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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年5月号

フォーラム2005

国連障害者の権利条約特別委員会議長ルイス・ガレゴス大使に聞く

聞き手・翻訳
長瀬修(ながせおさむ)
東京大学先端科学技術研究センター特任助教授、日本障害フォーラム(JDF)権利条約専門委員会副委員長

ルイス・ガレゴス大使は、1946年生まれ。学位をエクアドル中央大学、修士をハーバード大学で取得後、1966年にエクアドル外務省に就職。その後は、スペインや米国、ブルガリア勤務を経て、1994年にエルサルバドル大使に任命される。1997年から2000年までジュネーブの国連常駐代表を務める。2002年4月にニューヨークの国連常駐代表に着任し、2002年7月29日~8月9日の第1回特別委員会以来、2005年1月24日~2月4日の第5回特別委員会まで障害者の権利条約特別委員会議長を務めたが、このたび在オーストラリア大使としての転出に伴い、議長を辞職する。エクアドルやフランス、ブラジル、エルサルバドル、スペイン、ペルー等での受勲多数。今回は、長野でのスペシャルオリンピックス(2月26日~3月5日)のために来日した。(3月7日、於キャピトル東急ホテルでインタビュー)

▼大使が障害者の権利条約に関してお知りになったのはいつ頃でしょうか。

私は2002年に、エクアドル政府の代表としてニューヨークに赴任しました。ラテンアメリカ・カリブ海地域グループ(GRULAC)から、議長にという要請を受けました。条約に関する2001年の総会決議は承知しておりましたが、はじめは、躊躇しました。大使としての仕事以外に、総会の副議長や、国連の強化、総会の再活性化のファシリテーターを引き受けていたからです。私はジュネーブの人権委員会の副議長を務めた経験があったので、ラテンアメリカ・カリブ海地域グループの同僚からは、人権分野の経験が豊富だと見られたようです。当初は、障害者の権利条約に反対できる者はいないと思い込んでいました。ですから、楽勝だと思ったのですが、実際はそうは行きませんでした。予想以上に、乗り気でない国が多かったのです。

▼メキシコ政府から議長が出る可能性はありませんでしたか。

メキシコのルイス・デ・アルバ大使ご自身がラテンアメリカ・カリブ海地域グループを代表して、私に要請に来られたのです。議長はラテンアメリカ・カリブ海地域からということになっていましたから。

▼特別委員会以前に、障害問題との関係は、おありになりましたか?

ありませんでした。唯一の例外は、障害問題を含んだ98年の人権委員会の決議だけでした。

▼NGO(非政府組織)の参加に関して、大使は第1回の特別委員会以来、非常に積極的に支持されていらっしゃって、私たちNGOはそういう大使に議長を務めていただいて本当にラッキーだと感じています。特別委員会へのNGO参加に関してはどうお考えですか。

これは何度も申し上げてきたことですが、私は国連で、障害者である外交官を見たことがありませんし、障害者として活動をしている外交官に会ったこともありません。ですから、私のような外交官は、謙虚に、体験を持っている障害者の専門性に耳を傾けなければなりません。私たちは、この問題の奥深さが分かっていないからです。

第4回特別委員会では、アフリカが非常に大きな問題になりました。議長団で、アフリカ代表から、NGO参加を望まないという意思が表明されたからです。その前の第3回特別委員会から会期の間も折衝を続けてきた成果として、第4回特別委員会で、NGO参加に関するステートメントを議長として出すことができました。NGOは公式の全体会議での発言は許可されるが、非公式協議では発言は許されない、しかし傍聴は許可されるという内容でした。

私個人の考えは、NGOの積極的な参加が必要であるというものです。なぜなら、障害者こそがこの問題の主人公(オーナー)であると考えているからです。

私たちは謙虚かつ現実的でなければなりません。障害者こそが、アクセシビリティとは何か、ユニバーサルデザインとは何かを分かっている人たちです。実際に障害を体験した人が、その体験に基づいて発言をされる際に、私たちのような者が、障害者以上に優れた条約案を書けると言い張るのは難しいでしょう。

たとえば第8条の生命に対する権利というとても錯綜した条文ですが、障害のせいではなく、障害者を排除する社会のために障害者が自殺に追い込まれたという話をうかがいましたが、そういう話など、とても大切な戒めです。

私はずっと以前から、こうした交渉にNGOの参加が重要であると考えてきました。ですから、第1回特別委員会の時も、毎日、NGO代表との会合の時間を設けたのです。それは、市民社会、NGOが何を望んでいるのかを知りたかったからです。

実際に、一部の国からは、「どうして障害者の人権なのか」という反応がありました。この次はジプシーやもろもろのグループの人権かといった反応もありましたから。私には理解できませんでした。これは政治的な立場で、こうした国々と私の間には問題がありました。しかし、時間が経つにつれて、そうした国々も道理に適った考え方をするようになりました。

▼NGO参加に関して、EUは参加支持だったと思いますが。

EUも一枚岩でNGO参加支持だったわけではありません。

▼米国は2003年の第2回特別委員会で批准の意志がないことを表明しましたが、これはどうご覧になりましたか。

まず、エクアドルの外交官として、他国の立場について評価を下すのは非常に困難であることをご理解ください。それを申し上げたうえで、私が感じたことをお伝えしたいと思います。

まず米国は、条約を策定することに関心のない国の一つでした。しかし、私たちとの対話の中で、世界の大多数の国は条約策定を望んでいるということを米国は理解しました。「批准はしないが、協力はする」という前向きな立場になったという意味で、非常に好ましい転換でした。つまり、妨害はしないという表明でした。それ以前には、米国代表の弁護士から、191の障害立法を研究してから交渉しようという発言があったほどです。どれくらい時間がかかりますかとたずねたら、10年という返事でした。米国の現在の姿勢は、現状で臨める最善のものだと思います。米国の人権政策決定担当者はワシントンポストへの投稿(注1)等を見ていると思います。米国にはこの条約のリーダーになってほしいと思います。

▼他国への評価は難しいとおっしゃいましたが、日本政府の参加に関するご意見をお願いします。

日本政府の貢献は非常に大きいと思います。とりわけ極端な立場が対立している場面で、日本政府は現実的で中庸な立場を示すという積極的な貢献をしてきています。外務省はNGOや国会議員のおかげもあってか、論点に対する深い理解を示しています。また、アジアとしての貢献も大きいものがあります。アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)のバンコクドラフトを元に、作業部会の議長のドラフトテキストを作成しました。

▼次の議長に関してですが、ラテンアメリカ・カリブ海地域グループは、継続して議長を選出する権利を持っているとお考えですか。

ラテンアメリカ・カリブ海地域グループは、このプロセスを継続するための議長を指名すると思います。継続性が大切だと思います。ラテンアメリカ・カリブ海地域グループが他の地域と交渉して、同グループから議長を出さないかもしれません。これはすべて今後数か月の交渉にかかっています(注2)。他地域グループも、同じ代表を議長団に送り続けるかどうか検討することでしょう。チームを道半ばで変える難しさがあります。これまでの経過を承知している人が議長団にできるだけ多く残ってほしいと思います。

▼大使と、コーディネーターのドン・マッケイ大使は良いコンビでしたね。

マッケイ大使は素晴らしい手腕を示してくださいました。マッケイ大使は総会第5委員会(行財政)の議長など、多くの役職を担っています。

▼ご自身の議長としての大使の最大の功績は何だとお考えですか。

大多数の国が、条約を策定するという決定を下したことです。

▼議長として最も困難を感じたことは何でしょうか。

各国同士の対立とともに、各国が立場を変えてしまうことでした。真剣さを欠く立場もあれば、一つの見解への固執もありました。柔軟性に欠ける国や地域もありました。これは長野のスペシャルオリンピックスでも話しましたが、この議長就任の依頼を受けた際に、代表部で引き受けるべきかどうかと相談したら、部下たちは、「大使はすでに多くの役割を担いすぎている」と言って反対しました。でも私は、障害者の権利条約に反対できる者はいないと言って引き受けたのです。そして第1回特別委員会の際に、グループ間の対立が多く驚きました。しかし、その後徐々に積極的な参加が増えましたが、当初は非常に困難でした。

▼最後の質問です。議長を務めたことで、個人的に大使は何か変わりましたか。

私は大きく変わりました。家族もです。私は外交官生活を38年間送ってきましたが、今でも数十名の人を前にして話す時に、緊張します。しかし、目が見えず、耳も聞こえない人が、手に通訳を受けながら、500名、600名の人を前にとてもきちんと話をしているのを見ると、敬服するしかありません。

障害の問題への取り組みは、崇高なものだと思います。私は、外交官であるとか、議長であるとかを抜きにして、人間として、今後とも、この問題に関与して行きたいと思っています。こうした変化が私に起こったのです。

(注1) Dick Thornburgh and Alan Reich “Human Rights for the Disabled” The Washington Post.Washington,D.C.:Nov 3,2004.pg.A.15。元司法長官と障害者組織の代表がブッシュ政権に障害者の権利条約に関して積極的な姿勢への政策転換を求めた投稿。

(注2) その後、4月13日に特別委員会は、第6回特別委員会に向けての会合を開催し、ドン・マッケイ大使を新議長として選出した。同大使の貢献を評価し、今後も同大使が継続して指導的役割を果たすよう、JDFはニュージーランド政府に対して3月15日に書面で要請を行った。これに対しては4月15日、同国政府のフィル・ゴフ外務貿易相から、謝意の表明があった。