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親の立場から
生活に合わせられる基盤整備を

播本裕子

 「お上に決められた処遇を受けるのではなく、自ら選択し自由にサービスを利用できる制度が始まる」。このような鳴り物入りで始まった支援費制度ですが、現実的にはこの制度でこれまでより悪くなったと感じている人に出会うことが多々あります。
 わが家には重度の知的障害をもつ21歳の息子がおります。親の顔も見たくないと感じる中学部の頃から、自ら進んでショートステイを利用できていたことが、高等部卒業後、自然に親元から離れた生活に入っていく大きな力になりましたが、今こうした利用は、非常に困難になっています。もし、月初めに支給量を使い切ってしまったとしたら、いくら本人が行きたいと言っても、簡単に月末頃に速やかに支給量を変えてもらって利用することなど無理な話です。そもそも生きて行くためのさまざまな支援の量を月単位で決められてしまうことは、自由を束縛されているように感じることです。以前は利用の申し込みや手続きをするだけで、後は施設に空きさえあればいつでも利用できるという「自由」がありましたが、今は、利用した時間数やこれからの自分の体調や都合、本人のパニックの予定(?)なども気にしながら利用していかなければならないという不自由さを感じてしまいます。
 また、月初めに施設に申し込みの電話をしてもつながるのは奇跡とか、ようやくつながったらもう満杯という声をよく聞きます。支援費制度になったことで、今まで使わなかった人も使うようになったことはとてもよかったと思いますが、ショートステイに限らず、基盤整備を怠ったままでサービス対象者が増えてしまえば、大勢の「今までよりも悪くなった」という人が出てくることは当然のことです。こうした「売り手市場」の中では、障害者が事業者に選ばれてしまうという事態も実際に見聞きします。
 これからは介護保険制度との関連性も検討されることでしょうが、高齢者にはない子育て、就労など、個々人の違いに配慮した柔軟性を持たせてほしいと思います。メニューに生活を合わせるのではなく、生活にメニューを合わせるようにならないと、当たり前の生活には程遠いものになってしまいます。
 選挙の付添い、朝のごみだしなどは、ヘルパー派遣の最小の時間とされている1時間または1時間半も必要ないということで、利用できないという話も聞きます。今後、公的に支援すべきことをすべて支援費で賄うというのも、話が違うような気がします。少なくとも、選挙でだれでも投票できるようにしなければならないのは選挙管理委員会でしょうし、ごみだしに関して言えば清掃関係の担当課の仕事と考えるのが自然ではないでしょうか。
 また、「利用契約制度」という中では、知的障害者の息子にとって、その権利擁護システムができ上がっていないことが非常に不安です。

(はりもとゆうこ 大阪障害児・者を守る会)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2003年10月号(第23巻 通巻267号)