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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年7月号

列島縦断ネットワーキング【大阪】

“気づき”と“築き”の触文化展

廣瀬浩二郎

「さわる文字、さわる世界」展の趣旨

現在(3月9日~9月26日)、国立民族学博物館で企画展「さわる文字、さわる世界―触文化が創りだすユニバーサル・ミュージアム」が開催中である。私は障害者文化を研究する人類学者、博物館で働く全盲者の立場で本展の企画、運営に携わっている。本稿では企画展の趣旨を紹介することから、今後のユニバーサル・ミュージアム(だれもが楽しめる博物館)のあり方を探ってみたい。

本展の狙いは、触覚の可能性を切り開くこと。私たちの日常生活で、五感の力を100パーセント活用している人はいない。特に目が見えていれば、視覚という便利な機能に頼り、他の四感を使うことがおろそかとなりがちだ。従来の博物館においても見学の語が象徴するように、“見る”ことが中心だった。しかしユニバーサルの観点に立つならば、新たな五感パワーを開拓し、今まで気づいていなかった、あるいは使ってこなかった潜在力を引き出すのが博物館の役割ではなかろうか。インターネットを通じて視覚、聴覚情報の入手が容易となった今日、五感の中でも“さわる”楽しさを伝える重要性は増している。

企画展では触覚の力を再認識してもらうために二つのコンセプトに即して、さまざまな展示物を集めた。

「さわる文字」のコーナー(キーワードは“拓く”)では、点字が考案される以前に世界各地で用いられていた多種多様な盲人用文字を紹介している。文字を符号化して表現した折紙文字、むすび文字、および字形を凹凸化した紙撚文字、蝋盤文字、木刻文字など。これらの「さわる文字」は、たしかに読むのも作るのも“たいへん”だが、実際にこれを使って勉強した人がいた事実、先人たちの“さわる”ための工夫、その“すごい”知恵を積極的に評価したい。

企画展期間中、何回か点字体験のワークショップを開いた。点字は視覚障害者が独力で速く正確に読み書きできる究極の触覚文字である。ワークショップ参加者の反応を見ていると、触覚の鈍化した年配者は、読むのも書くのも“たいへん”な文字として点字をとらえてしまう。一方、柔軟な発想と五感力を持つ子どもたちは、6点の組み合わせで仮名、数字、アルファベットや符号を表すことができるボツボツを“すごい”と感じるようだ。

13歳の時に失明した私は、今では日々点字を愛用しているが、初めて点字に触れた際には「こんなの読めるわけない!」と思ったものだ。ところが練習を繰り返すうちに眠っていた触覚の力が目覚め、“たいへん”な文字は“すごい”文字へと変化した。この変化、五感が“拓く”感覚を健常者にもぼつぼつ味わってもらうのが、点字体験の主眼なのだ。

展示物の第二の柱は「さわる世界」(キーワードは“創る”)。盲学校で使われていた算盤、地球儀等の教具、さわる仏像、神社の模型、バードカービングなど、さわって面白い物を収集した。一目瞭然の視覚に対し、触覚は点から面、立体へと能動的に手を動かしイメージを作り上げる。触知、触察、触学とは、手と頭を駆使する知的作業なのだ。

「群盲象を撫でる」は、物事の全体を見渡すことができないという否定的な意味で用いられる故事である。この言葉が示すように、人間社会においては情報をより多く持つことに価値が置かれてきた。量の面で触覚は視覚に劣るかもしれないが、さわって知る世界の奥深さ、さわらなければわからない物の材質など、触文化は創造力と想像力を刺激する。巨象の足なら足を、鼻なら鼻だけをじっくり、ゆっくりさわることで獲得する情報の質にこだわる精神も必要なのではなかろうか。

本企画展では触覚の“創る”力を育てるために、「さわるマナーかきくけこ」を提案している。「軽く、気をつけて、繰り返し、懸命に、壊さないで」さわる。展示物を丁寧に取り扱ってほしい企画者の願いを込めた5原則だが、「群盲象を撫でる」の逆説的解釈、視覚優位の現代文明への批判を内包したつもりである。私がめざすのは、“見る”ことが大前提で視覚障害者はさわってもいいという“さわれる展示”(視覚情報を触覚に置き換えること)ではなく、すべての人が触文化から新鮮な発見を得る“さわる展示”(触覚の独自性を追求すること)なのだ。

さわらぬ神に当たりなし

21世紀の情報提供、生涯学習の場として重要な役割を担う博物館だが、私はそのスローガンとして「さわらぬ神に当たりなし」を挙げたい。“さわる”(五感の力を引き出す)ことにより、“当たり”(すばらしい出会い)を経験する。どのような“当たり”を準備して、来館者にワクワク感を与えることができるのか。各博物館の“創る”努力、“拓く”情熱への期待は大きい。

最後にわが触文化展の“当たり”を一つ紹介しよう。葛原勾当(1812~1882)は、江戸末から明治にかけて活躍した盲人筝曲家である。彼は40余年間、独力で日記を書き続けた。点字のない時代に、全盲の彼がどうやって日記を書いていたのか。彼が考案、使用した印字道具(2本の罫枠と木活字)、および『葛原勾当日記』が、今回の企画展会場の入り口に展示されている。各木活字の側面には、さわって区別できる線が彫られており、彼は木活字を罫枠内に押印して日記を書き進めた。

書くことはできても、目の見えない葛原は自身の日記を読み返すことができなかった。読めない日記を40年以上書いたというのは、よほどの物好き、マニアなのか、やはり偉人なのか。凡人の私には理解できない。あえて想像を逞しくすれば、彼は自分の生きた証を何らかの形で残したかったのではないか。彼と同時代に生きていた周囲の健常者(“見る”人)、あるいは後世の私たちにある種のメッセージを伝えたかったのではなかろうか。

彼は日記中に多くの和歌を記しているが、「鴬の声だにきけば梅の花 咲くも咲かぬも嬉しかりけり」(安政3年正月7日)は、“さわる展示”を模索する私にとって、まさに“当たり”だった。梅の花を“見る”人と、鴬の声を“きく”人の違い、そして両者の共生の可能性が力強く主張されている。

私は葛原の和歌に励まされつつ、今回の触文化展を企画した。一般にはあまり知られていない葛原の偉業(異業?)、彼の思いの一端を紹介するのも触文化展の意義である。触文化への大いなる“気づき”、ユニバーサル・ミュージアムに向けた新たなる“築き”が万人にとって“当たり”となることを願いつつ、葛原勾当とともに宣言しよう。さわらぬ神に当たりなし!

(ひろせこうじろう 国立民族学博物館)