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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年6月号

障害こと始め

精神分裂病から統合失調症へ―その経緯と波及効果

佐藤光源

ご承知のように、日本精神神経学会は2002年に「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更しました。その波及効果が、いま国際的な関心を集めています。日本のようにschizophreniaという病名を母国語に訳して使っている国は少なくありませんが、その病名を変更した前例はありません。また、「精神分裂病」という日本語の病名が今でも中国や韓国、台湾で使われているといった事情もあります。

しかし、世界精神医学会の大きな関心は、日本が病名を変更するに至った経緯と医療・保健・福祉への波及効果であり、さまざまな国際会議でも精神障害への偏見・差別の解消やノーマライゼーションにどのような効果があったのかとよく尋ねられます。

病名変更までの詳しい経緯1)はさておき、変更のきっかけが精神医学側ではなく、全国精神障害者家族会連合会(ぜんかれん)からの要請(1993)であったことが関心をもたれています。要請の理由は、「精神分裂病」という病名があまりにも人格否定的で、診断された病名そのものが当事者(患者と家族)にとって侵襲的で耐え難いということでした。こうした当事者の要請に専門学会が応えて医学病名を変更したこと自体はしごく当然のことで何の不思議もないように思うのですが、それを驚きをもって受け止めるいくつもの国があるのです。ちょうどアジアで初めて開催した世界精神医学会横浜大会(2002)のときの病名変更でしたから、それを当事者中心の精神科医療を具現したアジアでの画期的な出来事のように受け止められた節もありました。

この驚きは、やがて病名を変更して一体何が変わったのだろうかという大きな関心へと変わっていきました。そのために、昨年カイロで開かれた世界精神医学会の特別講演2)に招かれて説明してきたのですが、その一部を紹介しましょう。

「ぜんかれん」の要請に応えた病名変更でしたから、当事者がスチグマに満ちた「精神分裂病」という病名から解放されたことがまず何よりの収穫でした。さらに、「統合失調症」への病名変更に併せて、この病気の概念を古いものから最近の国際的な概念に刷新したことも特筆しなくてはなりません。古い教科書にあった「慢性進行性に人格が荒廃する不治の病」という概念を改め、「最近の進歩した薬物療法と心理社会的介入をすれば、統合失調症の初発患者の約半数は完全かつ長期的に回復する(WHO、2001)」という現在の疾病概念への刷新に努めました。それが病名変更に相乗的に作用して、急速な新病名の普及と大幅な病名告知率の向上をもたらせ、さらに日本学術会議による精神障害の正しい知識の普及啓発活動(www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1032-6.pdf)へと展開したのです。

「統合失調症」という新しい医学用語は、2002年8月の変更と同時に行政用語として承認され、急速に全国に広がりました。メディアや出版業界はいち早く新病名を採用する旨の社告を出し、精神科医が書く公的な診断書も2003年3月には約8割が新病名に変更されていました。そして昨年の障害者自立支援法の成立で新病名が法律用語として採用され、これですべての領域で病名が変更されました。

次に医療面への波及効果ですが、宮城県の精神科医を対象にした調査では、病名が変わって患者・家族への病名告知と説明がしやすくなったという回答が大多数を占め3)、大野らの調査では全国の病名告知率が3年間で36.7%から69.7%に増えていました。それは、インフォームドコンセントを原則とした医療、言いかえると医師、コメディカルスタッフと当事者間の”わかりあった医療“を実現する効果があったことを物語っています。病名そのものが患者に不利益を与えないこと、この病気が症状群であることを明示することの2点を前提にした病名変更と疾病概念の刷新が、こうした波及効果を生んだのだろうと思います。

この病名変更は精神障害(者)への正しい知識の普及啓発活動を推進し、ノーマライゼーションに向けた医療と福祉の連携にも役立っているようです。

「ぜんかれん」の電話相談に「私は統合失調症の患者ですが」と断って相談する人がいたり、公開フォーラムで自分がかつて統合失調症であったと断ったうえで自立支援活動の実践を話す人も増えてきたりしている現実があります。回復者の主張と行動こそが、この病気への誤解や偏見・差別の解消の決め手になると考えられており、当事者にそうした勇気を与えたとすれば、それは病名変更のもう一つの大きな波及効果と言えるかもしれません。

ノーマライゼーションを阻む第二の病と言われている精神障害へのスチグマの解消に向けた一つの挑戦が、この呼称変更であったと思っています。

(さとうみつもと 東北福祉大学大学院教授)

(参考文献)

1)佐藤光源:統合失調症―病名変更と新しい医療の展開、脳の科学、25:409―415、2003

2)Sato M:Renaming schizophrenia:a Japanese perspective. World Psychiatry, 5:53―55―2006

3)佐藤光源:病名変更は何を変えたか、こころの科学、20:9―13、2005