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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年6月号

わがまちの障害福祉計画 東京都国立市

国立市長 上原公子氏に聞く
市民自治を土台に市民力を高めるまちづくり

聞き手:中西由起子
(アジア・ディスアビリティ・インスティテート、本誌編集委員)


東京都国立市基礎データ

◆面積:8.15平方キロメートル
◆人口:73,761人(平成18年5月1日現在)
◆障害者の状況:(平成18年4月1日現在)
身体障害手帳所持者 1,747人
(知的障害)療育手帳所持者 335人
精神障害者保健福祉手帳所持者 207人
◆国立市の概況:
白壁に赤い三角屋根の駅舎(JR)がシンボルの国立市。駅からまっすぐに伸びる大学通りには、桜と銀杏の木が交互に植えられ、春は桜の名所、秋は黄金色の銀杏が見事な景観を作り、新東京百景にも選ばれ、毎年大勢の観光客が訪れる。個性的でおしゃれなまちのイメージがある一方、市南部には田園地帯があり、市民の憩いの場でもある。昭和27年に全国初の文教地区指定、市民自治の進んだまちとしても有名。学園・国際交流都市、平和都市宣言(00年)。
◆問い合わせ:
国立市福祉計画課・福祉総合相談窓口
〒186―8501 国立市富士見台2-47-1
TEL042―576―2111(代) FAX 042―576―0264

▼上原市長はこの国立のまちが気に入られて越して来られたと伺いました。国立の魅力、特色は何でしょうか。

感性を豊かにするまちだと思い、子どもの育つ環境を優先に選んで引っ越して来ました。また歴史を見ると、市民自治に培われたまちでもあります。現在、景観裁判が起こっている大学通りは、まさしくその証です。いまだに朝夕に霧が見られるように、環境的には水循環がうまくいっているまちとも言えます。

▼障害者の地域生活はどのように進めていらっしゃいますか。

「しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言」注)を平成17年に出しました。ちょうど支援費制度が実施され、これまでかろうじて自立して生きてきた障害者たちがサービスの低下を死活問題として危機感を持ちました。もう生きていけないのではないかという不安から、市に対し、自分たちは生きられるのだと宣言を出してほしいとの陳情がありました。

しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言

国立市では、これまで、平和を願い、人権を大切にする市民一人ひとりが、しょうがいしゃの「地域で暮らしたい」という思いと向きあってきました。それは、しょうがいのある人もない人も、自分の選んだ地域で、自分らしい生き方を実現できるよう、お互いに理解し、共感しあい、支えあい、関わってきた歴史であり、私たち市民の貴重な財産です。

私たち国立市民は、これからも学ぶ、遊ぶ、働く、住まう、憩うなど、暮らしのあらゆる面にわたって、共に出会い、育み合える差別のないまちでありつつけるために、ここに「しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち」を宣言します。

2005年4月

国立市

行政は彼らの30年にわたる自立の歴史を知っています。それを市民共通の認識とするために、それなら皆で自分たちの言葉を使っていいものを作っていこうと提案し、障害のある人もない人も自由に参加できる検討会を立ち上げました。要求型の宣言になりそうになりましたので、お互いに何ができるかの議論をしました。障害者からはいつも世話されるだけではつらいという発言もでました。トイレも障害者用と区別するのではなく、たとえば誰もが使える「みんなのトイレ」のように区別しない施策が必要です。多分日本で初めての宣言が誕生することになりました。宣言を策定後、委員の一人が「これからは要求型、団交型の交渉はだめ、互いに話し合うことが必要だ」と述べていたのが印象的でした。

▼障害者自立支援法に対する市長のお考えをお聞かせ頂けますか。

自立支援法は決して満足がいく制度ではありません。国の責任があいまいで、地域に裁量権を持たせているから、やれば良いと言いますが、財源に枠が決められた中では、国立市のようにこれまで工夫をしながら自立を支えてきた行政は、むしろ財源不足で抑制せざるを得なくなってしまいます。市の財政は豊かでないし、十分なサービスがあるわけでもありません。現在でも支援はぎりぎりのレベルなのに、経費を抑えるのは国の制度として失敗です。検証をしないうちに制度だけが変わっている状況です。また、障害者の自立という点では地域差がありすぎます。先行する国立市はサミットで質問してもはぐらかされてしまいます。

支援費初年度は1億円、2年目は1億3千万円の市単独負担がありました。小さな自治体には大きな額です。市民が死んでしまうと言ってきたら、市が背負っていかねばなりません。市独自の積み上げがあるので何とかやっていけると思いますが、これ以上の歳出は難しい。介護保険でも行き詰っています。国に対してもの申さなければと私自身も厚生労働省前での障害者のデモを応援しました。

▼今年度中に策定予定の「国立市第三次保健福祉計画」の特色をあげていただけますか。

私も市会議員1期目の途中から策定委員に加わりましたが、第1次計画は単に理想的なものを作ればいいという雰囲気がありました。それで第2次計画の策定にあたっては、これまでの計画を「レベルアップ、廃止、実行」の3つに分け、さらに行政と市民が行うことも分けて評価しました。第3次計画は策定委員には身体障害に加えて、知的、精神の障害者にも加わってもらいました。委員に理解してもらうために書類すべてにルビをふったり、ボードに要約を書いていったり、サポーターをつけたり等、はっきり言って、市職員は大変だったと思います。2月15日にこの第3次計画の答申が出され、6月には計画が出来上がります。

▼国立市ではなぜ障害者が受け入れられているのでしょうか。

日本で一番重度障害者が自立して暮らすまちではないかと思います。障害者が風景に溶け込んでいます。引っ越してきた障害者が断られるかと危惧したが、8軒の不動産屋が手を挙げ、びっくりしたという話があります。これはすごいことですよ。施設の中では人間として扱われずこのまちで生きようと出てきた障害者とけんかもしながら、子育てを含めた生活のお手伝いもして障害者の生活が理解できました。障害者自身がこのまちで生きて行くために強い信念で闘って来たという事実があり、話し合いを重ねながら積み重ねてきた関係があるからでしょう。

▼国立市はボランティア活動が盛んなまちですね。上原市長自身も助け合い、支え合いの関係を進めていらっしゃいますね。

先ほど申し上げたように、市民自治が早くから根付き培われてきた歴史がありますので、意識の高い市民が障害者と出会った時には、何とかしなくてはと運動を展開していったこともあると思います。東京都に2か所ある障害者スポーツセンターのうち、最初のセンターが国立にできたのは、市民が誘致運動を行ったからなんです。障害者の親を中心に、まちの中心に障害者の施設を作ってほしいと運動した成果です。

また障害者が地域で生きていくことを市民が大切にしています。その頃できた国立市第1期基本構想のテーマは「人間を大切にする町」です。人が人として大事にされることは、すべてに通じることです。そこで、地域住民同士が助け合える関係をどう築いていけるかが課題となります。「結い」や「もやい」と言われた皆で当たり前に暮らしていく関係を国立はこれまで作ってきたと思います。それを強化し、さらに市民力として高めていくことが今後のまちづくりの焦点になります。障害者のグループホームの建設には反対が起こると言われていますが、反対に国立では40人ものボランティアが集まったのです。

防災計画についても日本一の計画を作るつもりです。阪神大震災の教訓として、いかにご近所つきあいが大事かを知らされました。今後の策定過程で予想されるのは、精神障害者をはじめとする個人情報を流したくないとする人が出てくることです。しかし災害の時には助けがいるわけで、災害弱者と言われる方々とご近所の関係も相互の理解のうえに詰めていかなければならない課題です。

▼審議会や委員会への障害者の参加は進んでいますか。

はい、いろいろな会に出ていただいています。コミュニティ・バスを導入した時も意見を聞きました。普通は公募する場合が多いのですが、障害者に委員になってほしい時には障害者団体に代表者を出すよう勧めています。自立支援法の認定審査会には、障害当事者が運営する事業所の代表が含まれることになるでしょう。

市職員には、バリアフリーを実施するときは必ず障害者に点検してもらうように言っています。職員は移動がありますので、それまでに出会いがなければお互いの立場がなかなかわかりません。障害をもっている職員にも、遠慮しないで気づいた点を言うようにと話しています。

障害者には要求する場面だけでなく、その他のいろいろな場面に出て行くことを勧めています。まちウォッチングがあった時には、集合場所のアクセスが悪く、参加した車いすの人がそれを批判したことが、参加者の意識を変えるのに役立ちました。

▼まちづくりとも関係しますが、市民のための環境設備、施設設備は整っていますか。

市民が使える施設の数は少なく、いろいろなものを活用しなければなりません。現在の高齢者比率は低いのですが、今後増えていく現状では、商店街にも生き残ってほしい。そのため市民の交流の場として空き店舗の利用を行っています。高齢者で過去に活躍し、本当は力を持っている人も多くいます。その人たちが一方的に世話されるのではなく、生きがいを持って最後まで生きられるまちにしたい。また国立が開発されたときには緑が多く、公園の必要性はなかったので都市計画に公園の設置はありませんでしたが、あっという間に都市化し、公園の数が少ないのが問題です。

▼障害者の就労に関する施策はいかがでしょうか。

民間の作業所が頑張っています。精神障害者の就労支援施設は3か所あります。形だけの就労や同情で仕事をもらうのではだめだろうと思っています。神戸の作業所がやっている通信販売のノウハウを聞いたり、障害者にとって働くことは社会参加であり、企業が受け皿づくりをできるように、行政はそのつなぎとなって支援していきたいと考えています。

製品に関しても売れる商品価値のあるものを作りたい。ちょうど辻調理学校の一つであるエコール辻東京が市内にあり、ボランティアとして作業所のために売れるパン作りを教えてもらえるように依頼しました。

▼最後に今後の展望をお聞かせください。

市民力は市民相互の経験のうえに成り立っています。障害者だけでなく高齢者も市内には多く住んでいます。でも出会いがないとお互いのことがわかりません。大学通りでは桜守300人のボランティアが緑を守っているように、行政が一方的に何かをするのではなく、それぞれを受け入れながら市民の経験を活用した手づくりのまちを創っていきたいと考えています。

時間をオーバーしてしまうほどたくさんのお話を聞かせていただきました。今日は大変お忙しい中、ありがとうございました。


注)国立市では「しょうがいしゃ」とすべてひらがな表記にしています。