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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年12月号

フォーラム2006

アジア太平洋障害フォーラム(APDF)に参加して

古西勇

10月16日から17日にかけてタイ王国の首都バンコクにある国連会議センターで開かれたアジア太平洋障害フォーラム(APDF)の第2回総会・会議に、障害分野NGO連絡会(JANNET)として参加した。以下、APDFの歴史と今回の会議で話し合われた内容に触れ、最近の報道でも取り上げられた国連「障害者権利条約」条約案について、今後の課題などについて述べる。

APDFの成り立ち

国連は1981年を「国際障害者年」として世界に提唱し、1983年から1992年までを「国連・障害者の十年」と定め、その終了にあたり「障害者に関する世界行動計画」の継続を決議し、1993年には「障害者の機会均等化に関する基準規則」を採択した。その動きを継続し、国連ESCAP(エスキャップ/アジア太平洋経済社会委員会)では、1993年から2002年までの10年間を「アジア太平洋障害者の十年」と位置づけた。

その最終年を記念して、日本を代表する主な障害者団体などの呼びかけにより、2002年10月に3つの大きな国際会議が札幌と大阪、大津で開催された。その年は、5月のESCAP総会での決議に基づき、「アジア太平洋障害者の十年」が2003年から2012年までさらに10年間延長されることが決まった年でもある。その前年末には、国連総会で障害者権利条約案について検討するための特別委員会が設置されている。

大阪で開催された国際会議では、それまでの地域ネットワーク組織に代わる「アジア太平洋障害フォーラム(APDF)」の基本構想が提案された。2003年に設立されたAPDFは、アジア太平洋の国・地域を代表する障害当事者団体および支援団体を会員として構成され、個々の団体の利害を超えた障害横断的な連合体となり、大津で開催されたハイレベル政府間会合で採択された「びわこミレニアム・フレームワーク」の推進に、最大限協力・連携することを主な目的とした。日本からは障害者団体を中心とした「日本障害フォーラム(JDF)」(現在の会員は13団体)が加盟している。

APDF第2回総会・会議の成果

政変があったばかりにもかかわらず予定通り今回の会議が開催されたことは、現地の事務局の尽力によるところが大きい。また、タイ王国政府は会議初日、参加者のために大河に浮かぶ遊覧船での夕食会を主催してくださり、関係者の方々のもてなしの心遣いに感銘を受けた。

参加者は、事務局発表で合計180人、内訳は海外19か国から100人、国内から80人(スタッフ20人を含む)であった。日本からは18人が参加した。今回は国連ESCAPの会合に先立って日程が組まれたため、それらの会議に続けて参加する機会も与えられた。

総会は初日の午前中に行われ、活動報告、役員の選出や委員会の構成・委員長の選出、将来の総会の開催地・日程や事業計画について話し合われた。日本からは、中西正司氏(DPIアジア太平洋ブロック評議会議長)が副会長に、松井亮輔氏(JDF)が事務局長に、それぞれ再任された。次回は2008年1月または2月にバングラデシュで行われることになった。

APDF会議は、初日の午後に開会式と全体会、テーマ別の分科会が開かれ、2日目は全体会と地域別の分科会、最後にAPDFとしての声明案を起草委員会からの提案を受け、全体会で議論し合意するまでの作業を行った。私は初日の分科会で発言の機会を得、JANNETの活動を紹介させていただいた。

今回の総会・会議の全体のテーマとして、「共同の取り組みを通した権利に基づく開発」が掲げられた。参加者の活発な共同作業、それを支えるスタッフの忍耐強さは、障害者に対する「慈善」という考え方を脱し、障害者の所有する「権利」という考え方へとパラダイム(枠組み)を転換しようというエネルギーを感じさせるものであった。

その成果として、10月17日に「バンコク声明」が採択された。声明には、現時点の条約案に対するNGO側からの懸念や、障害者の権利を世界中において真に実現するためには、次に何をすべき段階にあるかという参加者の意見が反映されている。

次のステップへ

会議2日目の全体会で講演されたIck Seop Lee教授(韓国)とMonthian Buntan氏(タイ王国)は、国連障害者権利条約策定過程に真摯に取り組んで来られた方々で、そのお話は大変感動的なものであり、参加者の意見の基調をなすものとなった。

Ick Seop Lee教授は、地域全体で支援し合い、力を束ねていくことが今後はますます重要となるとして、APDFの意義を強調した。

Monthian Buntan氏は、慈善から権利へのパラダイムの転換がいかに驚異的な出来事かに触れ、過去の挑戦の一つの成果が上がったとする一方で、現実にパラダイムが転換するにはまだ多くの問題があることを指摘した。ケアとどう結びつけるか、伝統的な価値観とどう共存していくかなどの問題である。彼はまた、条約案の合意に至る議論の中で、NGOの立場から妥協しなければならなかったことについて述べた。ジェンダー(社会的・文化的な性のありよう)という視点や、法的能力という用語の国による解釈の違いなどについてである。

お2人に共通していた今後の課題は、どの国も国連総会で反対しないように、そして、すべての国が条約の採択と同時にそれに署名するように、各々が自国の政府に働きかけることであった。多くの国にとって、署名してもすぐに国内法となる訳ではない。既存の国内法の変更を行い、条約と同じレベルの内容に整備しなければならない。権利に基づくアプローチの実現はまだ途上にあるということである。

日本での取り組みの課題

課題として最初に、国連総会で日本が条約の採択に賛成・署名し、批准と施行に向けて国内法の整備を行うことを確実にすることが重要である。日本の国内法を条約のレベルに合わせて高められるよう、国民から政府への働きかけが必要である。

次に、障害と開発が密接な関係にあることを踏まえ、日本政府や日本のNGOに対して、開発援助において障害者が他者と同等に恩恵を受けることができるような新しい援助形態を採用していくこと、すなわち「開発に障害を含めること」を勧めることである。障害分野NGOは、そのための方法論について多様な事例を上げて啓発していく役割を担えるのではないだろうか。

最後に、私たちは日本国憲法の前文に謳(うた)われている「基本的人権の尊重」を誇りに思い当たり前のことと思うように、日本や途上国の障害者すべてが障害者の権利を自然なことと思えるような時代を実現しなければならないことを自覚すべきである。その実現のためには、子どもから大人まで、障害のあるなしにかかわらず、「障害者権利条約」の精神について関心を高められるよう、今こそ積極的な働きかけが求められていると考える。

(こにしいさむ 新潟医療福祉大学理学療法学科)