音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年7月号

挑戦! アテネパラリンピック

車いすテニス選手
當間寛(とうまひろし)さん

【プロフィール】

19歳のとき、バイク事故で左足切断および頚椎損傷となる。テニス暦16年。出場する車いすテニス「ミックス(クアド)」クラスは、今大会からの新種目の一つ。1966年生まれ。千葉県柏市出身。

―當間さんがテニスを始めたきっかけは何ですか。

私は入院期間が2年半と、かなり長かったんですね。それで日常生活を送るうえでも体力をつける必要を感じていて、とにかく何かやれることがないかと思っていたところ、車いすテニスに出会いました。千葉は、車いすテニスをやっている人が結構多いんですよ。当時、千葉県ハンディキャップテニスクラブに所属していましたが、20人くらいいました。

―体力づくりのために始めたテニスですが、世界を意識したのはいつですか。

私がテニスを始めた頃は、クアドクラスはまだありませんでした。当時は、障害の区別なくやっていたので、だれとでも一緒に戦わなくてはならない状況でした。クアドクラスができたのは、10年くらい前です。世界ランキングで自分はどのくらいの位置にいるのかを知ることができます。

―障害の状態が異なる人との試合は、結構厳しかったのではありませんか。

いや、そこがまた、楽しいんです。障害が重くても軽い人に勝つという楽しみがありました。

―當間さんが出場するクアドクラスについて教えてください。

一番わかりやすいのは、片手がどちらか不自由であることでしょうか。半分くらいの選手がテーピングでラケットを手に固定しています。私の場合は、親指の筋力が落ちていてラケットが握りにくいんです。また、このクラスは障害の状態を重視していて、男女に分かれていないことも特徴です。

―2、3年前からアテネをめざしてきた當間さんは、代表に選ばれるまで厳しい状況にあったとうかがいました。

パラリンピックの開催が9月で、出場選手は4月の1週目のランキングによって決まるんです。世界ランキングは、1年間有効ですから、逆算して、昨年の4月から今年の4月までの間にたくさん試合に出て、いい成績を出すことが必要なんです。今年の初めくらいまでは、成績が伸びていなかったので、あと6か月ぐらい早くから取り組んでいればと思っていました。

2年前に仕事を辞めて「やる」と決め、後は、どこで終わりにするかということがありました。4月の大会でもし代表に選ばれなくてもやるだけやろうと、山口コーチとも話していました。昨年末に行われた全日本選抜車いすテニス選手権で、いい結果を出せるようになってきて、手ごたえを感じていました。選手に選ばれたときは、「本当に行けるの」という感じでした(笑)。

―アテネまであと2か月半くらいですが、それまでどういうところを集中的に練習しようと思っていますか。

勝つためには何をしなくてはいけないかが自分の中にイメージとしてあり、コーチと相談し、練習をシンプルにして全体的な質を上げていくことにしました。トップの選手たちは、シード権をとるために海外の大会を回るのですが、私の場合は、本番を想定した練習をすることに決めました。ですから、今年の夏は海外の大会に行かないで練習に専念します。国内大会は1つだけあります。

―アテネは暑いと聞いています。暑さ対策で工夫している点はありますか。

試合スケジュールをみても、午前と夜のみということから、かなり暑いんじゃないかと思っています。私の場合、体温調節ができないので、通常の練習は朝か夕方ですが、少しでも暑さになれるように、いまは午後3時から4時まで練習をしています。曇りとか雨とか、天気も結構重要です。涼しい時間帯に試合ができることを期待したいです。

―アテネではどんな試合をしたいと思っていますか。

クアドクラスは、16人出場するのですが、かなり厳しい試合になると思います。とにかく1つでも2つでも試合に勝つことが目標です。

それから、自分が納得できる試合をしたいですね。練習してきたことをすべて出し尽くす、ベストを尽くすことが自分では大事かなと思っています。

―最後に読者に一言お願いします。

私たちのクラスだけでなく、日本人選手がメダルを取ってほしいですね。海外の大会に行くと決勝戦は、近くに住んでいる人たちが見に来たりすることがあるんですけど、日本ではまだ、一般の人が見に来るといった知名度が上がってないので、ぜひこの機会に知名度を上げてみんなに注目してほしいですね。

(取材・編集部)

山口コーチから一言

當間さんとは、6年くらい一緒にやっています。すでにトップ選手がいたので、日本の2番手を狙おうと考えました。最後の半年くらいは、ランキングが25位くらいでしたが、この春の大会でがんばって、11位くらいまでになりました。最後まであきらめずにきたのがよかったと思います。苦しい状況を乗り越えてきた経緯がありますから、アテネでは、チャレンジ精神を持って、全力を出してがんばってほしいですね。