タイ
タイの障害者運動
アンポール・ポンプラサンウェット
(ダスキン2期生)
タイの障害者は、いつも社会問題という共通の海の真っ只中で生活しているようなものである。そのかいもなく、彼らは貧困や就業機会の搾取、人権といった問題と闘い続けている。
最近では、中東地域の戦争やSARSの流行で世界経済が大変な影響を受けており、タイでも失業者は増え続けている。これらの状況は、障害者の就業をますます難しくしている。さらに、障害者だけでなく、その家族や親戚などにも暗い影を落としているのは確かである。そうなると、家族に頼って暮らしている障害者には、ますます肩身の狭い状況となる。
この問題は障害福祉の実施レベル、政策レベル両面にマイナスの結果をもたらしている。たとえば、予算削減のために知識や研鑽を積むための郊外研修のようなプログラムがまず影響を受け、そしてリハビリテーションや教育、職業訓練なども縮小を余儀なくされている。
パタヤのレデンプトール会障害者職業学校は、障害者にコンピュータや電気関係の職業訓練を提供している。また、訓練修了後には、卒業生に対して職業斡旋も行っている。一般社会で尊厳を持った労働者となるように、この学校のスタッフはいつもよい教育や訓練を提供できるように心がけている。教師たちは常に教育技術を高めることを求められるだけでなく、障害者が地域社会に溶け込むための啓発活動やサポートシステムを計画したり実施したりしなければならない。学校は生徒や教師、スタッフたちに障害の有無を問わずに、地域レベル、国レベル、世界レベルでのスポーツや各種イベントに参加することをいつも推進している。
これまでこの学校は、1500人以上の卒業生を市場に送り出している。タイ公共健康局の統計によると、健常者に対する障害者の割合は8.1%、480万人である。この数字で言えば、この学校の卒業生は依然として少ない。学校はスタッフと共に、障害者の職業訓練センターと職業開発のための全国ネットワークを作るために、行政に働きかける活動も行っている。この動きは障害者関連の組織を活気づけ、相互に交流の機会をもつなど、新しい波を起こした。
このような新しい動きにもかかわらず、多くの障害者たち、特に重度障害者たちは依然として置き去りにされている。職に就くことのできる障害者は、切断や脊損、ポリオなど移動手段を自分で得ることのできる障害の軽い者に限られている。
たとえば、重度障害者は、平均で5年以上も家に閉じ込められていると言われている。ひどいケースになると、10年以上も同じ場所で寝たきり状態となっている。このような状態を改善するために、障害をもつリーダーたちは地方の役人や関係団体の人たちと、政府に対して政策提言を行っている。重度障害者に対する支援はないことはないが、それぞれのニーズに合っていないというのが現状である。さらに、よいサービスを提供する経験を積んだ人材が不足している。
2002年までJICAの助成を受けて、タイと日本の障害をもつリーダーたちが協力して、自立生活センターの試行事業を実施した。これを受けて、ここ3年間でセミナーや会議、いろいろなイベントなどの活動が活発になった。
最近、日本のリーダーたちの支援を受けて、ようやくタイの重度障害者に対するサービスが少しずつ改善されてきた。しかし、自立生活運動の考え方は先進国と言われている国には定着しているが、タイのような国ではまだ新しい考えだったので、最初からうまく進んだわけではなかった。特に、医者や施設職員などは古くからの方法から抜け切れず、また否定的に捉えることしかできず、そのため障害当事者とぶつかり合ったりすることが多かった。その後、何度も会議や話し合いを重ね、少しずつ理解を深めていき、そして可能性が高まっていった。
ここで、一つの例を紹介しよう。オートバイ事故で首から下がマヒし、頚椎損傷となった男性がいる。医学的治療の後、彼は8年以上も自宅のベッドから動くことができなかった。彼は家族の介護の元で、人生に何の希望も持っていなかった。ある日、IL運動のリーダーが彼の家を訪問し、彼はピアカウンセリングのグループに加わり自立生活プログラムに参加した。彼は希望を取り戻し、まず座る練習を始めた。次に、ベッドから移動することに挑戦した。このように、少しずつ物理的にも精神的にも、彼は自信をつけていった。初めは、家族はとても心配したが、彼の様子を見るうちに安心した。現在、彼はパソコンの勉強をしており、夢は自分で稼いで生活することである。
もう一つ成功例を挙げよう。18歳のアテトーゼ型脳性まひの彼女は、就学の機会もなく、家から一歩も出たことがなかった。家族が面倒を見ていたが、忙しくて十分に世話をすることができなかった。なんと、5年以上も歯を磨いていなかったのである。しかし、自立生活プログラムに参加し、自分で歯を磨いたり顔を洗うことができるようになった。そして、今は読み書きを習うまでになった。彼女を厄介者だとしか思わなかった家族も、今ではとても協力的である。
このようにタイの障害者たちは、少しずつ元気になってきている。一方で、リーダーの不足から、特定の人々に仕事の負担がかかりすぎるという事実もある。しかし、みんな障害者の状況をよくしようと、頑張っている。
これらの成功はすべて、自立生活運動の理念を持って改革を進めたからである。この理念は、障害当事者を変えただけでなく、家族や親戚、近所の人や地域までによい影響を及ぼしている。
このILプロジェクトは、JICAをはじめAPCD、RVSD、タイ障害者協会、チョンブリ障害者協会など、複数の組織の協力によって実施されている。また、このプロジェクトを実際に推進してくれたのは、ヒューマンケア協会の中西正司氏や他の日本のリーダーたち、タイのトポンとスポンタムというリーダーの協力によるところが大きい。このように、タイの障害者運動は日本の障害者リーダーたちの協力により、今大きく動いている。
私はダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の2期生として、10か月間日本で研修した。このプログラムは、過去4年間に、33人の卒業生を輩出している。帰国後、それぞれがいろいろなフィールドで活躍している。私もこの研修を受け、大きく成長した一人だと思っている。スポンサーであるダスキンやお世話をしてくれたリハ協の人たちに恩返しをするためにも、これからはリーダーとして、タイの障害者が社会でよい生活を送ることができるようにするために懸命に働くつもりである。また、この研修を通して、広がった人脈を大切にして、障害者のグローバルなネットワーク作りもめざしたい。