音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年5月号

障害こと始め

「精神薄弱」から「知的障害」へ

松友了

「障害者」になりたい

書き出しから、不穏な表現ですみません。過激なことを言って相手を驚かせ、それで悦に入っている歪んだ性格の私のなせる技ではありません。「知的障害」という表現を選んだ理由のひとつを、率直に表現したのです。

「障害」は、人を〈害〉とする表現でケシカラン。〈碍〉とすべきだ。いや〈障がい〉が良い、などという議論が盛んな時、少し不謹慎な気もしますが、歴史の事実は否定できません。理解や判断が著しく困難な人々は、「障害者」と呼んでもらえなかったのです。

多くの人は「精神遅滞」とか「知恵遅れ」と表現していました。法律や専門用語は「精神薄弱」でした。その表現のどこにも、「障害」はありません。そのため、しばしば「障害者」の範疇に入れてもらえませんでした。

ILO(国際労働機関)の『通知』の「Disabled Persons」が「身体障害者」と訳されたり、「国際身体障害者年」という表現もよく目にしました。障害者とは身体障害者のことであり、精神薄弱者は「障害者」でなかったのです。

もちろん、表現(用語)だけのせいではないでしょう。しかし、世間はそうは取りません。国際障害者年(1981年)のある日、東京・四谷駅のホームで、近くの名門小学校の児童が、「〈障害〉名の入っていない精神薄弱は、障害者年の対象でない」と論じるのを聞き、「さすが名門小学校!」と、心から感動したことを覚えています(もちろん、皮肉です)。

「精神薄弱」の表現は不適切だ。変更すべきだ、という意見は、当初からあったようです。しかし、英訳する時は、器用に「Mental Retardation(直訳は「精神遅滞」)とする国民性(業界?)ゆえに、だれもまじめに考え、提案しませんでした。何しろ、「定義」が法にない国(業界)ですから、名称(用語)なんて、どうでもよかったのでしょう。

功績は、「誕生日ありがとう運動」の伊藤隆二氏の「啓知」という難解な用語の提案です。この業界は、批判はしても提案することは珍しく、氏の提案は画期的なことでした。これが、業界の用語〈マグマ〉を一気に吹き上げさせ、決着へと走らせる露払いをしたのです。しかし、氏はその時も今も、「障害」を評価されていません。念のために。

「知的障害」でいいかい?

用語論争が業界で正式な動きとして取り組まれたのは、1990年にパリで開催された国際育成会連盟の世界会議へ、知的障害のある5人の青年が、初めて日本から参加したことに端を発します。その時、通訳の方が「Mental Handicap」の日本語訳に悩まれ、参加者に相談されたのです。ちなみに育成会連盟では、「Mental Retardation」は使われていません。現在は、「Intellectual Disability」)が、総会決議に基づき使用されています。

そこで、本人を交えて議論し、とりあえず「知的障害」にしようとなりました。本人諸氏は、〈「精神薄弱」よりいいや〉という程度の合意だったと記憶しています。「知的障害」の表現は、国際障害分類(ICIDH)の「Intellectual Impairment(仮訳では、知的機能障害)」を参考にしたものです。そのため、「知的障害」を「Intellectual Disability」とすることに両手を挙げて賛同しています。

さて、この経過が新聞報道され、主要4団体で構成された日本知的障害福祉連盟(当時は、精神薄弱者福祉連盟)に『用語問題特別委員会』が設置され、業界としては組織だった議論が開始されました。議論は、4団体の機関誌の紙上で、『特集』等を組む形で積極的に取り組まれましたが、「知的障害」の表現の可否が中心だったと記憶しています。

当時の論争を機関誌等で振り返ると、滑稽な感が否定できません。多くの人は「知的障害」の表現を批判しながら、対案は出されていません。批判の多くは、用語(表現)が障害を正確に表現していない、というものです。一言でいえば、典型的な言い掛かりといえます。「概念」を整理し、「定義」を示すことができていない人(業界)が、サインである用語(名称)に何という批判かヨ!、と「知的障害」一派の私は憤慨したものです。

私たちは、未来永劫にわたって使用される、完全な表現を提案することを初めから放棄しました。「精神薄弱」より少しマシなもの、障害のある本人が自分の障害を、自分の口から表現できる名称にしよう、と考えました。批判する人の中には、「本人がどう思うかは関係ない」と断言する人もいましたが、その人の今の考えをお尋ねしたいものですね。

パリ会議は、本人主体・本人活動、権利擁護等の新しい息吹(考えと動き)を、日本の参加者に突きつけました。用語(ことば)の議論は、これらの考えと動きとを重ねて理解する必要があります。そのため、新しい息吹を持ち込んだ私たちは、法律上も「知的障害」になったことを、ひとまず安堵しています。

(まつともりょう 社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会常務理事)