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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年8月号

知り隊おしえ隊

電動車いす勢ハワイ珍道中

中島虎彦

総勢40人でいざハワイへ!

ホノルル空港の玄関を出ると、豊満な美女が首にレイをかけてくれ、そして頬っぺにキスをしてくれるのではないか、と電動車いす乗りたちは期待をふくらませていたことと思いますが、現れたのは旅行代理店の現地スタッフの日本人女性でした。確かにセクシーなムームーでレイをかけてはくれたのですが、キスはなかったのでいささかガッカリしたのは私だけではありますまい。それが初キッスになるという障害者だって少なくはないでしょうから(笑)。

なにしろ世話役さんがインターネットを駆使して最も安い料金のところを探し出してくれたのですから、あまり文句は言えません。それに彼女はそれからの5泊7日の間、総勢40人ほど(うち電動車いすは15台)の異形の集団を何かとよく面倒みてくれましたから、帰るときにはみんな感謝していました。

頸損者の情報交換誌「はがき通信」

さて、「はがき通信」という冊子をご存知でしょうか。先だって読売新聞にも取り上げられたように、その地道な活動が注目されてきています。元東京都神経科学総合研究所勤務の松井和子さんらが1990年に始められ、のちに北九州の頸髄損傷者の向坊弘道さんらが参加され、隔月発行で87号まで続いています。購読者は約500人。

もともとは(高位)頸髄損傷たちの情報交換誌です。なにしろ近年交通事故による高位頸髄損傷が増えてきているのに、世間の理解も遅れていましたし本人たちの連絡もまばらな時代が長く続いていました。それをネットワークとして活性化させようという使命感に裏打ちされたものでした。

はがきやインターネットによる情報交換だけでなく、年に一度は持ち回りの懇親会を東京や浜松、広島、横浜、京都、福岡などで開いてきました。これは単なる懇親会ではなく、四肢マヒを抱えて実家や施設に閉じこもりがちなため世間に疎い頸髄損傷者たちが、自分で公共交通機関やNPOの移送車を手配し、駅や空港を乗り継いではるばる集まってくる体験、そしてかつては人工呼吸器をつけていたような人たちが、人前で短いスピーチをするという体験、そういう経過自体に大きな意味があると言えましょう。

それを「今度はハワイでやろう」という声が一昨年あたりから上がり始めました。実行委員として各地を経験してきたメンバーたちが少しずつ自信を深めたのでしょう。ところが昨年は「SARS」騒ぎがあり、やむなく断念となりました。そうして満を持して今年のハワイ大会となったのです。私は釜山日帰りに次いで2度目でしたが、ほとんどは海外初体験者なので、さぞや弥次喜多道中となることでしょう。

脂汗にじむ機内

たとえばまず飛行機が難物です。電動車いすは貨物室に入れられますから、空港備え付けの小さな車いすに乗り移って機内に入らねばなりません。これがみんなに評判の悪いこと悪いこと。私のように身体の大きな者は足がはみ出して引きずりそうになります。それをベルトできつく縛って空港バスに乗ったり長い税関の列に並んだりしますから、次第に脂汗がにじみ気分が悪くなります。

機内に乗り込んでも(行きは7時間45分、帰りは偏西風の関係か8時間40分)という長丁場に耐えられるか、という問題があります。ビジネスクラスに乗る者もいましたが、無年金者などもいてほとんどがエコノミー席ですからとにかく狭い。私の場合は前後も左右もぎっちぎちです。小さい人なら膝の下にエアクッションを何個か積んで、身体をずり伸ばすような体勢をとれば縟瘡の予防になるでしょうが、私は身動きもとれずひたすら腕時計を見つめるばかり。まるで生き地獄でした。

ふだんは電動車いす上で10分ごとくらいに身体を左右にもたせかけてプッシュアップし、縟瘡を予防しているのですが、それができないから脂汗がだらだらと止まりません。あまりに苦しいので、隣のNPO「たすけあい佐賀」からの介護者都留君にどいてもらい、上半身だけ横になったら何とかひと息つけました。彼は中国系のスッチーに訳を話して空いている席に移動させてもらいました。それでもホテルに着いて尻を確かめてみると、治りかけていた縟瘡から少し出血していました。まったく旅行保険から少し賠償してほしいくらいですよ(笑)。

ホテルはコンドミニアム

そんな大変な思いをしてホノルル空港の玄関に集合したというわけです。成田からと関西空港からと福岡空港からと三手に分かれてきました。そこから何組かに分けてリフト付きのバスに乗り、ワイキキの32階建てホテル「バニヤン」へ向かいました。フロントには1人日本語のできる女性がいて、その前には行列ができていました。チェックインは3時からとなっていましたが、5泊分540ドルを前払いすると部屋のキー(カード)をもらえることがわかり、いずこも現金なものだなあと苦笑せずにはいられませんでした。

バニヤンはコンドミニアム形式なので、リビング・寝室・バス・トイレのほかに台所と冷蔵庫と洗濯機とレンジとソファーなどがついてゆったりしています。電動車いすで方向転換するのも楽々です。自炊することもできますが、私たちは近くのコンビニ(50mごとにあるABCストア)からサンドイッチやおにぎりや蕎麦を買ってきて食べました。なにぶん無年金なのでケチケチ生活を心がけねばならないのです。

補助具をどこにつける?

それはともかくホテルといえばもう一つの難物でした。というのも私は家のベッドでは天井から紐をぶらさげその先に三角形の補助具をつけて、いちいちそれに掴まりながら小便(しびん使用)や体位交換をしています。しかし世のおおかたのホテルや旅館にはこれがありませんから、不自由なことといったらありません。これがあるとないとでは天国と地獄。ないと夜がこわくてなりません。そのため泊まりがけの旅行は気が進みませんでした。

そこで私は電動車いすをベッド横につけ、そこから物干し竿のような棒をななめに立て、その先端に持参した補助具をぶらさげようかと友人らと思案していました。竿は現地のアラモアナショッピングセンターにあるのではないかと。しかしバニヤンはリビングと寝室の間に戸板があり、その天井のレール覆いが木製だったため、内側の見えないところに持参したS字型ネジ釘を2本ねじこみ、そこに紐をかけて補助具をぶらさげることができました。難問氷解。

もちろん調度類に傷をつけることなんかご法度ですから、これはここだけの話です。もっとも日に一度ゴミ捨てに入ってくるメイドさんは、それを見ても何も言いませんでした。チップを渡しておいたのが効いたのかもしれません(笑)。また電動車いすの充電のため変圧器を買わなければなるまいと思っていましたが、機械に詳しいメンバーが見てくれたら私の機種はそのまま使えるということで儲けた気分でした。

部屋の寝室とリビングの間に補助具をぶら下げ、ベッドを真下へ移動
写真

車いすにやさしいハワイ

こうして後顧の憂いがなくなった私たちは、心おきなくオアフ島内を見て歩きました。エメラルド色の海、白いビーチ、ポリネシア文化センターのディナーとフラダンスショーや広大なホノルル動物園や美術館など。田舎ではなかなか行く機会のなかった回転寿司屋やラーメン屋にも入りました。他のメンバーの中にはリフト付きバスで真珠湾やダイヤモンドヘッドや寺院を訪ねた人もありました。全員でシェラトンホテルのラウンジでバーベキューも楽しみました。

そして何よりも美しいビーチにたむろするビキニ姿の美女たち。いまだに目に焼きついて離れません。のみならずアロハシャツ姿の老夫婦や障害者の姿も多くて、それらが渾然とひとつに融け合っていました。もうひとつ、車道と歩道の段差が今までに訪ねたどの街よりも電動車いすにやさしかったことが忘れられません。

ついにハワイで泳いだ!

そのうち2日めには念願だったワイキキの浜での海水浴に挑戦しました。前日砂浜の距離が一番短いところに目星をつけておきましたから、その埠頭にメンバーの土屋さん・占部さんとともに電動車いすを止め、ジャージのズボンを太腿までめくり、Tシャツを脱ぎました。下っ腹が恥ずかしいけれど、ハワイではそんなの気にしない気にしない。介護の小山さんたちに「よっこらしょっ!」と抱えてもらい、5、6メートル先の波打ち際に浸からせてもらいます。コンビニで買ったピンクの浮き輪を頭からかぶり(さすがにこれがないと溺れてしまいます)、おもむろに沖に押し出してもらいます。頸髄損傷には尻が宙に浮いている瞬間なんてほとんどありませんから、尻(笑)からウロコが落ちるような思いです。もちろん恐怖感はありますが、歓喜のほうが凌いでいます。

水深1メートルくらいのところで、自分でもパチャパチャ腕をかいて方向転換すると、ずらりと建ち並んだ摩天楼や椰子の木やその向こうのダイヤモンドヘッドがぐわーん! と迫ってきて、『ああ、ついにハワイの海で泳いだぞー』という達成感に包まれました。日本の海では何度か泳いだことがあったのですが、内海で波の穏やかなところばかりでした。しかしハワイの海は(波消しブロックの内側とはいえ)さすがに豪快な波を味わうことができました。

足指をけがしていてビニール袋とガムテープで覆っていたので、あんまり長い時間ははばかられ、20分くらいで上がることにしました。再び介護者がうんうん抱え上げようとしていると、隣で泳いでいたたくましい白人男性が2人すーっと近寄ってきて手伝ってくれました。そういうふるまいがごく自然にみえるところがハワイです。私も満面の笑顔でお礼を言いました。

そのあと土屋さんたちも(初体験でしたが)同じように泳ぎ、私より長い時間を満喫していました。ハワイの海で泳いだ日本人頸髄損傷者はひょっとすると私たちが初めてではないでしょうか(その他にも、ホテルの6階にある海水プールで泳いだ女性メンバーやジャグジーを浴びた人もいました)。

泳ぎ疲れたころ、椰子の木をつつむ夕焼けが言葉にならないほど美しかったなあ。

(なかしまとらひこ 文芸同人誌「ペン人」編集者、本誌編集同人)