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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年3月号

1000字提言

揺れる支援費と地域で生きる意義を問う

冨田昌吾

支援費制度がはじまって、まだ1年もたたないというのに、支援費制度の周りが騒がしい。今後、将来的に支援費制度がどうなっていくのか、介護保険とどうなっていくのか、介護保険の見直しともあいまって、議論が盛んに行われるようになってきた。

そもそも、この議論は財源問題からである。特に居宅支援の分野では、今年度(15年度)、来年度の国の予算確保すら危惧されるような状況の中で、今後の財源確保の窮余の一策にすぎない。

昨年末、グループホームの区分1の単価の切り下げと、居宅介護の単価の改正案が出され、当事者団体などが大反対行動を起こす騒ぎになった。これも財源問題である。が、この単価の切り下げ案の中で、いくつか考えなければならない支援費サービスの裏側がはっきりすることになった。ここでは、居宅介護の単価について触れたい。

厚生労働省が出した居宅介護の単価の改正案は主に二つ。一つは、身体介護と家事援助の単価を介護保険と同じにすること。もう一つは、移動介護の単価を今の「身体介護を伴う/伴わない」という区分から改め、「伴わない」に一本化すること、であった。一見、理に適ったようにみえるこの改正案は、特に重症心身障害(重心)や重度の知的障害、自閉症の方の社会参加支援を行っている地域のNPOなどを直撃することになった。

介護保険の居宅介護のモデルは、スポット派遣であり、家庭内での「介護」を目的にしている。一方、今回のことで改めて明らかになったのは、支援費の居宅介護の日常生活支援区分を利用することを想定されているいわゆる全身性障害者だけではなく、重心や重度知的障害の方への長時間の支援の実態と、いわゆる障害の重い方への社会参加支援が、移動介護サービスを利用することにしたがって、どんどん進んでいる実態である。

今回のことは、単にお金の話ではなく、「街でともに暮らす」「どんなに障害が重くとも地域で暮らしつづける」これらのことばが、マスコミなどに踊る一方で、実は、そのことばの中にイメージされている人たちは、一部の人たちに過ぎず、重心や重度知的障害、自閉症の方たちが、街の中で暮らし、社会参加していく姿はその対象から省かれていたのではないか、そんなことを思ってしまう。

こんな中で改めて、いま、地域で暮らすことの支援を総合的に議論する必要を感じている。

(とみたしょうご 寝屋川市民たすけあいの会)