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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年5月号

私と補助犬

介助犬に求めたこと

川本昌代

私が介助犬を知ったのは5年前でした。40年に及ぶ関節リウマチで、障害も進んできていました。不便なことが多々あっても、自助具や動作の工夫で何とか自立していましたが、せめて現状を維持したいと思っていた時でした。作業療法士から、体の負担を減らすために介助犬も選択肢として考えるように勧められました。しかし、なかなか想像できない世界でした。私が楽になれるとして、犬はシアワセなのだろうか、ということが何より気になりました。犬の世話が逆に負担になるかもしれない、私も犬も楽しくなれるのだろうか、とも思いました。そして、本物に会いました。

ちょうど合同訓練直前の子でした。落とした物を拾ったり、靴下を脱がせたり、うれしそうにオテツダイをしていました。その楽しげな様子から、一つ目の心配は、犬と良い関係を作れれば大丈夫らしい、と思えました。しかし、二つ目の心配は簡単には越えられませんでした。

決心のつかないまま、1年が過ぎました。その間に膝人工関節の再置換をしました。術前と同じ生活ができていて元気なのに、なぜか疲れる感じです。日常の体の使い方を振り返ってみました。安定が悪くて負担の多い歩き方、屈む動作は苦手、荷物は持てない、よく物を落とす、等々。介助犬に期待できそうなことが、たくさん見つかりました。二つ目の心配が消えたわけではないのですが、手立てはあると思えてきました。これから起こりそうな数々の難問は、介助犬を取り巻く多くのプロがいらっしゃるのだからと、あまり心配しないことにしました。とにかく「やってみなくちゃ、分からないじゃない?」というわけで、挑戦しました。介助犬によって自分がどう変わるのか、これも密かな楽しみでした。介助犬の命を預かるのですから…。

この時点では、歩いて外出することを前提にしていました。介助犬には、杖代わりと荷物持ちを期待しました。そうすれば心身ともに楽に外出できると思ったのです。家の中では電話の子機を持ってくる、落ちた物を拾う、靴下を脱がせる、それ以上のことは少しずつ教えよう、と期待していました。今ではさらに、引き出し開けや立ち座りの介助などもできます。

そして、昨年3月に合同訓練が始まりました。それに先立って、リハビリ科の評価がありました。本当に介助犬が有効かどうか、暮らし全体の見直しです。外出は電動車いすが好ましいことがハッキリしました。

相棒は、2歳のゴールデンレトリバー。ココアという名の、女の子です。

合同訓練中は、私の関節負荷が問題になって途中で休みもあり、何度も迷いました。ココアもクロウしたことでしょう。そして8月、ようやく介助犬として認定されました。

訓練しながら新しい発見もありました。たとえば、自助具はできないことを補ってくれるけれども、時には自助具を使うこと自体が負担になることを改めて体感しました。その点では、介助犬が優れていました。

私はいま、電動車いすでココアと一緒に、電車で通院しています。ココアの荷物だけでもかなりの量ですから、荷物持ちはもともと無理だったでしょう。コインやカードを落とすと一苦労でしたが、いまはココアが拾ってくれます。家の中でも介助動作が少しずつ増えています。何より心強いのは、何かが起こっても助けを呼べることです。どこにいても、ココアが電話を持ってきてくれますから。

一方で、排せつの始末は意外に大きなことでした。負担が大きければ、介助犬の意味がありません。広くリハビリ分野の方々の力を借りて、あと一歩で解決しそうです。補助犬法ができる前だったら、多くの専門家が関わることがなく挫折していたことでしょう。

最近のココアは、ニコニコしていることが多くなりました。私は、時々大変かナァと思いつつも、いい気分で暮らしています。

(かわもとまさよ 「リウマチの目・暮らしの手」情報室)