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ひろがれ!APネットワーク

韓国
理想と現実の間で苦しみながらも、
新しい韓国の自立生活の夢を見る

朴賛五(ぱく ちゃの)
(ダスキン3期生)

社会が変わらなければならないという夢のような話

 生まれつき障害をもっていた私に、障害はいつもついてまわった。しかし、障害をもって一生懸命に生きようと努力した。そして遅れて勉強を始めて25歳で大学に進学して、私は社会の主流に入るために青春を捧げようと思っていた。そうした時に読んだ『ADAの衝撃』という本には大きな衝撃を受けた。「これまでわれわれ障害者たちは社会に適応するために努力した。今や社会が変わる時である。」と言うこのくだりは私が自立生活をする契機になり、自立生活運動に打ち込む原動力になった。
 しかしいつも社会に適応するために努力してきた私はこの言葉に衝撃を受けながらも、まず何をしなければならないのかを自覚するのに多くの時間がかかった。自立生活の歴史や基本的な理念、自立生活パラダイムの変換などを勉強しながらも、これが果たして現実に可能だろうか? これはアメリカ、日本のような先進国なら可能な夢のようなことではないだろうかと考えた。しかし私はその夢から覚めることができなかった。
 こうして夢を見ながら始まった自立生活は、1997年定立会館でアメリカバークレー自立生活センターの研修、1998年のヒューマンケア協会が韓国で行った自立生活セミナーやピアカウンセリング講座を受けながら、これが私一人だけの夢になるのがいやであった。そして同じ夢を持った人々と夢の実現を図る歴史が始まった。

重度障害者中心の自立生活が韓国の自立生活運動に与えた影響

 一人の重度障害者が始めた自立生活運動が、世界の障害者福祉の道しるべになったように、自立生活運動は今、韓国でも障害者と障害関連専門家の間で本格的な話題になっている。障害者政策に障害当事者が参画しなければならないということや、重度障害者を中心に自立生活サービスを進めなければならないということは、重度障害者に驚くべき事柄であった。特に自立生活運動のリーダーは重度障害者がやるのがいちばん良いという話は、重度障害者たちに希望と自信を与えてくれた。
 韓国で日本のヒューマンケア協会の支援でピアカウンセリング講座が開催されて、これを通じて多くの障害者たちが自分の権利と力を分かり始めた。また韓国に自主的な障害者運動も影響力を発揮し始め、地下鉄にエレベーターを設置することやノンステップバスなどの導入を要求する障害者交通アクセス権運動も始まった。
 韓国の多くの障害者たちは自分たちの権利とこれまで抑圧されてきた要求を噴出し始め、その結果、多くの障害者団体が生まれ、同じ考えを持った仲間を集めて、時には過激な運動をしたりもした。現在、韓国には自立生活を始めとして多くの障害者運動の争点がある。自立生活の領域では、重度障害者を中心に進めなければならないという原論的な悩みの中で、重度障害者たちは実務能力や運営に対する方針を取ることができないでいる。また重度障害者たちは、障害年金や国による活動補助が支援されない状況の中で多くの困難に直面している。世界では差別禁止法制定運動も活発に進行していて、韓国の障害者交通アクセス権運動も政府の約束を取り付けたが、まだ満足する内容ではなく交渉が続いている状況である。
 1980年代末から始まった韓国の障害者運動は、確かに変化して活発に動いている。初めは職業リハビリテーションを要求していたが、今は年金や自立生活運動の要求に変化している。これは障害者が働かなければならないという考えがなくなったものではなく、これまで行動できなかった重度障害者が運動の中心になって進行しているという証拠である。初期の障害者運動には障害当事者が福祉サービスの対象と認識して障害者福祉法などの改正を要求してきたが、今はさらに積極的な差別禁止を社会に要求している。現在の韓国の交通アクセス権運動がその代表的な事例である。障害者が一般交通手段を利用するということは、障害をもっていない非障害者と対等な権利を要求することである。このような考えの変化はそれぞれの個人が持っている。
 このような変化の一番の理由は、まさに自立生活運動が韓国に根付きつつある証拠であると考える。私自身も影響を受けて変わったが、アメリカと日本の自立生活運動は韓国障害者運動の新しい強い刺激になった。

韓国の自立生活運動の現状

 私が日本でのダスキン障害者リーダーシップ研修を受けて韓国に帰っていちばん変化したことは、ソウル市内5か所の自立生活センター建設のために年4,500万ウォンを申請することになったことと、韓国社会福祉共同募金から自立生活センター支援企画事業という名前で7か所の自立生活センターと全国自立生活センター協議会が協力してお金を申請することになったことである。しかし、このような外部の支援はかえって障害者運動の意見が分かれる様相を見せている。政府を相手にさらに強力な運動をしなければならないという側と、障害者運動も組織を強化させながら、地域の障害者にもサービスをしながら運動しなければならないという側との対立が起こっている。このような対立の裏にはそれぞれの能力と性格によるところが大きくて残念だ。
 しかし自立生活運動は、運動と事業の均衡と調和で完成されるということを私はダスキンの研修を通して勉強した。韓国の障害者運動もこのようなことを心に銘じたらいい。運動と事業はこのふたつすべてが大切で重要だ。また自立生活運動が広まっている現在も、新たな問題がある。いちばん重要なのは、今までの運動は韓国の労働運動の影響を多く受けていることである。これは韓国の障害者運動が自分たちの戦略と運動の方式を作ることができないでいる理由である。
 私は今、韓国では運動と事業の調和の中で新しいわれわれの運動を作らなければならないと考える。このような考えを私が今働いているソウル障害者自立生活センター(www.scil.or.kr)を通じて、自立生活運動の新しいモデルを提示しようと思っている。日本の多くの同志の強い関心と支持を望む。