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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年7月号

当事者主体運動を応援する開発援助の道を探って
~マセイヨ・ブラジル

盛上真美

はじめに

私は日本を離れて10年以上になる。現在、ブラジル・マセイヨでろう児・者支援のNGOに携わっている。ブラジルに来て8か月が過ぎたばかりだが、今回は現地レポートのような形で、ブラジル・マセイヨのろう児・者の置かれている状況及び支援活動をご紹介したい。

障害者の「権利と平等」を学ぶ

私は過去10年、アメリカのジャスティン・淑子ダート御夫妻の下、また近年、世界銀行で開発分野における画期的な活動の指針を築いたジュディ・ヒューマンさんの下で障害者権利擁護運動を含む、包括的な人類すべての「権利と平等」について学ぶ機会を得た。またそれを実現するのに欠かせない『エンパワーメント』の思想についてもそれぞれの実践活動を通して学ばせてもらう大変貴重な機会に恵まれた。

その多くの恵まれた経験を自分のものとしてより実践できる能力と知識を高めるため、そして何よりもこの貴重な教えをより多くの人と分かち合うためにフィールドへ出ることを決意した。そして、イギリスのインターナショナル・サービスという国際ボランティア派遣の団体からブラジル・マセイヨでろう児・者を対象とするサービスを提供しているNGO団体に、人材育成と資源の模索・開発の目的で派遣された。

マセイヨの概況

ブラジルへ行ったのは2005年11月である。ブラジル東北部の首都レシフェで言語・文化等のごく基本的なトレーニングを受けて、今年1月に東北部の中でも最も貧しい州の一つと言われるアラゴアス州の首都マセイヨへ拠点を移した。

マセイヨは美しい海岸のリゾート地とファベーラ(スラム街)が隣り合わせる町である。マセイヨにはろう者・難聴者がおよそ4万2,000人いると言われている。

現在ブラジルは、ラテン・アメリカの中でも最も発展の著しい国として知られ、もはや「途上国」ではなく「中所得国」として位置づけられてはいるが、いまだ貧富の差は著しい。中でも東北部は南部と比べると貧困度は途上国と同様である。

アラゴアス州の非識字率はブラジル全土で最も高く、首都ブラジリアと比べるとわずか5分の1にしかならない。2003年のユニセフの報告によれば、ろう者・難聴者の人口はブラジル全人口の約1.7%で、そのうち半数以上の55%のろう児・青年が就業者一人あたり月40ドル以下の収入しかない貧困家庭で暮らしているという。

マセイヨのろう者の生活

過去の経験から、途上国でのろう者の生活状況や権利擁護の必要性の高さには一応の知識はあり、認識はしているつもりでいた。が、いざ派遣されたNGO団体へ着いてみると、その「Audism」(オウディズム:健聴社会によるろう者への抑圧と差別)のすごさに圧倒されて言葉を失った。もちろん一般の健聴者には Audism などという認識は全く無く、一人ひとりは「助けたい」という思いで仕事をして、「よい施し」をしていると信じているのに違いない。しかし、目の前にいるろう者を無視した口話コミュニケーションが公然となされるのを見て、私が大学院時代を過ごした懐かしいギャローデット大学(米国のろう者のための、ろう者による完全アクセス大学)の光景があたかも現実ではなく夢であったかのように思われた。

「ろう者のための団体」でありながら、手話を知っているにもかかわらず「使う」必要性・重要性を感じていない団体が、全く知識のない一般社会でどういう教育ができるのか…ここで必要とされている自分の役割は何なのだろう…と頭を抱え込んでしまった。

ろう者と健聴者との壁

ろう者のための団体から「参加」「平等」などという言葉が時折、聞こえてはくるものの、現実にはまだまだ健聴者が勝手に決める”都合の良い“参加と平等で、都合が悪い時にはそれらの理念はどこかへ消えてしまう…。そんな状況だった。

このような健聴者による長年の抑圧で多くのろう者が健聴者を毛嫌いする傾向がありながら、地域のろう団体で会計を担当するマリオさんはいつも私を彼らのろう団体の集まりへと招待してくれたり、機会あるごとに私に会いに来てくれて、いろいろな話をしてくれる。

そのマリオさんが一度こんな話をしてくれた。

「健聴者の世界があって、ろうの世界がある。『手話を習いたい』という健聴者に対して惜しみ無く私たちはろうの世界のドアを開ける。すべてを一から辛抱強く教え、やがて彼ら(健聴者)は手話をマスターし、通訳者となる。でもいざ私たちろう者が健聴者の世界へ入りたいと思っても健聴者はそのドアを開けようとはせず、教育、教養、経済力すべてあれが無い、これが無いから駄目だと言って私たちを見放す。皆が貧しくして皆が仕事を必要としている。私たちから手話を習った健聴者は通訳者として学校や政府機関で高額な給料をもらい、彼らを育てた私たちはいつまでたっても貧困市民として政府、地域の福祉サービスをあてにしなければろくに食べてもいけない。いざ通訳者が必要でも彼らの時間給が払えなければ通訳を拒否される。」

マリオさんは淡々と、私にわかるようにゆっくりとブラジル手話で話してくれた。何とも不条理としか言いようが無く、ただ頷くだけで返す言葉がなかった。

何人ものろう者からよく尋ねられる。「日本や海外のろう者はどうしているのか、どう暮らしているのか」「日本とブラジルの手話はどう違うのか」「大学へ通っているろう者はいるのか」「ろう者は仕事をもてるのか」などさまざまな質問が浴びせられる。そして、私がギャローデット大学で一緒に通ったろうの友人の話や仕事を通じて知り合った多くのろうの専門家たちの話をすると、あたかも自分たちとは別世界の話であるかのように驚いて、私のつたない習いたてのブラジル手話を一生懸命に聞いて(見て)くれた。

当事者主体運動プログラムの企画

ろう者の生活に関わる教育・保健・環境・政治政策などあらゆるすべての開発分野の進展が必要とされている現状で、またマセイヨでのろう者の生活を知るにつれ、私は日々模索する毎日である。どこから、何から始めてよいのか、何をすることが自分に課されているのか…。

彼らろう者のニーズを限りなく尊重したプログラムを企画・開発するためには、彼ら自身が「当事者」としての認識を高め、自らをエンパワーするべき道を「当事者運動」を通して切り開いていくことが重要な鍵となる。

「当事者運動」を進めるには文字通り「当事者」自身のリードが必要で、ろうのリーダーから次のろうのリーダーへ、また当事者団体として地域、そして政治政策にまでかかわる活動を実践しながら学んでいくことで「運動」を実現化していくことが欠かせない。これらの取り組みの重要性とその効果は、もはや十分にあらゆる世界の国々の権利擁護運動、自立生活運動などで立証済みである。

NGOのこれからの支援

今回派遣されたここブラジルで、健聴者である私たち開発援助員ができること、すべきことは、ろう者自身が自らエンパワーされ、当事者活動の場作りへの貢献ではないかと思っている。

これらの支援活動やプログラムを各地域で浸透化させていくには、単なる福祉プログラムや、企業等の義務から生まれる社会貢献活動の一部ではなく、「国際開発プログラム」の一モデルとしての位置付け、そしてその効果がもたらす人々や、またコミュニティーの社会経済開発への貢献等にまでその議論を掘り下げる必要があるだろう。

これからは地域のNGO、既存の当事者団体と協力しつつ、また開発援助派遣員としてのユニークな立場を有効に利用して、現地で活動するろう団体や彼ら自身の意向に沿った活動・プロジェクト企画を共に模索、計画していくことが求められよう。またそういった「当事者」の意向を尊重しようとする私たちの開発援助員の姿勢そのものが、新しい視点をコミュニティーに持ち込むことができる第一歩のスタート地点になるのではないかと信じている。

さいごに

ブラジルは今積極的に「統合教育」の実現へと動いている。しかし、実際の現場教師のトレーニング、または手話通訳をも含む教育・学校へのアクセス等が整わないままの無理やりの実行が気にかかるところである。ろう団体の積極的なろう教育に関する運動と知識の供給が今、何より必要とされている。地元ろう団体の「今」必要な事に対して、タイムリーに反応できる準備力と行動力が私たちの側にも問われている。

すでに各国のろう団体が行っている途上国での援助方法、効果に習ってぜひ、ここマセイヨでもそうした機会が地域のろう児・者へ、またこれらの活動を通して彼らの家族、地域社会への教育が広がるように自らのできることを模索していきたい。

(もりがみまさみ インターナショナル・サービス開発援助派遣員、障害・開発コンサルタント)