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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年8月号

座談会 介護保険制度と障害保健福祉施策

池末美穂子(いけすえみほこ)
日本福祉大学教授

石渡和実(いしわたかずみ)
東洋英和女学院大学教授

中西正司(なかにししょうじ)
全国自立生活センター協議会代表

森祐司(もりゆうじ)
日本身体障害者団体連合会事務局長

司会:藤井克徳(ふじいかつのり)
日本障害者協議会常務理事、きょうされん常務理事

藤井:今年1月に厚生労働省内に「介護制度改革本部」が設置されました。以来、介護保険制度と障害保健福祉施策との統合問題が大きくクローズアップされてきています。現在、社会保障審議会や厚生労働省、障害団体の間などで意見交換が続いていますが、基本的な方向はまだ明確になっていません。障害当事者や家族、関係者の中には、「どう考えていいのかわからない」、「統合すべきかどうか迷う」という声が聞こえてきます。

本日は、関係者のみなさんにお集まりいただきまして、統合問題に焦点を当て、この背景と本質をどうみたらいいのか、現時点で評価できる点や問題点は何か、今後深めるべき論点などについて意見を交換し、読者の皆さんに統合問題を考えるうえでの素材を提供できればと思います。

まず、介護保険との統合について、基本的な考え方をご発言いただきたいと思います。森さんからお願いします。

統合問題における基本的な考え方

:日身連では今年3月5日の理事会で介護保険制度問題に関わる検討委員会を設置することを決定し、第1回を4月24日、第2回を5月11日に開きました。そして国に質問状を出すことが決まりました。一方、私どもの全国大会が今年5月24日から26日の3日間神戸であり、その2日目の5月25日、代表者会議において、介護保険制度についての記事がちょうど前日の朝日新聞に掲載されたので、急きょ議題として取り上げられました。しかし、その時点でわれわれも、どういう形になるか厚生労働省に確認しておりませんでしたので、「介護保険制度などの問題については、検討委員会を開いて質問状を国に出している」という話をしました。その時「もう新聞のとおりに決まったのだろう」という意見もありましたので、急きょ、臨時理事会を開きました。そして「支援費制度を現状の介護保険制度に統合することについては、障害者の生活と福祉の後退を招く恐れがあるため、強く反対する」という緊急決議をしました。介護保険制度に統合されてしまうと、現状の支援費制度のサービスの基準より低くなり、納得できないということです。われわれとしては少なくとも現在の水準を保つべきという形をとりました。

社会保障審議会からは介護保険との統合についてそれぞれの団体から意見を聞きたいとの要請があり、6月18日に正式に日身連から兒玉会長と前田副会長と私が出席しました。6月4日に社会保障審議会障害者部会の3臨時委員から示された中間報告原案では「介護保険制度を活用する新しい障害者施策の案は現実的な選択肢の一つであると考える」と発表されました。これに対して日身連では「支援費制度を介護保険に統合することについては、緊急決議の基本方針を前提に、3臨時委員の中間報告は現実的な選択肢の一つであるとも考えられる。ただし、統合には、解決されなければならない多くの課題がある。この課題の解決のための新たな協議を国及び関係機関に強く要請する」と見解を出し、障害当事者団体を中心にした協議の場を速やかに設置するよう、国に対して求めているところです。

藤井:知的障害分野の立場が中心となると思いますが、石渡さんいかがでしょうか

石渡:支援費の理念はすばらしいと思いますし、これがスタートしたことにより、知的障害者や障害児の生活の質が家族を含めて高くなったと評価しています。支援費の成果を踏まえつつ「統合問題」を考えると、本来、福祉サービスは税金で行うべきだという考えがあります。しかし、今の日本の税制や税の使い方を振り返ってみると、福祉税として導入された消費税もほとんど福祉に使われていません。私は今の時点では、当面介護保険制度との統合という方向もやむをえないのではないかという立場に立っています。ただ統合するのならば、今の支援費のサービス水準を低下させてはなりません。本来なら介護保険制度も高齢者の「自立支援」という視点があったわけですが、現状では在宅の介護を支えるものでしかありません。高齢者を支援する方からは、支援費制度と一体化することにより高齢者の権利意識が高まるという声を聞きます。今の介護保険制度そのものの抜本的な手直しが必要だという声もあります。そのあたりのレベルアップも視野に入れつつ、介護保険制度に一歩踏み込むことも含めて、「地域生活を支える制度」全体のあり方を検討すべきだと思っています。

藤井:精神障害分野の立場からしますと、いろんな思いがあると思いますが、池末さんいかがでしょうか。

池末:3点あります。第一は今回の統合問題は、財源問題からという点です。であれば、なおさら障害者福祉の施策が前進するのか、精神障害者の福祉が整備されるのか疑問です。第二に、今回の統合問題でさまざまな障害者福祉の課題が表面化し、大幅に遅れてスタートした精神障害者福祉の問題もある程度、理解された点では前進だと思っています。ホームヘルプサービスなど精神障害者の福祉施策は、2002年に初めて医療・保健から離れて市町村の仕事となり開始されました。その方向性は言うまでもなく障害者施策の統合に向かってのことです。ですから当然次は支援費制度への合流と予想していましたので、介護保険との統合論には飛躍がありすぎます。第三に、施策と施策の統合と当たり前のように言われていますが、施策の本質はまるで違います。社会保険の介護保険と、公的責任による福祉である支援費制度を、簡単につなげようとする統合論には抵抗があります。特に精神障害分野は、福祉法がない中で2002年からやっと市町村で居宅生活支援事業という福祉施策が始まったばかりです。他の福祉分野とのこの大幅な時間差・制度差が、財源問題から発した介護保険統合によって縮まるとは考えにくいと思います。

藤井:DPI日本会議はかなり厳しい評価を表明されているようですが、中西さんの基本的な考え方はいかがですか。

中西:障害者が施設や親元でなく、一人で地域で普通の人と同じように暮らしたいという当たり前のことが1980年代まで認められず、知的障害者については親元でなければ暮らせない制度が続いていました。それがIL運動の考え方や地域での実態がようやく認められ、支援費制度という自己選択・自己決定による制度が初めて日本で生まれたわけです。これはある意味でIL運動の成果であろうし、当事者が地域で暮らして、社会の人々の心を変えていくという大きな仕事をやってきたわけです。その中で支援費制度が生まれ、知的障害者もようやくホームヘルプサービスを使って自立できるようになりました。2003年はまさに自分でサービスを決めて、まちに出て行くことができる、はじまりの年だったわけです。

ところが昨年12月に支援費制度のカットの問題が出てきました。そして今年に入って介護保険との統合問題が出てきたわけです。支援費制度の理念をつぶしたら、この先、どう福祉制度をつくっていくのでしょうか。

理念のまったくない単なる財源の問題から決めようということ自体、厚生労働省は本気で日本の福祉を考えてきたのかといいたくなります。介護保険制度の最初の研究会の答申では、まさに自立の理念が語られていました。しかし在宅で使いましょうと言っていたお金の半分は施設に持っていってしまったわけです。それでも支援費制度は介護保険に引っぱられて在宅サービスを実施しましたが、挫折しかかっています。基本的に障害者の施策は税で行うものです。高齢者の場合は皆が高齢者になるのだから正当化されるかもしれませんが、健常者もいつか障害者になるという論理は通らないですね。そういうときこそ国家の保障制度があり社会福祉として制度があるわけです。

高齢になったときに安心して暮らせるのがわかれば、若者も喜んでそのためのお金を払います。でも今は高齢になったら介護保険制度でみんな家に閉じ込められてしまう。障害者になったら地域に出て暮らすこともできなくて、施設で暮らすのだと国は言おうとしているのです。そういうことになったら、国を愛そうとか税金を払おうとする若者はいなくなります。そういう国家になっていいのかということです。根本的な問題にさかのぼって考えるべきだと思います。

基本的な方向として施設から在宅へというのは正しいと思います。施設と在宅への支援費の比率は8対2か9対1でしょう。介護保険制度だって6対4です。本当は全部在宅に使うべきお金だったわけです。支援費制度はまずここを是正すべきです。介護保険制度も施設から在宅の方向をはっきり出さない限り財源は生まれてきません。国が腰を据えてやる気になりさえすれば、支援費制度で在宅サービスが100億円足りないといっても4千億円近くを施設に使っているのですから、不可能ではありません。だから支援費は財源問題ではありません。日本がどういう福祉社会をつくりたいかという国家理念の問題です。

これまでの論議から見えてきたもの

藤井:この間、政策論議としては社会保障審議会の障害者部会と介護保険部会が並行して進められて、それぞれの中間まとめが出ています。統合論議の中で見えてきたことは、一つには支援費制度の「失敗宣言」、もう一つは三位一体政策との関連でいわゆる一般財源化への不可避論があげられます。これらのことが特徴として出ています。ここで、これまでの政策論議を振り返ってみたいと思いますが、中西さんいかがでしょうか。

統合の議論はいったん棚上げを

中西:社会保障審議会で立場を明確にしたうえで、国と一緒に勉強会を9回くらい開きました。在り方検討会も19回開かれました。あくまでも財源問題を抜きにして、地域で暮らすことを考えようというのが在り方検討会でした。全国の配分基準の問題ではお金が足りないのですが、その中で負担金の議論がなされないまま、一方で社会保障審議会の障害者部会がスタートしたために大きな政策問題がそちらへ移ってしまいました。在り方検討会では、国は介護保険制度との統合をめざしながら中身を考えたいと主張し、われわれは、将来の地域ケアをどうやっていくかを考えたいと主張しました。本来は支援費制度をいかに充実させていくかという議論をすべき場であったのに、意味のない会議だったのではないかという感慨があります。

本当は、在り方検討会の中に未来の福祉の展望があったはずなんです。精神障害のある人も当然地域で暮らさなければならないし、知的障害者は支援費制度の使い方やホームヘルパーの使い方すらまだわからないのですから、それをどうしたらいいのかといった根本的な話をしたつもりです。地域生活について国に施策がないので、そのメニューもつくらなければならなかったわけです。そういう重要な課題を提起したのに国は一切取り上げませんでした。国は財源問題に走ったとたん「理念なき福祉」に突入していったと思います。在り方検討会でも社会保障審議会でも、将来どのような福祉社会をつくりたいかという理念を国から一言も聞いていないのです。

国はすべての障害者の在宅の暮らしを支え、家族の顔色を見ながら施設に入っていく高齢者をなくすことを決意して、そこにきちんと税財源を入れていくという方向づけをすべきだと思います。私は今回の議論はいい機会だと思ったのです。それくらいの議論をして、国民もそう考える以外ないと覚悟をした政策転換をしない限り方向は見えてきません。もし介護保険制度と統合したとしても、その後どういう政策をとるのでしょうか。

今の支援費制度も実施にあたって、地方自治体の財源の増やし方はすごかったのです。多いところでは10倍くらい予算を増やしたところもありました。それなのに今度は出しすぎたところを削って、やってないところに廻すということになります。最初にもっとお金をどんとつけておけば地域は変わったと思います。市町村はもう在宅サービスをやろうという気はないというレベルになっています。それを認識して、この介護保険制度との統合の議論はいったん棚上げし、支援費制度をきちんと確保して、根づかせてから、介護保険制度を支援費レベルのサービスまで高めようくらいのことを考えて政策を立てないといけないと思います。

議論の場の関係性が不明確

池末:厚生労働省は在り方検討会、社会保障審議会、8団体との勉強会、さらにこれから特別部会をつくるといっていますが、これらの関係性と関係図がわれわれも含めて市民にはわかりません。いったいどこで語られたものが本当の意見として採用されるのか、明らかにしてほしいです。それから、介護保険の被保険者を20歳まで広げることと関連して、精神障害者だけでなく、難病の方、高次脳機能障害をもつ方、高機能自閉症をもつ方など、介護サービスを必要とするすべての人たちが対象となり同じテーブルについた点では前進だと思っています。また、最初は介護保険制度に支援費制度が吸収されるのではないかという危機感をもちましたが、この半年の間で吸収されるのは介護サービスの部分でプラスアルファの支援費の部分は生かしていくというイメージが示されました。

一方、日本において社会保険が制度としてどのように成長していくのかが描けません。社会保険の代表である公的年金制度も高齢者の老齢年金に終始して、障害者の所得保障という位置づけは極めて弱いです。だからこそ何十年にもわたって無年金障害者をつくり出してきた国民年金の制度改正を国はしませんでした。皆年金とは名ばかりで、国民年金の保険料拠出のシステムをいまだにきちんと設定できない欠点をそのままにして、今回の年金改革法を成立させたのが日本の現状です。

私的な貯金と社会連帯性にもとづく社会保険制度の区別についても、日本では学習する機会がありません。このような状態で、少数派で普遍化しにくい障害者の福祉を社会保険で行うということを、こんなにもあっさりと進めていいのでしょうか?

今回の8団体の会合が、財源問題から始まったことは残念です。反面、福祉に携わる私たちが、国レベルの財政問題に対して極めて無力であるということの現れでもあり、深刻に反省すべきことだと思います。

実際には地域生活支援の活動で、いやでも財政問題と直面させられています。どうやって市町村と連携しながら都道府県や国へ意見を上げていくかが常に課題になっています。だからこそ地域で市町村としっかり向かい合った活動が必要だと思います。私も八王子市で精神障害者の地域活動にかかわっていますが、活動の中心にいる職員はすごい勢いで行政との交渉能力を身につけています。今までの福祉従事者とは違った、新しい能力を開発させながら育っているような気がします。彼らが財政問題を踏まえて市町村、都道府県、国にきちんとものが言えるような活動にしていくことがより必要になってくると思います。

スタートが遅れた精神障害者施策

藤井:精神障害分野の各団体は、この統合問題に乗っていこうではないかという風潮が強いように感じますが、この点はどう考えておられますか。

池末:当事者団体の一つである全国精神障害者家族会連合会(全家連)の言っていることはたった一つです。遅れてスタートした福祉施策をいかに拡大・創設していくかです。そのことに役立つのであれば介護保険との統合も一つの選択肢であるとしていますが、しかし、そのために克服すべきいくつもの課題をも提起しています。今のように財源問題に走っている統合論である限り、全家連の期待している課題の解決にはならないのではないかと心配しています。

精神障害領域の特徴として、医療の中から援助の専門家が育っているということがあります。地域の実践家が援助者の主流になっていけば、身体障害、知的障害、高齢者の福祉施策の現状や歴史の動向を学びながら、地域での活動を一緒に進めることで、運動の方向性も一致させていけると思います。

精神の分野は、医療と保健と福祉との区分がつきにくい面があります。しかし私は、施策化においては医療施策と福祉施策をきちんと区別し、福祉施策は障害者施策として一本化する必要があると考えています。このことが精神障害領域にとっては今も、今後も、大きな課題になると思います。

藤井:精神障害者は支援費制度に入れなかったということですが、支援費の制度創設のとき、われわれはぜひ入れてほしいと主張しました。しかし、当時の障害保健福祉部長は「精神障害者に対してはすでに利用契約制度にあるわけで、むしろ先行しているといっていい」とおっしゃっていました。

池末:それはすれ違いの議論だったと思います。裏付けとなる福祉法がないため、精神障害者の福祉は公的責任における福祉施策(措置制度)の枠外に置かれたまま今日に至っています。従って、医療機関を選ぶのも、いくつもない社会復帰施設を利用するのも、まだまだ乏しい手帳によるサービスを使うのも形の上では「契約」です。高齢者や他障害者が福祉法に基づく措置制度から、議論と準備を重ねて介護保険、支援費制度へと歴史を変化させ、自己選択・自己決定を重視して用いている「契約」とでは、背景と内容はまるで違います。どなたかが言われた「一周遅れのトップランナー」という言葉は私にとっても大変ショックですが、反省させられます。しかし、市町村で始まったホームヘルプサービスなどは支援費制度とまったく同じしくみで行われています。精神障害者の福祉はそこから支援費制度に、そして、障害者福祉に合流していくのが歴史の流れではないかと思います。

知的障害当事者の意見が反映されない

石渡:先ほど池末さんがおっしゃっていましたが、高機能自閉症とか学習障害、ADHDなども含めて、今まで障害の枠の中で支援を受けられなかった方たちの問題がクローズアップされたことは非常に大きいと思います。それは特別支援教育ということで学校教育のあり方が変わってきたので、ようやく教育と福祉が一つのテーブルについて議論できるようになってきたと思います。その中で知的障害や発達障害をもつ方への支援は何が必要なのかと考えたら、やはり今の介護保険制度のしくみとは全然違うことは言うまでもありません。

介護保険制度との統合について語る時、知的障害や精神障害の分野でしばしば言われるのは、介護保険制度はADLに基づいて介護認定した範囲のサービスでしかなく、生活面での課題を抱えている知的障害者や精神障害者の支援にはなじまないということです。だから一体化はまったく意味がないという議論があるわけです。それは本当にそうだと思います。ただ、私が一つ注目しているのは、介護保険部会で痴呆(現 認知)ケアがかなりクローズアップされてきています。今、介護保険のサービスを受けている約350万人のうち190万人は痴呆(現 認知)性の高齢者だという数字が出ています。介護保険制度の見直しでは、痴呆(現 認知)がある方のケアを家族の支援も含めてどうするかという議論が進んでいると聞いています。そういう視点は、知的障害をもつ方の支援にもつながってくると思っています。

いろいろな障害のある方たちへの支援を考えた時、今の介護保険制度の枠の中ではとてもおさまりません。そのあたりはこの1年の支援費制度の展開でどういう支援が必要なのか、地域での暮らしを考えた時に何が必要か、かなり明確になってきたと思います。知的障害をもつ方の地域での生活を基盤にして組み立て直した時に、どういう支援システムにしていかなければいけないのか。それは今日の課題にもなっている「人による支え」というテーマにつながっていくと思います。

そいういう意味で、今までの議論には知的障害をもつ方の意見がほとんど反映されず、やはり親の会の声でしかないと思うんですね。親は代弁者にはなりきれないと感じますので、議論のやり方そのものをもっと考えるべきだったと思います。生活障害という視点も踏まえたうえで、知的障害、精神障害がある方の地域での暮らしを支えるシステムはどうあるべきか、これを機にサービスのあり方や理念について根本的に考えなくてはならないし、議論を深める必要があると思います。

藤井:日身連のみなさんは、この間の経緯をどう評価されていますか。

:障害者施策を絶対税金でやらなければいけないという議論はどこに根拠があるのか、よくわかりません。障害者だけが税金でなければならないのか、国の保障ということになれば憲法第25条でしょう。

もう一つは現実的な問題として、私個人としては、入所施設の全面的な廃止には現時点では反対なんです。それよりも施設機能を分化するというのが私の考えです。入所施設は「住むところ」と「入浴するところ」と「食べるところ」、「医療等」それぞれの機能があるわけです。それは財産だと思います。それを地域の人と共有すればいいのではないか。「入所施設と地域」と言われますが、施設機能を地域システムの中にうまく利用して活用すればいいのです。

先ほど中西さんは4千億円のうちの100億円はたいした額ではないとお話されましたが、これは現実問題、行政側からすると大変な額だと思います。

私は介護保険制度ができた時にもっと障害者のことを含めて議論すべきだったと思っています。障害者の雇用やバリアフリーの問題も、1960年代には関係機関から相手にしてもらえませんでしたが、今は施策もユニバーサル化しています。施策を実施して、その中で改めなければならないところを直していけばいいのではないでしょうか。全部賛成ということではないし、全部反対ということでもありません。理念だけが先行すると障害者の施策が国民全体の理解という観点からおいていかれてしまう可能性があります。ただ、障害者のサービスを後退させることは認められません。今、ここで関係者が一緒になって国との協議を速やかに行い、頑張る必要があると思います。そういう点でいうと、このたび障害者基本法が改正され、心強い味方ができたと思っています。

地域生活の理念と財政問題

藤井:与党のみならず、野党の国会議員を含めて、「一般財源の危機を考えると、やはりパイが大きいほうにいかなければどうしようもない」、「現実の財政状況を考えると統合を無視するわけにはいかないのでは」という意見もありますが、この点はどうお考えですか。

中西:障害者のサービスを一般財源化と言っている市町村はありません。必要なものは国がやるべきで、全国一律のサービスを提供していく必要があります。その一つが障害者サービスです。介護保険と統合するための一般財源化であって、本当に実施したら国は障害者の在宅サービスを放棄することになり、全国一律のサービスが今後一切できなくなります。市町村がそのサービスを一般財源の中でやっていく保障はないでしょう。

支援費制度が破綻していると言われていますが、利用者の視点からすれば何も悪くなっていないんです。利用者の視点をもっと重視しなければなりません。行政の視点で一般財源化しかないとか、国民の意思も考えなければ、などと言うけれど、国はきちんとした方向性を示し、利用者が納得できるものならお金を使ってもいいのではないでしょうか。

実際に地域に暮らす障害者のいきいきした顔を見て、自分たちも重度な障害者になっても大丈夫だということを感じて初めて国民は信用するのです。それをやらないで施設はつぶしてはだめだというのではいけません。実際にやってみることが必要です。知的障害の人や精神障害の人がいかに地域で生きる力を持っているか、今までそれが隠されていただけなんです。自分たちがこういうことをやってあげないとかわいそうだと考えるのではなく、当事者が望む暮らしをフォローしていく、そういう寛容性があって初めていい制度ができてくるのです。

藤井:統合反対のなかで、「そもそも障害者は租税で公的福祉で高齢者は保険でと、年齢で区切るのはおかしいのではないか」という意見について、池末さんはどうお考えでしょうか。

池末:介護保険制度がスタートするときにも福祉目的税でという話がありました。現実的にお金をどう確保するのかという問題ではありますが、高齢者が保険で障害者は公的福祉でという単純な区別ではありません。

藤井:高齢者の介護制度について、これが保険方式ということ自体がおかしいということですね。

池末:社会保険制度を絶対的なものとして議論することには反対です。障害者や高齢者であっても多数の低所得層の人々の福祉の問題を保険原理で考えることに対しての疑問です。

個別のニーズに応える視点の重要性

藤井:今後の社会保障審議会での議論への期待を中心に、今後深めるべき論点をどのようにお考えでしょうか。

石渡:私は、重症心身障害の方などには入所施設が今後も必要だという声をよく聞きますが、それは違うと思っています。今、医療的ケアが必要な方も地域で暮らす実践が始まっています。今まで施設で暮らしていた方たちが、地域での暮らしをどんどん広げていくという方向は絶対必要だと思っています。しかし、知的障害分野で考えても、入所施設では犯罪を犯した加害者という立場の人の利用などが話題になっています。それから虐待を受けて児童養護施設に入所していた子どもたちが18歳を過ぎると知的障害分野の施設に入ってくるというケースも増えています。入所施設のニーズは確実に様変わりしていると思います。それに応えるには入所施設が今までもっていた機能に付加して、新しいニーズに応えていく姿勢が求められています。また、地域で暮らしている方を支えるためのさまざまな支援、新しい役割をもちつつ、地域の暮らしを広げていくことを積極的に進めていかなければならないと思っています。

今後のことですが、障害種別で区切るのではなく、地域での暮らしという視点に立って、どういう人に対して支援が必要なのか、支援を必要としている人たちを明確にしていくことが大切だと思います。身体的な面で障害がある方についてはかなり明確になってきていると思いますが、精神機能面での障害ということについてはまだ曖昧なところが多いと言わざるをえません。精神保健福祉法でいう精神障害というのは医療的なとらえ方です。ですから、ICFの新しい障害の概念も大事になってくると思いますし、発達障害支援法で話題になっている方たちにもきちんとスポットを当てることが必要です。

それから、知的障害の分野では軽度の発達障害をもつ方たちが注目されてきていますが、そこで一つ問題になっているのが、知的障害の養護学校高等部のニーズがすごく増えていることです。養護学校が増設されたり、定員がいっぱいで抽選制のところまで出てきています。これは、一般教育が子どもたちのいろいろなニーズに応えきれていないことが、障害児教育の場に本来は対象ではない子どもたちが流れ込むことになっていると思います。一般教育そのもののあり方をさらに検討し、必要な支援をどう届けていくかということも考えなければと実感しています。障害者基本法の改正では、「共に学ぶ」ということが強調されていますが、現実は「共に学ぶ」ところできちんと受け止めてくれないので、障害児の教育の場が膨らんでしまっているんですね。

それから今、療育の場で待機児童が増えていることも問題になっています。それはADHDやLDの方たちの問題がクローズアップされて、その人たちをきちんと受け止めるということで、都市部では1年半も待機しなければならないという状況も出ているそうです。ニーズは見えてきたけれど対応がきちんとできていないことを知的障害の分野では強く感じます。ニーズが広がっているだけに年齢や発達段階に基づいてライフサイクルをきちんと踏まえ一貫性のある支援が、知的障害の分野ではとても大事になってきます。それは、年齢や診断名を問うのではなく、今この方の暮らしに何が必要なのかという個別のニーズに応える視点をもっともっと強調しなければならないと思っています。

ほかに、知的障害や精神障害をもつ方について考える場合、権利擁護の視点が大切だと思います。介護保険と支援費の一体化の議論のなかでも権利擁護のシステムが一つの課題として挙げられています。これはケアマネジメントとも関係してくると思いますが、利用者本位の地域の暮らしを権利擁護の部分にも踏み込んで考えていかなくてはならない、そうなると「人による支え」の施策がとても大事な課題になってくると感じます。

現行のサービス基準を低下させない

:私は総論と各論があると思います。日身連の基本的な考え方は、一つは障害者運動の歴史で培われた方針に基づいて展開するということです。従って中西さんの言われるような「自立と社会参加」は押さえておかなければいけない理念だと思います。

二つ目はライフサイクルに基づいた総合的な施策の展開です。その中には間違いなく精神障害者の問題も難病の問題も含め、扶養義務制度撤廃・所得保障・住宅保障・雇用就労施策等一層の充実が必要です。もう一つは、将来に向かって確実な施策の実施ということです。そのためには、将来にわたる健全財政に基づく施策の展開が肝要です。

それから、もし介護保険制度と支援費制度が統合された場合、余裕ある財源が少し出るわけです。これを地域生活のためにぜひ確保してもらいたい。繰り返しになりますが、基本的には現行のサービス水準を高めることがあっても低下させないこと、これが私たちの最低条件です。

もう一つ各論的には上限問題や扶養義務の問題もありますが、今後は行政との考え方のぶつかり合いがあってしかるべきだろうと思います。

藤井:中西さんは、統合には反対というはっきりした意見をお持ちですが、もう少し補足していただけますか。

中西:国は介護保険制度の話をするときにサービスの質は落とさない、今の支援費制度よりはるかによい制度にしていくという言い方をしていました。ところが最近になって財源問題だと言い出してきました。介護保険制度自体も名称すら変えていいから、中身も完全に変えるんだと最初は言っていたのです。ところが、どういう形の介護保険制度にするのかという議論もされていません。介護保険制度という大きな制度を変えるのだから1年や2年の議論では終わるものではありません。介護保険制度の内容を変えなければ障害者の施策が乗らないことはわかっているのです。では、それをどこで議論するのか。介護保険は障害者のサービスより大きな部分を占めるので、そこでわれわれ障害団体が発言しても介護保険制度が変わるはずがありません。国がはっきりと介護保険制度を変えるという方向を出さない限り、統合の後には多くの問題が起こってくるでしょう。今までの自立生活を崩壊させる方向に向かうのではないかと、深刻にこの事態を受け止めています。

その中で唯一われわれが闘っていけるかと思うのは、障害者基本法とその先にある差別禁止法、国際的な権利法である障害者権利条約です。これは5年後くらいに制定される目途がついています。そうなると国内法を整備しなければなりません。重度の障害者が地域で暮らすことは当然差別禁止法にうたわれるので、それを根拠に法廷で国家と争えます。

「あなたはこのサービスのためにこの保険に入ったからそれ以上のサービスは出しません」というのが保険の原理です。平等性を尊重するのが保険ですから基本的には特別サービスはあり得ません。介護認定によりサービスの上限が決められて、財源が安定するからこそ介護保険制度がスタートできたわけで、その上限がない支援費のサービスを保険の中で想定するのは難しいことです。だから権利法が機能するような制度に残しておくべきです。そうすれば今の支援費制度は国にも都道府県にも市町村にも責任を問えます。

私が言うことは理想であって、現実の財政の中で考えられないと言われますが、実際にそこまでサービスが必要だというニーズが出てきたのです。現実を認めないでどうやって政策をつくるのでしょうか。現実を無視する政策は決して長続きしません。これは多くの人から不満を生んでたいへんな事態になると思います。お金がかかるのも現実なのですから、現実として認める以外にありません。そこからしか政策は生まれないし、権利法としてきちんと認められるべき国民の人権です。専門家だけでなく当事者が行政の政策の中に入っていってどういうサービスをつくりたいのか発言することが大切です。今まで予算がこれだけしかない、ではその中でどうやっていくかをお互いに考えながらやってきました。だから今、全国どこでも暮らせるようになってきたわけです。

日本は十分それができる国だと思っています。今、タイ、フィリピン、韓国やパキスタンなどのアジアの国々が、日本のような福祉サービスをつくろうと追いかけているところなんです。日本はアジアのモデルとなって先進的なことをやっていくべきだと思っています。

絶対に必要な議論の時間

池末:現在、3障害とも家族扶養によって地域生活が支えられているという現実と、福祉サービスの質と量の確保は行政責任だという点を明確にして、議論を進めてほしいと思います。障害者基本法改正で市町村の障害者計画策定が義務化されましたが、高齢者分野はゴールドプランや新ゴールドプランで高齢者保健福祉計画が地域で義務的に作成され、最後の選択として介護保険制度になりました。そういう時間軸的な背景の違いも理解しておきたいと思います。

大切なことは国民全体が関心をもって議論をする時間が確保されなければならないということです。この間出されたさまざまな審議会や在り方検討会の中間まとめを読むと、国民の理解と議論をと言っています。しかし、国民の多くはほとんど知りません。このままで、介護保険の改正が来年の1月にできるのでしょうか。介護保険の問題だけでなく、さらに関心の薄い障害者福祉の問題を、国民全体の議論にしていくには時間が必要です。社会連帯と社会保険への理解が育っていないままに社会保険化が進んだ場合、障害者福祉がどのように扱われていくのか、弱肉強食の世界に入っていくのではという危惧さえあります。

精神障害のほうで言えば、来年は精神保健福祉法改正という問題も抱えています。国は介護保険統合の議論とは別に10年くらいで7万2000床を減らすと言っています。病棟転換ではなくて減らすとなれば、地域での受け皿の乏しいままでは、家族に負担が重くのしかかってきます。医療は精神科医療の専門性を追求し、無用なベッドは減らし、通院医療費公費負担制度も本当に必要な部分は何か見直すべきです。来年の精神保健福祉法改正では医療施策と福祉施策をすみわけるための道筋をつけていく第一歩にしてほしいと思っています。さまざまな要素から医療の実態も変わっていきそうです。なおさら福祉施策の整備が急がれ、障害者福祉の統合化が待たれます。

それから、障害者福祉にとって、市町村の体制の強化とマンパワーの充足が重要です。ケアマネジメントは抜本的に見直し、ソーシャルワーク・アセスメントを基本においてほしいと思います。介護保険制度のケアマネジメントはしくみも内容も障害者にはあてはまりません。公平性ということからもケアマネジメントは公的責任をもったところでやってほしいですね。そのあたりの改革が介護保険の中でも求められていくような論議の進め方が必要だと思います。

「人による支え」施策のあり方

藤井:今後、障害者政策のキーテーマとして、「人による支え」がクローズアップされてくるように思います。最後に、この「人による支え」を軸に障害者施策の今後のあり方について述べていただきます。

中西:私が代表を務めるヒューマンケア協会には精神障害をもつ人、聴覚・視覚障害をもつ職員もいます。私は身体障害ですが、他の障害のことはわかりません。その人たちにどうしたらいいか聞きながらやっています。

精神障害をもつ人のホームヘルプサービスは自立を目的としてつくられていますが、当事者によってサービスの使いようは変わってくるのです。たとえば洗濯物をたためなかった人がたためるようになったかどうかを見るのがサービスだと言うのですが、彼らは洗濯物をたたんでもらうことで今の元気を維持していっているのです。自立に関しては客観的にサービス提供者が判定するものではなく、本人がどんなにいきいき生きているかを皆で支えればいいのではないかということで、そのアセスメントは変わりました。相談という項目を身辺援助、家事援助と並んで要求できると言ってそれも実現できたわけです。やはり当事者が入らないとよい政策にはなりません。

それから、知的障害者のニーズを獲得するために、彼らが安心して家族以外の人たちと出かけるようになるまで3か月間毎週いろいろな行事を組んで、介助者との関係を近づける努力をしました。その結果、自分で介助者を選んでこうしたいといい出せる人たちが出てきました。それまでは計画もお金も全部親が決めて出していました。今は1日分のこづかいを自分で決められるようになったり、だんだん変わってきています。

私たちは、当事者がリーダーになってやれるようにしたいと思っています。地域での生活も単に遊びだけでなく、地域での自立生活を彼らに教えていくために、月に1度のおしゃべり会を開いています。最初はこちらで議題を決めてやっていましたが、自分たちで議題を決めたり会報も自分たちで出すようになりました。その中で重度の障害をもつ人の家にみんなで行って、「こんなに重度な人が暮らせるのであれば私も完全に一人で暮らせるね」となって自立生活体験室をつくりました。洗濯も自分でできない、お風呂にも入れない、お金の管理ができないなどの問題をどうするかと相談しながらやっています。

お金ではなく、人をどう育てていくかということが大切だと思います。1週間に1回行事を組んで3か月もやっていくのは大変な苦労がありますが、やり抜いていかないと先へは進みません。彼らの中からリーダーができ、自立生活の先輩ができてくれば変わってくると思います。

精神障害の分野でも2年間ピアカウンセリング講座を開いて人材を育ててきました。10人育ててその中の3人が今職員になって、相談業務をしています。事業の継続性も必要ですが、彼らが疲れたときに休んでも大丈夫なように、組み合わせをつくっています。

池末:精神障害の場合はホームヘルプサービスが始まってまだ2年しか経っていませんが、各地では変化が見られています。これまでは医療・保健の関係者や作業所の職員が無理をして訪問するという実情でしたが、初めて社会的支援の施策としてのヘルパー派遣、ヘルパー登場です。あるご家族の方は、ヘルパーさんが訪問するようになって、当事者の方の乱暴がゼロに近くなったことに驚き、ヘルパーさんの接し方、たとえば、ゆっくり話をするとか、本人の気持ちを大事にするとかを見ながら家族自身が自然に変わっていく。家族の態度変容を求めるような研究等もありますが、社会的施策として、人によるサービスが届くことによって、生活のあり様が変わり、家族も変われるのです。これはとても人間的な変化だと思います。改めて、人間は人から学び、人によって生きる意欲をかき立てていくのだと感じています。

現在行われている「学生無年金障害者」裁判の原告の一人である菊井さんという方に、大学で話をしてもらった時のことです。彼は大学4年生の時に発病しました。「母親は作業所の職員などに洗濯機や炊飯器の使い方を教えてやってほしいと言うけれど、われわれは携帯やパソコンも使っているから教えられれば使い方はわかる。だけど洗濯機を使うとかご飯を炊くとかという一連の作業がしんどい。だから一緒に洗濯するとか、一緒にご飯を作って食べてくれる人が必要なんだ」と、それが相互支援ではないかと言っていました。「人が人を支える」とはそういうことだと思います。

石渡:よく知的障害分野や発達障害分野の関係者の中で言われるのは、「地域での暮らしとは親や家族と一緒の生活ではない」ということです。今までの地域生活は家族の犠牲や家族扶養で支えられてきたわけですが、家族に代わって地域の人たちが支えてくれるからこそ、知的障害の大きなテーマだった「親亡き後」ということも解決していくのです。一般市民も含めた地域の人たちの支援のネットワークをどう広げていくかという課題を解決するためには、ケアマネジメントが本当の意味で地域の暮らしをつくるために機能していくようなシステムにしなければならないと思います。民法の家族扶養の義務についても考えていかなければならないと思います。このことと関連して、成年後見制度改正の時に中心になった民法専門家が、新しい成年後見制度は、100年前につくられた民法の50年分しか取り返せなかったと言っていました。法改正というのは多くの声を結集し、市民が積極的に動かなかったら実現しないのだと思い知らされました。

地域の暮らしについて語る時、また介護保険制度と支援費制度の統合も、生存権、安心安全の保障という憲法25条がらみからの話は出てくるのですが、やはり、これからは地域での暮らしをいきいきと自分らしく納得して暮らせるという13条の幸福追求権の視点をはっきりと打ち出さなくてはいけないと思います。よく、「人は人の中で生きてこそ輝く」という言い方をしますが、いきいきと自分らしい自立した生活を実現するために、地域で市民と暮らすためのネットワークを「人による支え」でどう広げていくかが大事になってくると思います。

:ホームヘルプサービスをつくった時、本人が選択した人をヘルパー登録して来てもらっていました。役所から与えられてしまうと本人の選択権ではなくなります。ホームヘルプ制度そのものはそうかもしれないけれど、やはり利用者主体という形にすべきでしょう。扶養義務の問題もその辺で整理する必要があるのではないでしょうか。ガイドヘルパーも本人の選択という形でやらなければいけないと思います。地域生活の拠点にならなければいけないグループホームも、単価を重度と中軽度の人と区分したら、重度の人で予算を使い尽くしてしまったという話を聞いて、非常に憤慨しました。そこのところはきちんとしないと、これから重度の知的障害者の地域生活はできなくなってしまいます。

次に新しい自立の観念では、自分で何時間もかかってやるより、だれかに手伝ってもらったほうがいいとされています。就労の場でもそういう問題が出てくるのではないかと思っています。たとえば、視覚障害をもつ人がどこかに勤めるとしたら、アシストする人が必要です。そういったときにかかる費用をだれが負担するかという問題も出てきますが、障害者の権利保障という理念を前面に出してやっていく必要があると思っています。

少なくとも、障害者基本法の改正で、差別の施策を行わないということを一般国民も了解するようになってきました。障害者権利条約が制定されれば、間違いなく具体的な差別の問題も出てきます。そうなってくると地域生活の問題も出てきます。実際に施策を進めるのは行政です。専門家としての障害者が考えを述べても行政がそれに乗って予算要求してくれなければどうにもなりません。これからはそういう機会を勝ち取っていきたいのです。具体的な運動を展開していかないと、いつまでたってもあるべき施策の全貌は見えないと思います。

藤井:本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。秋から年末にかけて重要な論議が続きそうです。みなさま方のご活躍を期待しています。