「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年5月号
文学にみる障害者像
愛すべき『馬鹿』、与太郎
水垣桃紅
現在でも与太郎といえば馬鹿の代名詞であるが、この与太郎、ご存知のとおり落語の登場人物である。彼は人が好いし飾り気がなく、隠し事のできない正直者なのだが、いかんせん頭が悪すぎるのである。知能に障害があるといってよいだろう。この馬鹿の与太郎が他の登場人物ととんちんかんな会話を繰り広げて一騒動起こすというのが落語における与太郎噺のパターンだ。
『金明竹』の最初、店の前を掃除するように言われても、水を撒くことを知らない。撒いたら撒いたで往来の人にかけてしまうし、往来から店側に向かって撒くように言われれば店の中にまで水を入れてしまう。仕方がないので店の2階でも掃除しなさいと言われれば、2階に水を撒いてしまい天井から水がぽたりぽたりとたれてくる始末。
行動だけでなく、話もとんちんかんだ。同じく『金明竹』から、店番を頼まれた与太郎、貸し傘の断り方を『何本もございましたがこの間から長じけで使い尽くしまして、骨は骨、紙は紙とばらばらになりまして使い物になりませんから、たきつけにしようと思って物置に放り込んであります』と教わったのだが、猫を借りに来た人とこんな会話になる。
「うちに貸し猫も何匹もいましたが…」
「へっ?」
「こないだからの長じけで使い尽くして、骨は骨、紙は……ああ、猫に紙はなかった…皮は皮でばらばらになりまして、使い物になりませんから、たきつけにしようと思って物置に放り込んであります。」
「えっ、猫をたきつけに?」
ばかっ、それは傘の断り方だよ、と叱られて猫の断り方を新たに教わるのだが、店の旦那を呼びに来た客に向かって猫の断り方のまま言ってしまうから、『うちに旦那も一匹おりましたが、このあいだからさかりがつきまして、とんとうちに帰りません。久しぶりで帰ってきたと思ったら、どこかでえびのしっぽでも食べたのかおなかをくだしまして、お宅へお連れしてもしもお座敷へ粗相をするといけません。またたびをなめさして寝かしてあります』という説明になってしまう。
もうひとつ、『道具屋』を紹介しよう。冒頭、与太郎に道具屋の仕事を任せようとする伯父さんと与太郎との会話はこんな感じだ。
「これはなんだい?」
「それは掛け物だ。」
「化け物。」
「化け物じゃねえ、掛け物だ。」
「やあ、坊主がはらんでやがる。」
「なんという見方をするんだ、それは布袋和尚じゃねえか。」
「へぇ、人は見かけによらねえなあ。正直そうな顔をしてるのに。」
「なんだ?」
「いえ、ふてえ和尚だっていうから…。」
「わからねえやつだな。布袋和尚だ。」
「やあ、こっちはまた面白い絵だ。ぼらがそうめん食ってらあ。」
「そんな絵があるもんか。絵はまずいけれど鯉の滝登りだ。」
万事がこんな具合である。お客さんがやってきてもやっぱりちぐはぐな会話になる。
「その鉄砲はなんぼか?」
「へぇ、一本しかありません。」
「いや、代をきくのじゃ。」
「台は樫の木で…」
「そうではない、値じゃよ。」
「音はポーン。」
どうにも手がつけられない。
「こののこぎりは焼きがなまだな。」
「そんなことはありませんよ。火事場で拾ったから、こんがり焼けてることはうけあいで…」
よせばいいのに、ということまで馬鹿正直に言ってしまうのだ。
「そこにある短刀を見せろ。」
「いいえ、たんとにもすこしにも、これだけしかありません。」
「そうではない、その短い刀だ。銘はあるのか?」
「姪はありません。伯母さんがいます。」
こんなふうにして進んでいくのである。
ここで注目したいのだが、与太郎は何らかの形で仕事を行っている。周囲の人間も、与太郎が馬鹿であることを知りつつも、仕事をさせているのだ。『大工調べ』においては、与太郎が母親を養っているということになっている。これは現在、障害者が置かれている状況とは明らかに異なっていると言ってよいだろう。障害者雇用はなかなか進まないのが現状だ。これには、やはり江戸時代と現代の社会の違いが表れていると思われる。
江戸時代は現代のような能力主義、効率主義に支配される社会ではなかった。身分制が敷かれて職業選択の自由がなかったわけだから、そう自由に自分の能力を最大限に生かせる仕事を選べるはずもなかったのである。しかも、江戸時代、長屋に住むような町人はそれほど余裕のある暮らしをしているわけではなかった。保険もない。与太郎は頭が悪い悪くないに関わらず、働かざるを得なかった、というふうにもいえる。
ひるがえって、現代ではどうか。身分制がなくなり職業選択の自由を得て、望む仕事に就くことが可能になった一方、能力主義、効率の向上が盛んに叫ばれるようになった。その結果、職業選択の自由にもかかわらず、障害者は雇用市場そのものから除外されるようになった。また、NEETの問題が示すとおり、今の日本には1人くらい働かなくても生活に困らない家庭は少なくない。働かざるを得なかった与太郎とは状況が異なるのだ。
また、与太郎の周りには彼を助ける人物がいた。なんだかんだ言いつつも世話をする伯父さん、与太郎の大家に啖呵をきる大工の棟梁など、現代より濃い人間関係の中で彼は支えられてきた。ほとんど面識のない隣の道具屋さえ、あきれつつも助言をする。こうした人のつながりのもつバリアフリー効果があるからこそ、与太郎は働いていけるのだろう。物理的なバリアフリー化ももちろんだが、精神的な、心のバリアフリー、助け合いの精神が現代にはもっと必要だ。
もう一点、繰り返しになるが与太郎は馬鹿である。出てくるたび、噺によってさまざまな人から、たとえばあるときは伯父さんから、またあるときは大工の棟梁から「ばかっ」と言われ、そのかみ合わない会話に私たちは大笑いする。しかし、与太郎がその頭の悪さのために嫌われたり嘲られているわけではない。与太郎に向けて放たれる「ばかっ」という言葉にしても私たちの笑いにしても、嘲りや蔑みといった陰湿な感情は見受けられないのである。では彼はいったいどう捉えられているのか。登場人物たちにとっては、まあ、馬鹿だが悪いやつではないという程度の認識かもしれない。興味深いのはむしろ我々の認識である。我々観客にとって、知的障害者である馬鹿の与太郎は実に『愛すべき人物』なのだ。
これは驚くべき結論だといわざるを得ない。もしも「ばかっ」と言われたり、笑われたりしているのが与太郎という固有名詞でなく知的障害者一般のことであるなら、とんでもない問題である。たいへんな人権侵害だ。どうして与太郎の場合はそれが許されるのか。
与太郎が馬鹿であるのは動かしがたい事実である。彼は馬鹿ではないというのは、正しくない。だが、登場人物たちは馬鹿な与太郎を『馬鹿にしている』ようには思えない。彼らは与太郎の抱える障害を気にすることもなく、怒り、驚きやあきれをストレートにぶつけていく。これは先に述べた陰湿さとはかけ離れたものだ。変な気遣いのない、直球の人間関係のなかに与太郎がいるからこそ、与太郎噺は障害者を笑いものにする噺になってしまうのを免れているように私は思うのだ。
人様に向かって馬鹿なんて言ってはいけません、と言われて育った私としては、いくら口の悪い江戸っ子とはいえ面と向かって馬鹿、馬鹿と連呼する登場人物たちはちょっとどうかと思う部分もある。しかし、そうは言ってもやっぱり与太郎は馬鹿であり、そしてそれ故にたいへん愛すべき人物なのである。
(みずがきももこ 東京大学学生)
〈参考文献〉
興津要編『古典落語』2002講談社
興津要編『古典落語(続)』2004講談社