音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年12月号

特別支援教育への期待と課題

金子健

日本の特殊教育の誕生と発展

日本の障害児の教育は、いつからどのようにして始まったのでしょうか。江戸時代末期の寺小屋では、かなりの数の視覚障害や聴覚障害をもつ子どもたちが教育を受けていたと言います。

ペリー来航後の1860(万延元)年に日本を出発した遣米使節一行は、アメリカ国内で「盲人学校」「唖学校」なども見学してその様子を日本に伝えました。1861(文久元)年の遣欧使節団に参加していた福沢諭吉は後に、「西洋事情」の中で、「貧院」「唖院」「痴児院」などについて記述しています。薩摩藩の留学生で後に初代文部大臣になった森有礼は、イギリスで盲院、聾唖院などを見学してその成果に感嘆したと言います。こうして日本の文明開化とともに、欧米の障害児教育がわが国に大きな影響を与えることになります。

1872(明治5)年に頒布された「学制」は国民皆学をうたっていますが、その中で「廃人学校アルヘシ」との規定で障害児の教育に言及しています。わが国公教育の発祥の時点から、障害のある子どもの教育を位置づけていたと言えるでしょう。そしてそれは、欧米に倣(なら)った、特別の場での教育でした。

学制から6年後の1878(明治11)年、独立の校舎をもつ京都盲唖院が設立されました。これがわが国特殊教育のスタートです。

このようにして始まった特殊教育は、130年が経過する中で戦後の学校教育法などの教育体制の整備、とりわけ1979(昭和54)年の養護学校教育の義務制実施によって、すべての子どもの義務教育が制度として完成しました。どんなに障害の重い子どもにも教育の機会を保障するという世界に誇れる密度の濃いきめ細かな特殊教育として発展し、盲・聾・養護学校が約1000校、特殊学級が約3万学級にまで発展しました。

世界のインクルージョン教育の流れと日本の実情

20世紀後半に北欧から始まったノーマライゼーションの流れは、1981(昭和56)年の国際障害者年とそれに続く国連・障害者の十年によって世界に広まり、その中で、教育のノーマライゼーションが求められてきました。つまり、障害のある子どもたちの教育をこれまでのように特別の場で行うのではなく、できるだけ通常の教育の場で進めていこうというものです。

たとえば、1975(昭和50)年に施行されたアメリカの全障害児教育法では、IEP(個別の教育計画)を保護者とともに策定することが義務付けられていますが、それは「最も制約の少ない環境(LRE)」、すなわち通常学級での教育を可能にするためのものでした。

1978(昭和53)年のイギリスのウォーノック報告は、従来の障害種別による教育という考え方から、その子どもの教育的ニーズという新しい概念に基づく教育への転換を提案しました。日本の特別支援教育への転換はこれをモデルにしていると言われます。

1994(平成6)年の、ユネスコによるサラマンカ宣言は、万人のための学校をうたい、包み込む教育、すなわちインクルージョン教育の推進を提唱しました。通常の教育環境の中で障害のある子どもの特別なニーズに応えていこうというものです。

アメリカでは、特別の場を含め10%以上の子どもが特別の支援を受け、イギリスやカナダでは、20%を目標に整備していると言われています。

一方、日本の特殊教育は、1993(平成5)年に制度化された通級による指導を含め、それぞれの障害に応じた教育の場が整備され、完成度を高めることになりますが、しかし、これらの特殊教育の制度を利用する児童生徒の割合は、義務教育段階のすべての子どものわずか1.6%に留(とど)まっているのです。障害の種類と程度によって教育の場を細かく分けてメニューを用意したにもかかわらず、それを選択する子どもの割合は、ごく一部に過ぎないことになります。

その一方で、インクルージョン教育の世界的な潮流を意識して、意図的に通常学級在籍を選択する当事者も少なくありません。しかし、就学指導を経て「適正就学」がなされているとの名目の元、通常学級では必要な支援を得ることが困難なために、善意の担任教師の努力には限界もあり、学校不適応から転学への道をたどらざるを得ないのが実情です。

そしてもう一つ、諸外国との決定的な違いは、支援の必要性がありながら本人も学校もそれに気付かずに、結果的に、通常の学級に何の支援も無いままに在籍する子どもたちの存在です。この子どもたちは、1人の先生、1冊の教科書と柔軟性のない教育課程という教育環境の中で、学習意欲の喪失や友達関係の困難さから不登校など二次障害に苦しむことになります。このような児童生徒の割合が6.3%に達するという文部科学省による全国実態調査の結果は、予想されたこととはいえ、大きな衝撃とともに受け止められたのでした。

このような世界の潮流と日本の学校教育の困難な状況とを背景にしながら、20世紀後半からはじめられた教育制度改革に向けての検討の結果は、2003(平成15)年の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」による新しい理念として提言されたのです。

130年ぶりの大改革への期待…インクルージョンへの期待

特殊教育から特別支援教育への転換は、前述の最終報告を経て、2006(平成18)年6月成立の学校教育法の一部改正によって法的根拠を得たことになります。これまでの盲・聾・養護学校を特別支援学校として、障害種別によらない教育の場が実現することになりました。

そして、その国会審議の過程で、「これからはインクルージョンの流れ」であるという文部科学大臣の答弁、さらに付帯決議に盛り込まれた「ノーマライゼーションやインクルージョンの理念を踏まえつつ」という表現の意味は大きなものがあり、今後の展開に期待をしたいと思います。

具体的には、特別支援学校の誕生は、障害のある子どもたちの教育を地域化することに効果があると期待できます。すなわち、障害の種別によって就学指導がなされていたために遠くの盲学校に就学せざるを得なかった子どもが、近所の知的障害の養護学校に入学することが可能になれば、地域で生活することに一歩近づきます。居住地校交流もしやすくなるでしょう。

さらに注目したいのは、学校教育法第七十五条で、小中学校等では「教育上特別の支援を必要とする児童、生徒及び幼児」に対して「障害による学習上又は生活上の困難を克服するための教育を行うものとする」としている点です。これまでの特殊学級に在籍する子どもだけではなく、通常学級に在籍する子どもも支援の対象としていると言えます。

130年前にスタートした、障害のある子どもとない子どもを分け、さらに障害の種類によって分けて教育の場を用意するという別学の体制を一部見直して、場による教育から一人ひとりの子どものニーズに対応する教育に改めるというのです。通常の学校、学級に在籍する児童生徒が、その学習や行動の困難さに合わせて教育上の支援が得られることになれば、インクルージョンの教育へ大きく前進することになります。

特別支援教育の課題

(1)特別支援教育の専門性は?

これまでの盲・聾・養護学校が障害種別を越えた特別支援学校になりますが、学校の施設設備、教員の専門性はそれに対応しているのでしょうか。当面は、特別支援学校としながらも、専門の領域を掲げるようですが、それでは絵に描いた餅です。各特別支援学校での教育環境の整備や教員の専門性の向上が大きな課題となります。

通常の学級の教員の専門性は、特別支援学校からの支援を受けるにしても、現状では不十分と言わざるを得ません。教員養成を含めて、すべての教員が支援の必要な児童生徒について理解し指導できるよう、研修を強化する必要があります。

(2)特別支援教育コーディネーターの増員

小中学校等での特別支援教育を可能にするために、特別支援学校は地域のセンターとして機能することが求められています。すでに、盲・聾・養護学校では、校内の教員が特別支援教育コーディネーターとして指名され、地域の幼稚園、保育所、小中学校などに出向いて、そこに在籍する子どもの教育についてコンサルテーションを行っています。これがあれば前述のように、障害のある子どもたちが安心して地域の学校に通うための大きな力になるでしょう。また、これまで130年にわたり蓄積してきた特殊教育、障害児教育のノウハウを新しいシステムの中で生かすことにもなります。

しかし問題の一つは、特別支援教育コーディネーターが加配でなく指名であることです。教員が外回りをすることで、校内の教育が手薄になることが懸念されます。地域化が進むことで将来的には在籍児が減るにしても、今現在に在籍している子どもたちへの支援が薄まることがあってはならないのです。

(3)教員の理解と教育課程の柔軟化

地域の小中学校などに支援の必要のある児童生徒が6.3%(約68万人)在籍し、さらに増えることが予想されます。特別支援学校からの支援があるとしても、通常の学級の教員がこれに対応するには、現状では校内の体制、教員の専門性に不備があることは明らかです。

さらには、学習指導要領で基準が示されているところの教育課程が、柔軟なものに改正されることが不可欠でしょう。障害のある子どももない子どもも、共に学ぶ教育環境を実現するには、教育課程の見直しが必要です。

諸外国では、インクルージョンの推進に合わせてその検討がなされています。共に学ぶことをめざしている学校で一般の児童生徒の学力も向上しているとの報告は、注目すべきことです。

(4)教育予算の増強を

従来の特殊教育の対象者に比べて、特別支援教育の対象者数は6倍にも跳ね上がります。文部科学省は、従来の資源の有効活用を言いますが、それだけでは不十分なことは明らかです。これまでの特殊教育を薄めることであってはなりません。制度改革に伴う予算の見直しが、地方自治体の取り組みを含めて、不可欠でしょう。

インクルージョン教育の推進は、社会のノーマライゼーションの実現にとって不可欠な過程です。行政とすべての国民が一体となって取り組むべき課題なのです。

(かねこたけし 明治学院大学教授、社団法人日本発達障害福祉連盟会長)