音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年9月号

スマトラ沖津波被災地での当事者支援プログラム

鈴木有希

1 出逢いと始まり

2004年12月26日に発生したインドネシアスマトラ沖地震と津波。タイでは南部6つの県が被害に遭いました。その約2か月後の2月下旬、DPIアジア太平洋ブロック事務局(DPI―AP)のメンバーとともにプーケットの北に位置する、パンガー県を訪れました。ここはタイ国王のお孫さんが亡くなったカオラックというリゾートや、タイで最も被害の大きかったバンナムケン村がある県。プーケットでは復興が進み、他国の支援が必要ないと言い切った政府ですが、まだ復興の始まりの兆しさえ見えないほどの現実を目の当たりにし、ここでの障害者の実態を知るべく4月にパンガー、そしてクラビ県を再び訪れました。

津波は地震などと比べて、障害を負うことは少ない災害ですが、もともとこの地域では障害に関する情報が少なく、医療や教育の面で、公的なサービスを受けていない人も多くいることがわかりました。また、親戚の家やシェルターに身を寄せる人々の中には生活の多くを失い、身体的な障害とともに心に大きな傷を抱えている人もいました。こういった情報をもとに、パンガー県を中心に復興支援を始めていたILO(国際労働機関)の協力を得て、DPI―APは障害者エンパワメント事業を立ち上げることになりました。

2 4か月間のプログラム

ILOはパンガー県内で8つほどの団体を支援していましたが、このプロジェクト全体のマネージメントスタッフとして雇われたのは、津波以前にツアリズムの分野でビジネスに関わっていた方々です。ILOをはじめ、ワールドビジョン、ユニセフ、セーブザチルドレン等のさまざまなNGOが支援を拡大しつつあり、私たちが本格的に事業を開始した9月頃には、街やコミュニティが復興されつつありました。

実態調査を行ったあと、DPI―APが予定したのは、「当事者組織とアドボカシー」「自立生活」「職業訓練」のそれぞれ3日間ずつのセミナーとピアカウンセリング、「バリアフリーワークショップ」、そして最後に、パンガー県全域の障害者のための「障害者フォーラム」です。

3日間ずつのセミナーの会場に選んだのは、海岸沿いに広がる国立公園の中にある屋外レストランです。ちょうど遊泳禁止区域のその海岸の海は碧く穏やかで、この海から津波が来たとはとても思えない静けさでした。タイムアンというこの公園のある地域は、被害の大きかった地域よりすこし南に位置し、観光客の少ない静かな街です。この街にあるテンポラリーシェルターに暮らす人を中心に、調査で出会った障害者、その家族20人ほどがそれぞれのセミナーに参加しました。家族間の結びつきが強いタイなので、あえて当事者限定にはしない方法を選びました。

「当事者組織とアドボカシー」「自立生活」のセミナーの講師には、DPIのスタッフをはじめ、アメリカでの活動家、現在は世界銀行で働くジュディ・ヒューマンさん、バンコク近郊のナコンパトム県からの当事者リーダー、東北部ウボンラチャタニー県からの当事者等を迎え、青空と緑の中での開放感のあるディスカッションや実践的なロールプレイを行いました。初めて耳にする、当事者からの力強い声のインパクトとともに、地域を越えた充実した情報交換もでき、何より当事者運動が徐々にタイ国内に広がりつつあることを実感できたことは、これから当事者団体を立ち上げるパンガー県の人々にとって大きな力となったようでした。

「職業訓練」では、地元の職業訓練学校から講師を招き、障害者の参加者は初めてという中で試行錯誤をしながら、家族と共に参加できる場を設けました。材料費や市場獲得を考えると課題の多い分野ですが、生活の基盤をつくることも当事者運動を進める大きな鍵であると言えます。

これらのセミナーと並行して行ったのが、4月の訪問でもっとも重要性を感じた「ピアカウンセリング」です。バンコク近郊より、重度と呼ばれる2人の当事者を招き、被害の大きかった地域の延べ14人とのセッションでした。津波によって重度の障害をもち、夫に去られてしまった人、パートナーを失った人、私たちに出逢うまで、ほとんど家の外に出られなかった人等、さまざまな背景をもつ人たちばかりでした。またその家族と話す時間も設け、日本からの寄付である車いすや車いす用のクッション等を届けたりもしました。自身の体調管理の難しい障害をもつピアカウンセラーが、飛行機や車を乗り継ぐため、人数には限りがありましたが、その人一人のために使う時間の大切さ、そこにあるその人自身の大切さを実感してくれたように思います。少しずつ表情の変化を見せてくれた人を見るたびに、私たち自身も力をもらえる日々でした。

そして、当事者活動の支援とともに、必要性を感じていたバリアフリー社会への啓発活動も大切な活動の一つでした。再建途中のリゾートのオーナーや国立公園のスタッフ、ダイビングなどのビジネスに関わる人たち約30人を招いて、2日間のワークショップを行いました。会場はDPI―APの働きかけでスロープ等を設置してくれたカオラックにあるアンダブリリゾートでした。講師にはオーストラリアから長年ツアリズムビジネスに関わってきた方と、北部ウドンタニ県にあるタイ観光局東北ブロックの所長を招き、世界中のバリアフリーツアリズムの状況の紹介をしてもらいました。

DPIスタッフによる建設現場への視察も行ったこのワークショップによって、障害者への理解を促すことができ、いくつかのリゾートからバリアフリー化の約束を得ることができました。タイ国内ではこのような視点を持つ人は非常に少なく、パンガーの一例から全国に展開されることが期待されています。そのために、今後のフォローアップが必要であると思われます。

プログラムの締めくくりはパンガー県内の障害当事者55人ほどが集まり、パンガー障害者協会の設立総会ともなった、2日間の「障害者フォーラム」です。当事者運動の立ち上げ、法人登録の方法、運営のノウハウ等が紹介され、県内の交流も図ることができました。

しかし、一方ですでに継続の難しさを実感する会議でもありました。タイムアンでのセミナーに連続で参加してくれていたリーダーとなりうる人の中には、家庭や仕事の状況が変わり、活動に関われなくなった人もいて、新しい参加者が多かったのです。交通機関も発達しておらず、政府からの金銭的支援の少ない中で、生活基盤を支えながら継続する意志を持ち続けるには、当事者間の連帯感や団体を運営する中での達成感が重要です。さらなる支援を続ける必要性を感じ、DPI―APは次年度の支援に向けて動き出しました。

3 パンガー障害者協会の設立

2月に訪問してから約半年後の7月29日。タイムアンの地方自治体の会場を借りて、パンガー障害者協会の総会が開かれました。4月に法人登録が完了。その後、初の大きな会議を開きました。代表として会議を進めるのは、2か月間DPI―APで研修を受けた女性当事者と、彼女を支えてきたAPのスタッフです。半年ぶりに会う、彼女の表情や話し方の大きな変化は目を見張るものがありました。このときの参加者は30人弱で初めての方がほとんどでした。継続の重みを実感しながらも、変化をした彼女を見たときにまた力をもらい、今後に期待が持てました。まだ始まったばかりで、ここからが本番です。

4 クラビ県の状況

パンガー障害者協会の総会の翌日、私はクラビ県、ピピ島よりすこし南東に位置するランタ島を訪れました。昨年の4月以来の1年以上ぶりの訪問です。ここには会いたい人がいました。4月に来た時に、丘の上のシェルターにいた障害をもつ20代の夫婦。会いに行くことを決めたときに旦那さんが亡くなったと聞き、ますます会いたくなりました。

突然の訪問にもかかわらず、笑顔で迎えてくれた奥さん。津波の被害に遭った家の修復が終わり、津波から約1年後に自宅に戻っていました。海のそばというより海の上。水も満足に使えない、しかもアクセスの悪いシェルターで過ごした1年の間に、旦那さんは体調を崩し、自宅に戻ってわずか1週間後にクラビ本土の病院へ入院しましたが、その1か月後に亡くなったということでした。そんないきさつを語ってくれる彼女は、シェルターにいたときよりも強い瞳をもち、「もう津波は怖くないから、一人で寂しいけれど、この大好きな海のそばでいつまでも暮らしたい」と話してくれました。車いすでどこにでも出かけ、地域に溶け込み、近所にいる家族と一緒に住むことを選ばない彼女。しかし、仕事に関しては津波以前、2人でホテル等から洋裁の仕事を請け負っていたのが、1人では作業がうまく進まず、契約が切れてしまったという厳しい状況がありました。わずかな収入の中で、自分らしく暮らす彼女をみているうちに、タイの経済成長の波が届くべきところに届いていないことを思い知らされました。

5 最後に

この1年で出逢った多くの人、それぞれがそれぞれの背景を持ちながら、自らの生活と地域の復興を願っています。私たちができること、これからも探し続けていきたいと思います。

(すずきゆうき バンコク在住・元DPI―APボランティアスタッフ)