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ひろがれ!APネットワーク

スリランカ
スリランカのみんなが楽しく頑張った!

―クンブッカナ盲ろう学校にワークショップWITHがオープン!―

斯波千秋

オープニングセレモニーは大盛会

 79人の元気な生徒と10人の輝く先生、そしてお祝いに駆け付けた来賓・ボランティアの人たち、総勢150人の見守る中、スリランカ社会福祉大臣と日本のウイズを代表して斯波の二人がウイズブランチ(支所)の看板の除幕式です。赤い布が引き降ろされると、黄色地に黒で「“WITH”WORK SHOP・HEAD OF FICE HAMAMATSU CITY JAPAN」と英語とシンハラ文字で大書きされた大きな看板が現れました。
 2003年7月14日、約1年の準備期間で、スリランカと日本にWITH(ウイズ)という大きな虹のかけ橋ができたのです。まずは、スリランカの地で本当に頑張ったチャミンダ校長と日本との福祉の橋渡しをしたクマーラ先生に、そして彼らの活動を支えたボランティアの皆さんに『ご苦労様! おめでとう!』の讃辞を送ります。
 この作業所で盲ろう学校の卒業生たちが仕事の技術を身に付け、次の先生となって後輩たちの指導にあたるのです。製品の数々は付属の販売所で売られ、彼らの収入と学校・作業所の運営資金として活用されることでしょう。
 この日、クンブッツカナ ウイズワークショップの第一歩がスタートしたのです。

ウイズでの出会いが事業の始まり

 2001年の夏の終わり、スリランカから自国の福祉の向上を願う強い意志を持つ全盲の盲ろう学校の教師が来日しました。ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の3期生、ヘマンタ・クマーラ先生です。彼の選んだ研修先は、うなぎで有名な浜松市にある小さな視覚障害者中心の作業所ウイズでした。彼はウイズで知恵で仕事をつくること、工夫で障害者が仕事ができること、ボランティアの組織化、そしておしゃべりなどを貪欲に学び、自分の働く学校にも同じ作業所をつくる決心をしたのです。そして研修中に、盲ろう学校の若き創設者チャミンダ校長に彼の考えを伝えたのです。
 行動力のある校長は早々にウイズブランチ開設に向け動き出しました。日本では、クマーラ先生がいろいろな学校や会合に出向き、たった3か月で覚えた日本語で協力を訴え、作業所建設の資金と物資集めに頑張りました。2003年5月までに、点字タイプ76台等を含め、文具・工具・ミシンなど総重量1.5トンの支援物資と95万を超す資金を集め、コンテナに詰め海路コロンボへ送ったのです。
 私たちは虹のかけ橋プロジェクトと名付け、支援の輪をどんどん広めていきました。

いよいよ現地入り

 ウイズブランチ開所式が7月14日に決定。ウイズ職員2名、技術指導員など計6名のチームは、空路9時間、そしてデコボコ道をぶっ飛ばして9時間、盲ろう学校のあるクンブッカナへ向かいました。
 酷暑の中の開所式には、政府から社会福祉大臣、県知事等の政治家、経済界の人々が参列し、これから、この盲ろう学校や作業所に支援をするという約束を取り付けました。また近隣の学校、コロンボから来た障害者団体へも日本からの支援物資が分配されました。中でも特筆すべきは、20年間内戦相手であったタミール人の学校も招待し、文房具等のプレゼントをしたのです。盲ろう学校と作業所を行政・社会に認知させること、盲ろう学校を中心に学校間のネットワークができたことなど、私たちの初期の目標が達成され、プロジェクトは大成功でした。
 私たちは子どもたちと先生方との交流を深め、日本では忘れられた将来を見る目をもつ笑顔とたくさん出会うことができ、感動の日々でした。
 クマーラ先生の郷里や他の学校では、福祉と平和、環境についてのセミナーを開きました。すべての講演会はクマーラ先生の、名通訳が大活躍でした。日本でのおしゃべり学習が役に立ったのです。

ウイズのこれから

 ウイズブランチのこれからの道筋はできました。歩み進むのは彼ら自身です。私たちは彼らの必要なことを支援します。
 来春には、点字製版機を送り、点字印刷を仕事として広げ、スリランカの視覚障害者の教育と文化の基礎づくりをお手伝いする予定です。
 活動は楽しく一生懸命にすることが大切です。そうするとたくさんの支援者が集まります。一生懸命の二つのウイズを応援してください。

(しばちあき 障害者授産所ウイズ施設長)