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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年3月号

ブックガイド

バリアフリー・ノーマライゼーションを感じる絵本

桂律也

国際児童図書評議会(IBBY)のプロジェクトの一つである「障害児のための資料センター(オスロ、1985年~)」は、4000冊余りの障がい児のための図書資料を収集している(その一部は、2003年4月~2005年7月まで、国内40数か所で「世界のバリアフリー絵本展」として展示された)。同センターが収集している図書・資料のカテゴリーは、1.障がいのある子どもたちのために製作・出版された本(手話、CDなどの音声、ブリフやヒストグラム、点字などがついた本、ならびに知的障がいをもつ子どものために特別にわかりやすく描かれた絵本など)、2.市販絵本のなかで障がいの有無にかかわらずだれもが楽しめる本、3.障がいのある人物が描かれている本および障がいのある人たちのアート(写真、絵、彫刻など)で作られた本などである。

だれもが絵本の楽しみを共有し、絵本がもたらす好影響を受ける権利を有するという意味で、障がいのある子どもたちにとってのこの3つのカテゴリーは非常に重要なことである。しかし、2・3のカテゴリーに属する絵本は、基本的に障がいの有無にかかわらず子ども全般を対象として著作され出版されたものである。

筆者は前回、3のカテゴリーの絵本を中心に、障がいの有無にかかわらず子どもたちが『障がいを感じる絵本』というタイトルで紹介させていただいた。前回も書いたように、子どもたちは絵本から「障がい」を自然に感じとっている。しかし大人たちが障がいを子どもに伝えることを敬遠してしまい、障がいの登場する絵本を与えようとしないかもしれない。あるいは、「クララは歩かなくてはいけないの?―少女小説に見る死と障害と治癒」(Lois Keith 明石書店)で鋭く批評されているように、奇跡的治癒の「感動」の裏に隠された『「個人」が「克服すべきもの」としての「障害」』というICFの概念や、ノーマライゼーションの思想とはかけ離れたものしか与えられないかもしれない。

自らも車いすに乗る佐賀大学医学部の松尾清美氏は、「車いすに悲観的なイメージを持たないでほしい。車いすの人は歩けないけれど、何でもできるということをできるだけ多くの人に伝えたい」と語られている。「障がい」があってもさまざまなことを当たり前のように行っている姿が描かれていることによって、子どもたちが自然にバリアフリーやノーマライゼーションを感じることができると考える。そのような絵本を簡単な解説をつけて列挙したい。

「バースデーケーキができたよ!」(くぼりえ ひさかたチャイルド)「僕の庭ができたよ」(ゲルダ・ミューラー 文化出版局)では、前者はお母さんのためにバースデーケーキを作る主人公が車いすであり、後者は引っ越し先の庭造り(ガーデニング)の物語であるが隣家に住む「物知り博士」的な男の子が車いすである。どちらも物語上車いすである必要は全くないが、それだけに「障がい」があっても当たり前(以上)のことができることを感じとれる。

「僕だけのこと」(森絵都 理論社)「All Kinds of People」(Emma Damon Tango Books)はどちらも、人には個性があるということを伝えつつ、非差別を感じさせる絵本であるが、どちらにも車いすの子が登場する。しかし、文中には一切「障がい」は登場しない。たとえば、後者「スポーツが好きな人もいれば、音楽の演奏が好きな人もいる」という絵の中で楽器を演奏している子どもの一人が車いすである。「障がい」はその人の個性ではあるが、人間としての本質を左右するものではないというメッセージを感じさせる。

デパートや街頭、複数の人が集まる場所には、障がいのある人がいることのほうが当たり前である。人気絵本作家エリックカールの「月ようびはなにたべる?」(偕成社)では、最後のページで食卓を囲む7人の子どものうちの一人が車いすである。なんでも知りたい鯛のタイこさんがデパートやパーティーに行く「せとうちたいこさん デパートいきたい」他(長野ヒデ子 童心社)では、デパートやパーティー会場に盲導犬を連れた目の不自由な人、車いすの人などが登場する。同様に、通勤風景を描いた「いってらっしゃいおかえりなさい」(クリスティーヌ・ルーミス 朔北社)、道路が主人公の「いつまでもいっしょどこまでもいっしょ」(永渕浩子 金の星社)にも車いすが描かれている。大人向きの絵本とされることが多いが、「旅の絵本」は世界の風景を描きながら細部に物語や映画のワンシーンなどが隠されていることで有名であるが、1~6のすべてに車いすが登場している(介助者がついていることが多いのは不満であるが)。これらの絵本で子どもがノーマライゼーションを感じるかどうかは、大人による絵本の与え方、伝え方にかかっており、その大人が障がいやノーマライゼーションをどう捉えているかによっていると考える。

最後に、単行本ではないが「おとうさんといっしょに」シリーズの白石清春さん(文)と西村繁男さん(絵)の名コンビが、福音館書店月刊こどものとも年中向き2005年6月号に「きよぼうきょうはいいてんき」で帰ってきた。天気のいい日にお母さんが庭に敷いてくれたござの上で花や虫を観察し隣の子たちと遊ぶ「きよぼう」には子どもが持つ無限の可能性を感じるし、ここに描かれている小さなコミュニティー内での心のバリアフリー・ノーマライゼーションは確かにあったことを思い出さされた。

(かつらりつや クラーク病院)