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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年9月号

障害者救援の地域拠点

松村敏明

平成7年に起きた「阪神・淡路大震災」。当時、神戸市内6か所の事業所のうち全壊したのは1か所だけでした。ほとんどが激震地にあっただけに、よくぞ無事に残ってくれたという思いでした。職員11人のうち住居全壊3人、利用障害者37人のうち住居全壊7人、半壊6人。しかし、幸いにも全員無事でした。

1月17日朝、東灘区にある六甲デイケアセンターに2人の職員がかけつけました。1人は全壊のアパートからはい出して、もう1人は水槽が割れて水浸しになったアパートから、共に障害者の安否を気遣って来たのです。崩壊した家屋や、エレベーターが動かず閉じ込められたマンションから障害者たちを次々とセンターへ避難させました。その瞬間から、24時間の介護の必要な障害者を含めて10人ほどの障害者の生活を支える2か月にわたる取り組みがスタートしました。

長田区のグループホーム「たろう」は、市内全域にわたる在宅障害者の安否確認の拠点として、地震当日から動き出しました。バイクの荷台に水、食糧、ガスコンロなどの救援物資を満載して走りました。やっと捜し出した家は完全に潰れていて、だれもいない。近所の人に訪ね、避難所を回り、1日に5人も出会えれば良いほうでした。

1月末までに連絡の取れた障害者はわずかに100人。脱出・避難・生活の場の確保という初期の段階はほとんど親や家族が背負いこむ以外どうしようもなかったのです。しかも、小学校などの避難所では障害者の生活を支えることは不可能でした。

JRが西から神戸駅まで開通した2月初めからは、1日平均80人のボランティアが市内至るところで障害者を訪ね、えんぴつの家の各事業所はそのボランティアの活動拠点となりました。本部の建物が女性ボランティアの宿舎、「全壊」だが何とか建っているライフデイケアが男性の宿舎、本部事務室には情報が集中、そんな形で約2か月間、在宅障害者の生活支援の活動が展開されました。出会えた障害者は800人を超え、私たちの職場は救援の拠点から復興・再生への拠点として歩み出したのです。

あれから11年が過ぎました。振り返ってみると、不思議なことに、私たちが取り組んできたことは、震災という非日常下での特別なものであったかに見えたものが、実は日本中のどのまちにおいても常に求められていることだったと気が付くのです。

《日常的な人間関係形成》

災害の発生後、障害者とその避難行動を支援する者とがいかにして迅速にコンタクトをとれるかが最大の課題です。支援者とは、多くの場合、親・家族、自立生活者にとっては介護者・友人ですが、災害以外でも、緊急時にはコンタクトがとれるような地域における人間関係の形成が日常的に存在していたかどうかが問われます。

《障害者の意志尊重、相互の信頼関係》

支援者は障害者に状況を適確に伝え、避難行動を提案し、相互の信頼関係のうえで行動しなければなりません。この関係がなく、障害者の意志を無視した、あるいは同意や理解のないままの避難行動があたかも『拉致』や『強制収容』のように思われたケースが現実にありました。

《孤立化しないさまざまな配慮》

避難行動の第一義的基準は、生命・身体の安全確保ですが、安全な避難所が見当たらず、次々と移動を余儀なくされる場合、張り紙や伝言などにより、移動先を必ず後続の支援者に伝わるようにします。 避難行動の支援者は、当面の避難場所が確保されても、障害者を独力で抱え込もうとせず支援のネットワークを信じて、外部への連絡を怠らないことです。

《学校や集会所の設備改善》

避難所として最も多く使われたのは、学校や集会所でしたが、それらの場所にスロープや障害者用トイレがなかったため、いったんそこへ避難したが生活できず、遠い知人宅や壊れかかった自宅へ移動したケースが多くありました。学校や公的建造物には、日常的に障害者が利用できるような配慮がなされていなければなりません。

《日常的なネットワークを基礎に》

安否確認・要求把握・援護サービス提供などは、日常的なネットワークを基礎としてなされなければなりません。そうでなければ、正確な状況把握は難しいのです。

《適切なサービスを》

要求されたサービスの内容と量に関しては、適切かどうかを判断しなければなりません。過度のサービスは自立の妨げになる可能性もあります。

震災直後に活動した自主的な地域活動の拠点は、急速にその数を増していきました。私たちは『小学校区に一つの拠点を!』と言いました。新しい地域づくりの主人公になろうと願ったのです。『救援・復活ボランティア活動』から『地域での障害者市民運動』へと転換していきました。そして11年後の今、「障害者自立支援法」と抗いながら小さな拠点のネットワークが育ち出しているのです。

(まつむらとしあき 社会福祉法人えんぴつの家)