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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年8月号

文学にみる障害者像

パール・バック著 『大地』
―知的障害のある娘への親の眼差し―

於保真理

はじめに

障害のある子どもを持った親の気持ちは、時代がかわってもずっとかわらないものなのかもしれない。なかでも、重い知的障害のある子ども(大きくなってからも)に向けられた世間の冷たい眼と、自分が死んだあとだれがこの子の面倒をみてくれるのだろうかという不安、このふたつほどつらいものはない。この『大地』という小説には、知的障害のある娘が登場する。父親である王龍の目を通してこのふたつのつらさが描かれている。そこには、作者であるパール・バック自身も持っている知的障害のある娘へのあたたかな「眼差し」が存在する。

『大地』という小説は

革命前の中国で、大地に生きる勤勉で善良な農民である王龍とその家族の生きていくさまが写実的にたんたんと描かれている。貧しい農民は、そのころの中国で何年かおきに必ずおとずれる飢饉のときには、生きていくためにあらゆることをしなければならなかった。王龍も、生まれた直後に母親に絞め殺されたと思われる自分の子どもの死体を飢えた野犬の群がる墓地に置いてこなければならなかった。パール・バックによるそういった描写は、善悪を超えて深い人間愛に満ちている。

王龍は、その時々に応じて自分のおかれている状況やまわりの環境に影響をうけて、その人間性を変えていく。まじめに働いていた彼も、飢饉を逃れて住み着いた都市では暴徒といっしょになって金持ちの家を襲う。また、故郷にもどり裕福になってくると、苦労をともにした妻の気持ちを顧みず第二夫人を家に迎える。そういったなかで、一貫して変わらないものは、知的障害のある娘へのあたたかな「おもい」である。

名前のない娘

王龍は、飢饉で子どものひとりを失いながらも、3人の息子と2人の娘に恵まれる。しかし長女は「口をきかなければならない年になったのに言葉が出ない」子どもであった。ところで、この娘には名前がついていない。この小説の登場人物には、家族、親戚をはじめ奴隷にも名前がついているのに。この娘は親が死んだあとも、残された家で52歳まで生きるが、亡くなってからも「おもてだって葬式をいとなまなかった。」と記述されている。その理由は、「彼女が今まで日陰者として暮らしていたから」である。

この小説全般をとおして、障害のある人は、その身体的特徴(白痴であるとかせむしであるとか)で名前の代わりに呼ばれている。ただし、本稿のサブタイトルにある「知的障害」という表現も一度も用いられていない。これはこの用語が『大地』が書かれた時代に存在しなかったからだと思われる。もっとも目をひく表現は、「彼のかわいそうな白痴」(注1)(原文ではhis “poor fool”)である。また、娘が成人してからは「いつまでたっても大人にならない子供」(the child who never grow)という表現も用いられている。この表現は、のちにパール・バック自らが自分自身の娘について書いた本のタイトルとなる(注2)

娘への思い

王龍は、「もしこの子が、他の子のその頃のように、丸々と肥って元気だったら、王龍は、可愛がらなかったことだろうが、―彼女を見ては、時々彼はやさしい声であやしていた。」とあるように、本当にこの娘を愛しんだ。母親の母乳が出なくなり痩せおとろえてしまった時には、隣人に譲ってもらった貴重な豆を、自分もなにも食べていないのに「王龍はほんの数粒を手の中に隠しておいて、口に入れて、軟らかく噛みくだき、娘に口移ししてやった。そして、小さい唇が動くのを見ると、自分まで食べたような気がするのだった。」また、「いつになっても口のきけない長女は、老人のそばに座って、何時間でも小さい布を折ったり拡げたりして、ひとりで笑っている」ようになり、この娘の障害が顕著になってくるとこれまでよりもよりいっそうかわいがるようになる。

美しい第二夫人の態度

一方で、飢饉を乗り切り、妻と力をあわせて少しずつ土地を買い足していった王龍は、徐々に地主と呼ばれるようになる。そのころ、王龍は妻をみて「ただ、黙ってとぼとぼと人生を歩いている女」としか思えなくなる。そして妻がいるにもかかわらず、蓮華という美人を第二夫人として家にいれる。それまではたとえ「父母の顔しかわからない白痴の娘」であっても、まわりの登場人物の接し方はあたたかかった。しかし、この美しい二番目の妻の蓮華だけは例外であった。

蓮華が王龍の家に入って、しばらくしたある日、はじめて娘と遭遇することになる。「意味のない空虚な笑い声をあげ」ている娘をみた蓮華は驚いて「こんなものがそばに来れば、わたし、すぐ出て行きます。こんな白痴をがまんしなければならないなんて。知ってれば、誰が来るもんですか ―なんて汚い子供たちでしょう」と言っていっしょにいた兄弟たちを突き飛ばした。

王龍は、蓮華に対して「急に怒りの湧きあがるのを感じ」、「子供らの悪口を言ったら、承知しねえぞ。いいか。誰にも言わせねえ。このかわいそうな子のことだってそうだ。お前なんか、子供を生んだこともねえくせに、何が言えるってんだ!」と声を荒げた。「彼が一番憤慨したのは、蓮華が、彼の娘を罵倒し、白痴よばわりしたことだった。彼は今さらのようにこの娘への胸の痛みを新たにした。」そして王龍は、あんなに夢中になっていれあげ、財産を費やして手に入れた蓮華への愛情が次第に冷めてくるのを感じた。そしてその愛情は、「二度と以前のように純粋にはならなかった。」どんなに愛情を感じていた人であっても、その人から自分の愛する子どもに対しそのようなひどい接し方をされれば、その人に対する愛情も冷めてしまうということは、作者であるパール・バック自らが、常日頃、強く感じていた、決して揺るがない強い「おもい」だったのではないだろうか。

わしが死んだらな―

王龍は妻の死後、蓮華の奴隷であった子どものような年齢の梨花を3番目の妻に迎える。梨花は、心が優しく、白痴の娘にも親切だった。王龍は、「自分の死後、白痴の娘がどうなるだろうか。」ということが心痛であった。王龍は「白色の毒薬を1つつみ、薬屋から買っておいて、自分の死ぬ日が近くなったら、白痴の娘に飲ませる覚悟でいた。」ある日、彼は梨花を呼んで「わしが死んだらな―わしが死んだあとで、この包みの中にある白い薬を、飯にまぜて、あの子に食べさせてくれ。そうすれば、あの子も、わしのあとを追ってこられるからな。そうなれば、わしも安心できるんだ」と頼んだ。王龍は「白痴の娘の運命を彼女に頼んでからすっかり安心」して死ぬ。梨花は、王龍の死後、52歳でその娘が亡くなるまで、王龍がむかし暮らした土の家で、ずっといっしょに穏やかに暮らした。

おわりに

作者のパール・バック(1892―1973)は、アメリカで生まれたあと宣教師の両親とともに中国に渡りそこで育ち英語と中国語の両方ができるバイリンガルだった。中国でアメリカ人と結婚し娘を産んだ。その娘は、PKU(フェニルケトン尿症)の後遺症による重い知的障害があった。娘を9年間中国で育てた後、アメリカの入所施設に預けた。しかし彼女は、もし中国のような大家族のなかでだったら、娘を施設に入れることなく親が死んだ後も暮らしていけたのではないだろうか、と思っていたに違いない。『大地』という小説のなかでは、その娘は52歳でその生涯を閉じるまで、家族(といっても父親の後添え)といっしょに平和に暮らすことができた。

(おほまり 市川手をつなぐ親の会サポーター)

【参考文献】
(注1)パール・バック著(1931)
 『大地』新居格原訳(1953)中野好夫補訳(1967)新潮文庫
(注2)パール・バック著(1950)
 『母よ嘆くなかれ』松岡久子訳(1950)法政大学出版局