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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年5月号

私と補助犬

盲導犬と私―盲導犬も家族の一員

清水和行

私が初めて盲導犬と生活するようになったのは、1989年です。私はまだ27歳の青年でした。当時はまだ少し見えていたのですが、白杖歩行中、電柱にぶつかってしまい、完全に失明してすぐのことでした。

最初のパートナーはベリーという子でした。歩く早さに驚き、風を切って歩きながら、流れていく音の景色を楽しむことができました。職場の盲学校での春の遠足では、ベリーとともに列を作って歩く生徒たちの前や後ろに自由に移動し、9キロの道のりを楽しむことができました。ベリーは広島県で最初の盲導犬だったため、入店できない店もたくさんありました。「ペットは困るんだよねえ」「この子は盲導犬なんですけど」「それでも犬は犬だろう」そんなやりとりをしたことも、今では懐かしく思い出されます。

あれから16年の月日が流れました。この16年を振り返るとき、その記憶は常にパートナーだった盲導犬たちの存在とともによみがえってきます。仲間とともに夜が明けるまで飲み歩き、私たちよりも犬のほうがもてたこと。独身時代、盲導犬使用者だった妻と駅で待ち合わせしたとき、彼女の犬を見つけて尻尾を振って教えてくれたこと。結婚式には、私の盲導犬と妻の盲導犬とそして盲学校時代の先輩である牧師の盲導犬の3頭が、静かに見守ってくれていたこと。肺ガンで床に伏せていた母の枕元で、静かに母を見つめていたこと。息子の保育園への送り迎えに毎日付き合ってくれたこと。その息子が小学校へ入学しても、保育園の門の前を通ると、必ず立ち止まって教えてくれたこと。つくば市(茨城県)に4か月にもわたり単身赴任したとき、慣れない場所で毎日の通勤を安全にサポートしてくれたこと。彼らは私にとって、まさに「共に歩いてきた相棒」でした。

盲導犬は白杖と同様に視覚障害者の歩行のための「自助具」だと思います。しかし多くの盲導犬使用者は、この「自助具」というような言い方を嫌います。それは杖や眼鏡とは違い、心の通じ合う生き物だということです。

6年前、私は1頭目の盲導犬だったベリーを引退させました。元気な子でしたが、老化には勝てず11歳11か月での引退でした。リタイア犬ボランティアさんに引き渡すときには、職場である盲学校の幼児・児童・生徒さんたちもたくさん集まってくれました。そのベリーも、14歳5か月のとき、急に亡くなってしまいました。まだ温かいベリーの亡骸を撫でてやりながら、「ありがとう」と心でつぶやいていました。

盲導犬使用者の中には、1頭目の盲導犬を引退させた後、犬との離別や死別が辛く、代替を希望しない方も多くいます。また、共に歩んできた盲導犬が亡くなったとき、「再び失明したようだ」と感想を話す使用者もいます。使用者やその家族にとって、盲導犬は引退した後も家族の一員として、いつまでも心の中に生き続けているのです。

私たちは入店拒否などを受けたときなど、「盲導犬はペットではありません」などということがあります。それは「盲導犬が特別に訓練された犬であり、周囲の皆さんにご迷惑はおかけしません」という意味だろうと思います。しかし、誤解を恐れずにいえば、盲導犬も普段の生活においてはペットと同じだと思います。盲導犬もペットと同じように家族の一員として大切にされているということです。

日本盲導犬協会の多和田悟氏は、視覚障害者にとっての盲導犬の存在意義を「手を伸ばせば、いつもそこにいる」という言い方で表現しています。

私たちにとって、いつも静かに寄り添ってくれる盲導犬は、目が見えていても見えなくても、自分が自分として存在していることを心から実感させてくれる人生のパートナーなのです。

(しみずかずゆき 全日本盲導犬使用者の会会長)