、家族と引き離されたという悲しい事実をも思い出したのである。
 チャーリーは頭が良くなり、自分の状況をはっきりと自覚し、知らなければ幸せで済んだことも知ってしまう。頭が良くなるということは、必ずしも彼に幸せを運んできてくれるわけではなかった。
 さらに彼に追い討ちをかける出来事が待っていた。白ねずみのアルジャーノンの行動に大きな変化が現れたのである。チャーリーが作成した迷路を、かつては慎重かつ決然と進んでいたが、今は猪突猛進、常軌を逸するようになっていた。また、ものうげになり、行動に切迫感が感じられるようになった。急いで研究室にアルジャーノンを戻したが、しばらくの後には、えさを受け付けなくなり、強制給餌の事態まで進んでしまった。そして、アルジャーノンはチャーリーに大きな不安と恐怖を残しながら死んでいった。
 チャーリーはアルジャーノンに親近感を抱いていた。同じ手術を受け、研究所の教授や助手から実験材料、つまりモルモット扱いされている一人と一匹。アルジャーノンはいわば彼の分身、言葉は理解できないがお互いに一番理解しあえる同士であったのだ。モルモットの死体は研究室の焼却炉で燃やされることになっていたが、チャーリーはアルジャーノンの亡骸を貰い受け、金属の箱の中に入れて家に持ち帰り、裏庭に埋めた。墓に野の花を供えながら彼は泣いた。
 そのアルジャーノンの異変を天才となったチャーリーは科学的に解明し、自分の身の上にも起こりうると予想した。自分の脳が萎縮し、退化していくという事実は、彼には大変耐えがたいもので、その場合はどうされるのかと教授に問い詰めたり、ヒステリックに人に当たったり、さらに彼が送られるであろう巨大な施設を見学に行ったりした。
 非情にも知的機能の崩壊は刻一刻と進み、彼にはもうどうする術もない。記憶はどんどん薄れ、文章もまともに書けなくなってきていた。この残酷な結末に、チャーリー自身はだれをも恨まず哀れみの情も受けたくないという。研究に関わった人たちへの感謝とさよならの言葉が記され、チャーリー最後の経過報告は締めくくられる。

 ダニエル・キイスはこの小説の中で、知的障害者の主人公を知能水準の低いときは「好ましい精神遅滞の若者」と描き、高度な知能を得て天才と変貌した後は、「傲慢で自己中心的で反社会的な手に負えないしろもの」と書いている。チャーリーは母から人には親切にしろ、そうすればお前も親切にされる、仲良くなれると言われて育ってきた。その言葉をまっすぐ信じ、かくしてチャーリーはだれからも好かれるお人よしになった。知能だけでは何の意味も持たない、人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんて何の値打ちもないと作者ダニエル・キイスは伝えている。彼は、知識を得る教育とともに、人格を育成する道徳教育の必要性を訴えているのだ。さらに、他者の存在、それはつまり社会的弱者の存在を認め、種々の人間が共存する社会であることが本来の社会の姿だとも暗に主張している。この考えは、1950年代当時、アメリカで始まった自立生活支援運動やノーマライゼーションの理念に影響されているだろう。
 作中では、当時のアメリカで行われていた心身障害児(者)の大規模収容施設も描かれている。「ウォレン養護学校」がそれである。チャーリーは幾度もそこに送られる機会があったが、免れていた。しかし、手術後、知的水準の衰退と人格崩壊に至ったら、その大規模収容施設へ送致されると決定し、チャーリー自身見学に行っている。そこで行われている将来への希望のない処遇に彼は大変失望させられる。
 もう一つ、この小説の中で重要な意味を持つ脳外科手術について触れる。ダニエル・キイスがこの本を執筆した1950年代より少し以前から、アメリカでは知的障害者に対して有効性が期待されていた新しい治療法、脳外科手術が行われていた。それは「前頭葉白質切截」(prefrontal lobotomy)、すなわちロボトミー法(ロボトミー手術)であった3)
 この手術を受けた知的障害者の一人にローズマリー・ケネディがいる。彼女は元米国大統領ジョン・F・ケネディの姉妹である。手術は失敗し、以前は軽い遅滞だったローズマリーはより重度の知的障害者になってしまった。彼女は生後すぐにインフルエンザに罹患したが、そのとき受けた脳の傷を、外科医のメスが破壊しつくしてしまったのである。その後、彼女は家族の手により首都ワシントンにある私立知的障害者施設に送られ、そこで残りの生涯を送ることになった。
 脳外科手術に対して否定的な扱いをしていることからわかるように、作者ダニエル・キイスは人間とはありのままの存在が一番尊いと考えていたようだ。

 この小説は、次のようなチャーリーの追伸で終わっている。
 「ついしん どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。」4)
 奇跡と悲劇を乗り越えた後も、なお限りない優しさを感じさせるチャーリーの言葉に、私たち読者は大いに感動し、「もちろんだよ、チャーリー。君のことも忘れないよ」と心の中で答えてしまう。また同時に、彼を実験材料扱いした科学者と私たちは、どこか同じではないかという罪悪感も感じる。この小説は、健常者、障害をもつ人たちを支援する者にとっては戒めの意味も含まれているのである。

(まつながちえこ 常磐大学コミュニティ振興学部非常勤講師)

【引用・参考文献】
1)ダニエル・キイス:『アルジャーノンに花束を』早川書房、1994.
2)同上
3)清水貞夫他監訳:『「精神薄弱」の誕生と変貌(下)アメリカにおける精神遅滞の歴史』学苑社、pp.193、1997.
4)ダニエル・キイス:『アルジャーノンに花束を』早川書房、pp.319、1994.