「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年10月号
1000字提言
バランスの取れた社会を
野村和志
「あんたらのような障害はおとなしく施設に居たらいいんだ!」
22歳まで在宅生活だった私が自立生活をめざし、アパート探しを始めて3軒目の不動産屋で言われたこの言葉が、それから30余年間地域で生きることにかかわり続けた原動力でした。
昭和51年頃のこの田舎町では、重度障碍者がアパートを借りて生活をすることは冒険、というより無謀なこと、という時代でした。東京、大阪等の大都市での障碍者の自立生活運動が拡がっていることは聞こえてはいましたが、この地方ではそんな運動は皆無に近い状況でした。
車いすで乗れる公共交通は無い時代、日常生活の移動はボランティア等の介助者が車いすを押して歩くしかなく、夏は汗みどろ、冬は体の芯まで凍えて家路に着く、という生活でした。時たま街ですれ違う人に「外に出られていいね」と話し掛ける人は車に乗っていて「外に」の言葉が無性に腹立たしく私の心に響きました。
この頃、日本の経済はその数年前にオイルショック等はあったものの米国などと世界の1位を競うほどの余裕はまだある時代でした。
しかしそのような国情とは反対に、日本の重度障碍者の状況は人間としての権利や人としての誇りは無いに等しい状態で、在宅や施設での暮らしを余儀なくされていました。
そんな中、ホンの一部の障碍者たちが地域で生きていくのに必要な所得や公的介助の保障が無い中、明日の命と引き換え状態で、人間性や権利を取り返すべく自立生活運動を闘っていました。
あれから20余年、現在、私の生活は公的介助を利用して日ごとの生活や日々の自立生活センターの活動に携帯やパソコンを使い、車いすで乗れる福祉車両や電車に乗り社会参加や経済活動に寄与しています。
しかし最近、この国の経済情勢が悪くなった?影響か、公的介助など地域で生きていくのに必要な制度等が削減されだした状況が政治や行政の動きに見え隠れしています。
どんな重度障碍者でも健常者と同じ地域で暮らせる社会、これこそが典型的なバランスの取れた社会だと私は思います。
健常者だけで構成される社会、これはもう典型的にアンバランスな社会であり、歪な社会です。そんな社会は絶対に具現化してはなりません。どのような時代、経済状況であっても皆、等しく人間らしく暮らせる社会こそ、真の良識あるバランスの取れた社会だと言えます。
(のむらかずし 自立生活センター宇部)